小豆沢の『ちからもち』発言の意図がわかった後は、どんな仕事をしていたかよく覚えていない。気付いたら午後十時になっていた。
小豆沢の『ちからもち』発言の意図がわかった後は、どんな仕事をしていたかよく覚えていない。気付いたら午後十時になっていた。



……今日はいろいろ、お世話になりました





い、いやいや……


かくして帰路に就いている僕たちだ。田舎の夜は暗く人通りも少ないから、僕は帰り道が分かれるところまで小豆沢を送っていくことにした。



えっと、あのー……





う、ん?


例のことがあって口数少なに歩いていた僕たちだったが、それを小豆沢が破った。僕はなんの話をされるのだろうと、一瞬、身構えてしまう。



山菜さんの家ってこっちなの? ずーっと同じ道で合ってる? もし分かれ道に来たら、ご遠慮なく!


当たり障りのない話題だった。



うん、今のところ同じだよ。この先を曲がったところにあるボロアパートだから、そろそろお別れだけど





えっ、もしかしてそこ? ……私のアパートと同じかも





ええっ!?


この辺に他のアパートはない気がするぞ。つまり……。
目的地に到着するまでに間、僕たちはなんとなく、また無言になった。
僕たちは、別れることなく自宅のアパートに辿り着いた。部屋番号を聞いたところ、どうやらウチの真上らしい。



ウチの上の部屋って、確かちょっと前まで空いていたような?





そう! 私、ちょっと前に引っ越してきたんだー


なるほど。だから高校でも小豆沢を見たことがなかったのか。最近転校してきたってことだね。山田さんが僕と同じ歳って言ってたから、同学年の別クラスなのかな。



ご近所さんに知り合いがいるなんて、なんだか嬉しいね~





そうかも。あ、でも『ご近所さんが知り合い』ってなんだか変な言い回し





あははっ、私も言いながら思った~


昔の日本はご近所付き合いが盛んで「井戸端会議」なんて言葉もあったくらいだけど、最近は隣に誰が住んでるかもよく知らないことが普通、の気がする。



えっと……それじゃ、おやすみなさい





う、うん。おやすみ


少しの沈黙の後、小豆沢が別れの言葉を切り出してきた。僕も応じる。



結局、超能力に関する話は何もしなかったな……


僕がそう思ったときだった。
小豆沢がとことこ数歩進んでから、振り返った。



私の『ちから』、やっぱり変に思った? 不気味だよね。それとも……信じてくれてない、かな?


すごく不安そうな顔、震える声。そっか、道すがら僕が全然話さなかったから、こういう風に思っていると取られちゃったのかな。
当たらずと言えども遠からず、ではあるけど。



や、別に変に思ったりはしてないよ。実際に見たから、疑いようもないし。ただ……





ただ?


小豆沢は、まだ憂いの消えない顔だ。そんな顔されると、なんだか落ち着かないよ。



えっと、その……すごいって言うか、珍しいって言うか。空想科学読本やらアニメやらで見聞きして、フィクションとして面白いなって思ってたけど……まさか、超能力が実在するなんて


手放しでワクワクする、とかそういうのじゃない。驚き半分、怖さ半分くらいの感じ。
でも、この小豆沢なら――悪いことはないと、なぜだか思えた。
小豆沢は僕の顔をじぃーっと長いこと見つめてから、



そっかー……よかった。よかったぁ


ようやく破顔して、小さな胸をそっと撫で下ろした。



そういう風に言ってくれてありがとう。たぶん、いつかもうちょっと話してあげられると思うから……しばらくは私の『ちから』のこと、誰にも言わないでね。お願いだよ?


上目遣いでの、念押し。僕は一歩後退しながら、頷いた。



うん。わかった、わかったよ





ん!


小豆沢が笑顔をにぱっと浮かべた。僕がその顔をよく見ないうちに、手をぷんぷん振って、階段を駆け上がっていく。
……なんだろう、この感じ。
小豆沢の言動も振る舞いも裏表なく感じるのに。最後の「いつかもうちょっと話してあげられること」に、妙な不安が残った。
いろいろ聞きたいけど。
ご近所さんになったし、ゆっくりでいい、かな。



ふわぁ……


僕の意識へと、疲れと眠気が介入してくる。答えの出ない思考をそこで中断して、僕も一階の自宅へと向かった。
夜が明けて、土曜日の朝。学校は休み。工事現場のバイトも休みにしている日だ。
両親と遅い朝食を食べながら、さて今日は何をしようかと伸びをしていたときのこと。



ん、来客? こんな時間に珍しいな





やっほー、山菜さん! おはよ~


小豆沢がいた。小脇に何かを抱えている。
ちなみに僕の部屋の間取りは、家族で食事をするエリアから玄関まで仕切りなし。筒抜けの丸見えだ。



ちょっ、小豆沢! えっと……


僕は慌てて小豆沢を外へ押し出そうとするが、もう手遅れだ。



あら! 大器、その子ってもしかしてカノジョとか? 女の子がウチに来るなんて初めてじゃない。気にしなくていいからあがってもらって――





違うから!


僕は、おせっかいウザ絡みモードに入った母親に頭痛を覚えながら、なんとか玄関に転がり出て扉を閉じた。



山菜さん。えっと……そうなんだ。違うんだ





違うだろ!





どの辺が違うのかな? カノジョ? それとも、女の子が家に来るのが初めてってところとか……





今そこらへんの話題を掘り下げなくていいからっ!





はーい


くすくす笑ってる。今の会話は絶対に確信犯だ。
っていうか、昨夜はあんなことがあったのに。今朝はこんなテンションだなんて……小豆沢、よくわからないな。



ところで、えっと、なんの用? まさか朝の挨拶をしに来ただけじゃないよね?





はい、これを


小豆沢が、小脇に抱えてるもの――小さな菓子折を差し出してきた。



これ、僕に? ってか、ウチにかな?





そう! ほら、ご近所さんってこういうの差し上げたりするでしょ? 引っ越してきたときに『ご迷惑おかけしますが』って。私は越してきて一週間だから、やってみたくなって





なるほど……


わかるような、わからないような。というか、これもご近所付き合いの衰退と一緒に薄れてきた文化の気がする。最近、引っ越したからってわざわざ隣近所へ挨拶に行く人は少ない。
僕は差し出された手前、無意識に受け取ってしまいつつも、小豆沢が面接で言ってたことを思いだした。



言いにくいけど、小豆沢ってお金ないんじゃなかったっけ? こういう風に気を遣ってくれるのは嬉しいけど、えっと……





だいじょーぶ! このくらいのお金は――





はうっ!?


盛大な音が聞こえた。もちろん、小豆沢のお腹からだ。



……ごはん食べてないね? なのに、こんなことをしてくれたの?





えっと、えへへ……そんなところかな。あははっ





まったく


そう言えば、小豆沢の親っていったいどういう人なんだろう。年頃の女の子をあんな仕事に送り出したり(小豆沢の独断かも知れないけど)。会ったらひとこと言ってやる……わけにもいかないだろうけど、今のままじゃ良くない。
というか、さし当たって今は――



とりあえず小豆沢。えっと、家で待っててくれ。ウチの真上の部屋だと、202だよね?





そうだけど……山菜さん?





いいから。三十分後に行くから





ふぇ?


僕は呆ける小豆沢を置いて家に引き返し、やーやー言ってくる両親には取り合わずに自分の財布を引っつかんで再び外へ。
ウチの玄関前でぼんやりしたままの小豆沢にもう一度「家で待ってて」と伝えてから、僕はスーパーへと駆けた。
なんでこんなことしてるんだろう?
……あれだよ、きっと。昨夜のことで、小豆沢が僕の命の恩人かも知れないからだよ。
