マヤノさんは耳をパタパタさせて、首をかしげた。



それで、あいつの態度が気にかかっているわけだ。


マヤノさんは耳をパタパタさせて、首をかしげた。



元に戻ってほしいわけじゃないんだろ?





まさか。このまま関わらない気でいるなら万々歳だよ。


私は言った――口に出して。
マヤノさんは、ただ一人、私が声に出して話せる相手なのだ。
マヤノさんと出会ったのは、この屋敷に来てからのこと。
宇宙船ではお互い船室にこもっていて、会う機会がなかったらしい。
しかし、屋敷に落ち着いた翌日だった。
人のいない場所を求めて裏庭にいた私に、マヤノさんが声を掛けてきたのは。



ちょっとあんた、うるさいよ。





……?


見回しても、私以外誰もいない。



あんただよ、あんた。さっきからずーっとブツブツさ。言いたいことがあるなら口に出して言えば…





口に出して?


そこで、自分の言っていることのおかしさに気づいたらしい。



あー…ごめん。





あたし、人の考えてることが聞こえるんだ。あんた、ずーっと何か考えてるだろ。だもんだから、それがあんたの肉声だって勘違いしちゃった。





聞こえる…?
心が読めるってこと?





うちの種族は耳が良くてね。同種族の声は聞こえないんだけど、他種族ってどうも心のガードが弱いらしい。みんな聞こえちまうんだよ。





だから船では見かけなかったのか。





そうゆうこと。
人の多い所はやかましいから、あんまり出歩きたくなかったんだ。





それに、心が読めるってバレると気味悪がるやつもいるからね。
あんたも、他には言わないでほしいな。





わかった。


しゃべらなくても通じるというのは、会話がスムーズでありがたい、というのが第一印象。
そのあと、マヤノさんは思考だけでなく記憶や潜在意識も読めると知って焦ったけど、全部見抜かれているならある意味楽だ。
怒らせないように気を張って、黙り込んでいる必要もない。
初めは無言でやり取りしていたけど、それを人に見られたくないというマヤノさんの意見もあって、そのうち声に出すようになった。



不安なのは、パーメントールが何か企んでるんじゃないかってこと。
行動が予想できなくなって、すごくモヤモヤするんだ。





あんたって心配性だよねえ。





まあ、人間不信にもなるか。
父親が親友にだまされて借金背負って、その返済のために知らないうちに、金持ち老人に売り渡されてた身じゃね。





私の身の上を並べ立てないでくれるかな。





結婚式当日に自分が結婚すること知って、花嫁衣裳のまま逃亡劇とか、なかなかしない経験だろ。





その延長で宇宙にまで出るってのもね。
したければ代わってあげるけど?





父に売られたからには帰る場所も、かくまってくれる人もいない。だから結婚相手の屋敷から、ごっそり金目のものをいただいたんだ。逃亡資金にね。





自分にそんな度胸があるのも驚きだったけど…
それから半年間、何度もだまされて、死にかけて、学んだよ。裏のない人間なんていないって。





人間なんて、大嫌いだ。





そんなに人間が嫌いなら、あたしのことも嫌いかい。





そりゃ、マヤノさんはいい人だと思うけど…





でも、マヤノさんの能力は、いくらでも悪用できるものだ。





…………





っ!





…………


しばらく、気まずい沈黙が流れる。
しかし、ふっと、マヤノさんが微笑んだ。



…そこで自分も一緒に傷ついちゃうのが、あんたのいいとこだよね。





あんたは疑り深いだけで悪い子じゃないよ。
人に心を開くことを覚えれば、幸せになれると思うよ。





そうかな。





ひとつ教えてあげる。
パーメントールのこと。





あいつは善人じゃない。
でも、悪人でもない。悪人にはなれっこないんだよ。





どういうこと?





…ひとつのことにしか興味ないやつが、他人を出し抜くなんてできないだろ。
そういうやつもいるの、世の中には。





……?





パーメントール自身があんたに害を加えることはないと思う。
何か企んでるかとか、心配しなくていいよ。





本当かなあ…


そのとき廊下からにぎやかな話し声が聞こえてきたので、私はパッと立ち上がった。



誰か来るみたい。
部屋に戻る。





友達作るチャンスかもよ?





そんなわけない。


人と会わないよう、談話室の反対側のドアから廊下へ逃げる。
そんなふうに慌てていたせいだろう。
ソファに日記帳を置きっぱなしにしたと、私は全然気づかなかった。



…なんだろう、これ?





共通語で書かれてるみたいだけど…
僕、文字には興味がないんだよな。
これだけの分量、声に出して言ってくれれば最高なのに。





誰のだろう。返せば喜んでもらえると思うけど、持ち主の手がかりがないことには…


つぶやきながらページをめくるパーメントールをドアのすき間から目撃したのは、日記帳を探し始めた一時間後だった。



談話室か…!
パーメントールのことをマヤノさんに相談するのに取り出したんだった!





私の…っ!
私のです!


心の中で叫んでも、マヤノさん以外には通じない。



メモ帳は手元にあってよかった…


メモ帳に鉛筆を走らせる。
談話室のドアを開けると、彼はすぐに気づいて振り返った。



あれ、ラル。
どうしたの?





……ッ!





?


しかしパーメントールは、黙ってニコニコする。



もしかしてこの人、共通語が読めない…!?





どうする。書き文字が通じないんじゃ、あとは飛びかかって無理やり取り返すくらいしか…っ!





…………





一旦退避…っ!





……?





深呼吸…深呼吸…





何とかして取り返さなきゃ。
彼には読めないにしても、他の人に見せる気を起こされたらたまらない。





でも、武力行使も無理となると…
あとは…もう…できることは…





……っ





やあ、ラル。
忘れ物でも取りに行ってたのかい?





ねえ、このノートの持ち主を知らない? 返してあげたいんだけど…





――す





え?





っ、それ、私の、です…!





か、かかか、返して。





…………


パーメントールは目を見開いて固まった。
宇宙を映したような深い藍色の瞳——それはすぐに、山ほどの星をちりばめたように輝いた。



君―…っ
しゃべれるのかいっ?


日記帳を放り出し、私の両手を強く握る。



……!?





なんだ、言葉を持たない種族だなんてキュラシーの勘違いだったんじゃないか。
食べられないなら優しくするだけ無駄だと思ったけどそんなことなかったんだね。なんだなんだ!





もっとしゃべれるかい?
もっと聞かせてよ!
僕は言葉を食べる種族でね。





な、え、な…





今ちょうど、おなかがすいてるんだ!


なに。こいつ。
言葉を食べる?
食べるって――



会話が、食事?





そうだよ?


思わずこぼれた声に、パーメントールは、美食を舌でとろかしたみたいに目をうっとりさせた。



ラニー人には他種族のような消化器官はなくてね。その代わり、有意味の発声を聞いたり手話を見たりしてエネルギーを生む。宇宙共通語で言うなら『言葉を食べる』ってとこだろう?





今回の旅で初めて他種族の言葉を食べたけど、どの人も違って面白かったよ。しゃべっているのは共通語でも、母語や人格でおもむきが変わるみたいだね。
いろんな星の出身者の言葉をあれこれつまみ食いができて、最っ高の漂着だと思った!
うん、でも…今確信したよ。





君の声が、一番美味しい!


ああ奇遇だね。私も今確信したところだ。
初日の言葉の繰り返しになるが。



これは、最っっっ悪の漂着だ…!


つづく
