第5幕
暇
第5幕
暇



ーーこれで、聴取は終了だ。病み上がりのところ、すまないね





いえ…こちらこそ、世話をおかけしました


倒れて病院に運ばれて、挙句の果てに記憶が無いなんて言ってしまった結果、今回の件に事件性が生まれてしまったらしい。幸い言い訳のしやすいシュトーレン刑事が聴取に来てくれて、ことは円滑に進んだ。
店を出る際、彼は一度だけ俺のことを訝しげに見やったが、そのまま帰っていった…多分、覚えてないというのが嘘だということは、何となく察せたのだろう。でもごめん、貴方には一番言えない。



サヴァラン、学校にはいつごろ復帰できそう?





え、別に…もういつでも行けるよ


入れ違いでお見舞いに来てくれたアマンドにそう返し、お茶請けとして出されたタフィーを齧る…サクサクした食感とナッツの香り、仄かな苦味が魅力のそれは、甘い香りのアプリコットティーにもぴったりだ。



いつでも行けるって…来れるに越したことはないけど、無理はしないでよね





分かってるよ。学園祭の準備くらい、ちゃんと手伝いたいしね





企画立案の時は、既に家出してたものね





いやぁ…それは、ごめん…





もう…今度家出する時は、もっとタイミングを考えてちょうだい





分かったよ





それで…俺たちのクラスは何をすることになったの?





演劇よ。ロミオとジュリエットを、ちょっと改変したオリジナルバージョンでやることになったわ





ド定番だね





ふふーん、そう思うでしょ?





……違うの?





まあ、それは無事に学校復帰したら、教えてあげるわ♪





今教えてくれたっていいじゃないか





だーめ。空気読まないで家出した罰ですー





はぁ…分かったよ。明日には行けるようにする





待ってるわ。





でも…何度も言うようだけど、無茶だけはしないでね。また倒れられたら…リーナに顔向けできないわ





ベルリーナ……


そうだ…俺がいなくなったあと、彼女はどうしていただろう…できれば謝りたい…まだ彼女が許してくれるなら…また、以前の関係に戻りたい…もし、そうでなくても…一言だけでも…



……リーナは、変わりない?





変わりねぇ…やっぱり、喧嘩でもした?





そ、それは……ちょっと、だけ…





……はぁ…あなたはいつになっても、奥底の方は変わらないのね…





変わらない?





ええ、変わらないわ。口下手サヴァラン





失礼な…





…さて、サヴァランの顔も見れたし、そろそろ帰るわ





もう?ゆっくりしていけばいいのに…





配達の帰りなのよ。流石に帰らなきゃ





ああ、そうだったんだ…わざわざありがとう





とんでもございませんわー。それじゃ、サヴァラン、また明日!





ああ、また明日


アマンドを見送り、タフィーが入っていた皿とティーカップを片付ける…いつもの日常に戻ったことに、安堵と、少し物足りない感じが入り交じって変な気分だ。
店の手伝いをしようと制服のエプロンに手をかけると、母がそれを慌てて制止してきた。



サヴァラン、お店の手伝いはまだいいわ。今は体を休めることを第一に…





さっき、アマンドにも同じようなことを言われたよ…大丈夫だよ、俺はもう元気だから





……そう?…それじゃあ…





これ、ゲーテさんに持って行って、お礼をしてきなさい





え?なんで?





なんでって…あなたを病院まで運んでくださったのは、ゲーテさんなのよ?あなたのことでバタバタしてたら、なかなかお礼ができなくて…





本人が行けば丁度いいじゃない?元気になったと言うのなら、その姿も見せられるわけだし





まあ…そうだけど…


確かに、今回のことでファウストには早めに会っておかなきゃならないとは思っていたが…正直、何を言われるか分からなくて、怖がっていた節があった。きっかけが出来るのはありがたいけど…急だなぁ…



それじゃ、ゲーテさんに宜しくね♪


そんなことはつゆ知らず、母さんは笑顔で俺を送り出した。紙袋に入れられた、夏季限定フレーバーのキャンディは、袋の口から入ってきた光で鈍く光っている…



……腹括るしかないか…


…とは言うものの…ファウストは本当にゲーテ邸にいるのだろうか…?歩き始めようとして、少し考えていると、背後からトンと肩を叩かれた。



やっほー、サヴァランくん!





チアキ!





久しぶり!何か、大変だったみたいだね…もう、身体は大丈夫?


それはこちらのセリフだが…そんなことは口が裂けても言えない。元気そうな彼女の姿に安堵しつつ、俺はコクリと頷いた。



ああ。お陰様でね





でも、サヴァランくんでも家出ってするんだね…僕びっくりしちゃった





割としょっちゅうだよ、情けないことにね





そんなことないよ!





家出がいい事だとは言わないけど…でも、本当にどうしようもなくなったら、その手に走るのはアリだと思うし…





自分が壊れちゃうより、よっぽどいいよ!!





チアキ…





……って、僕が言えたことじゃないけどね…





誰にも言えない悩みとか、相談したいこととか、そういうのがあったら僕たちのところにおいでよ!探偵は、口が堅いからね♪





……ふふっ、そうだね。そうさせてもらうよ


実際、今回はそれで少し救われた気がするよ…口に出しては言えないけど…ありがとう、チアキ。



どこかお出かけする予定だったんだよね?ごめんね、引き止めて…





いや、いいよ。会えて嬉しかった





またまたぁ、そんなこと言ってぇ!そういうのは、もっと可愛い子に言うべきだよ!





じゃね!


チアキはヒラヒラと手を振ると、ポケットからメモを取り出し、マルシェの喧騒に吸い込まれて行った…お使いの途中だったのかな?



……本当に、君には救われてばかりだね


いつかお礼をしなきゃなぁ…
先ほどとうって変わり、軽くなった足取りでファウストの許に向かう…多分、彼は今…



やあ、サヴァランくん。そろそろ来る頃だと思っておりましたよ


予想通り、ファウストはゲーテ邸ではなく、拠点であるバーの地下室にいた。



……病院の件はどうも。あとこれ、母さんが持って行けって





おや、これは……





夏季限定フレーバーの、シトラスブルーですね!なかなか買いに行けなくて、諦めけていたんですよ!!ありがとうございます♪





……ファウスト、聞きたいことがある





はい、何でしょう?……あ、サクラとシオなら、学校ですよ。サークル活動の合宿だそうです。いいですねぇ、若いって…





違う!そうじゃなくて…





俺、足を怪我してなかったか?割と大怪我だったと思うんだけど…今、全然痛くなくて…





?足の怪我…ですか?みなさんが帰還した時、そんなものはなかったですよ。気のせいではないですか?





そんな…!だって、あんなに痛みがはっきりしてたし、血も出ていたし…





……そうだ、包帯!!足に巻かれていただろう!?





いいえ、ありませんでしたよ。包帯なんて





……そんな…


やっぱり、あれは俺の勘違いだった…?チアキと過ごしたあの日も、俺の思い違いだったというのか…?あの時落ちたのは俺だけで、本当はあの時点で、意識を失っていたとか…?でも、まさか…そんな馬鹿なことが…!



……質問は以上ですか?





………ああ、うん…





なら、次はこちらからいきますよ





率直に申し上げますと…貴方にはガッカリしました





…………





宝を盗み、安全に持ち帰ってくるところまでが依頼です…だと言うのに、貴方は依頼の途中で倒れ、宝を自力で持ち帰ることが出来なかった…





今回はサクラたちが回収してくれたので、なんとか事なきを得ました…ですが…今回のことで、貴方への信頼はひどく落ち込みました





……はい





自分の管理もできないようでは、安心して依頼をすることもできません…





しばらく、貴方への依頼は自粛させていただきます。頭を冷やして、出直しなさい


流石に怒るよな…表情は変わっていないが、語気が強い…俺はというと、完全に萎縮してしまい、直立不動のまま固まってしまった。



……ごめんなさい…


なんとかそれだけ絞り出し、目を伏せる…沈黙が重たくて、早く破ってほしいと思う反面、もう何も言わずに退出してほしいという思いが、頭の中でぐちゃぐちゃに混ざりあっていた…



……まったく





………え…?


頭にポンと手を乗せられ、俺は恐る恐る視線をあげた…手の主はもちろんファウストで、その口元には僅かに笑が見られた。



怒ってはいますが、あなたが思っているような怒りではないのですよ…





もっと、自分を大切にしなさい。貴方は、私たちの希望なのですから…


それだけ言うと、ファウストは出口の階段へと歩いていく…もしかして、少なからず心配してくれたのか…?



怪盗キャラメリゼ、貴方には、しばらく休息が必要なようです…次の依頼まで、ゆっくり休みなさい





おかえり、サヴァラン!!


教室に入るなり、アマンドを筆頭に、クラスメートが俺のところまで押しかけてきた。その大方が復帰を喜んでくれたものだったり、心配をかけさせないでほしいという小言だったり…いつの間にか、自分は周りへ影響を与える人間になっていたのだろうか…改めて、自分の存在を許してもらえたようで、少しだけ心地がよかった……その中に、リーナの姿はもちろんなかったけれど…



そうだ、サヴァラン。あなたがいない間に、留学生が来たのよ!





留学生?





ええ、丁度今…





あっ、戻ってきたみたい!ルオ!ちょっと来て!!





?はーい、ちょっと待ってね!


舞台に使うものなのだろう、重そうな角材を軽々と担いだ少年が、小走りでこちらにやってきた…青みがかった銀髪が、窓から差し込む陽の光でキラキラ光っていて、すごく綺麗だった。



ルオ、紹介するわ。彼はサヴァラン=ブリュレ。今回の主役よ。で、サヴァラン。この子がルオ…ルオネルト=アインザッツくん。アメリカからの留学生よ





アメリカからの…はじめまして。俺はサヴァラン。宜しくね!





君がサヴァランくんかぁ…





僕は、ルオネルトだよ!ルオって呼んでね!!よろしく!!


笑顔で手を差し出すルオに、俺も笑顔で応じた。少しひんやりしたその手は、年齢の割に少し小さく感じた…それよりも、この声…



ねえ、ルオ…で、いいんだよね?





うん!ルオでいいよ!!





俺たち、どこかで会ったことないかな…?俺の気のせいかも知れないんだけど…





サヴァランくん…





ふふっ、君って面白い人だね♪そういうことは女の人にいうべきだよ





サヴァラン…リーナという人がいながら、貴方って人は…





そ、そういう意味じゃ!!





ふふふっ、冗談だよ!サヴァランくんは、本当に面白い人だなぁ…!


ルオは鈴を転がしたような声で笑うと、『では早速〜』と言って……



なっ!?


俺 の 服 を 脱 が せ 始 め た



はいばんざーい





まっ、待ってルオ!!何するんだ!!





へ?何するんだって…ねえ?





……ああ、そうだったわ。ごめんなさいサヴァラン。伝え忘れてたみたい





伝え忘れてたって何!?何をどう伝え忘れたら俺は服を脱がせられるという状況に至るの!?





今回の演劇ね…貴方には主役を演って貰うから!





主役って!!……





……え?主役?


何仰ってますのん?



でも…ルオ、確かに、ここでサイズを測るのはやめた方がいいと思うわ。仮にも異性の前だし…





ここだけの話、サヴァランそういうことに体制ないから





あっ、そうなの?ごめんねサヴァランくん。僕そこまで気が回らなかったよ…





あの、待って。主役?俺が?なんで?





はーいサヴァランくーん、更衣室行こうか〜!そこなら安全だよ〜!





る、ルオ!待って!!これから役を完成させるなんて無理だ!!なんで長期で休んでたやつが主役任される流れになったんだよ!?アマンド!!アマンドおおおおお!!!





行ってらっしゃ~い♪


笑顔でヒラヒラと手を振るアマンドに、これ以上ない戸惑いの叫びを叩きつけたところで、教室のドアは無情にも俺を閉め出してしまったのだったーー。



…アマンドさん、あの、これ…





?





わぁ…!リーナ、すごく似合ってるじゃない!!可愛いわ!!





や、やめてください…恥ずかしいです…





もう、謙遜しないで自信もって!!やっぱり、私の見立ては間違ってなかったわね…





本当に似合ってるわよ、ジュリエット♪


第5幕
クローウィングオパール
La fin
閑話休題
