夜暮は細い腕を掴んだまま、青年に問いかける。



さっきの、何ですか?


夜暮は細い腕を掴んだまま、青年に問いかける。
田村 正志(たむら まさし)は、たしかに幹部の候補者リストに入っていた名前だった。
ただ、そこまでマークしてはいなかったのだ。
もしあの男が例の組織のトップだと、それが墨野のメッセージなのだとしたら……大きな収穫だ。
フードの青年は、ヘッドフォンから手を離すことなく言った。



誰かからの急ぎの手紙かと思ったんです。
たまたま人名のようになったから、もしかしたら暗号かと



夜暮は思わず手を離す。
そうだ、この青年はさっきまでヘッドフォンをして俯いていた。ついさっきまで夜暮の独り言も聞いていなければ、手紙を見てもいなかった。
この紙が暗号だということすら知らなかったのだ。
じゃあ、さっきの数秒で?
青年の手元には薄い飴色の紅茶が置かれていた。それを両手でそっと取ると、青年はカップに口づける。
その動作がひどく美しくて、夜暮はなぜかそれを見つめてしまった。



……じゃ、なくて


夜暮は再び青年に向き直る。



どういう暗号なんですか、これ





痛いので





え?


夜暮は今度は腕など掴んでいないし、そもそもさっきも痛いほどには掴んでいない。
不思議に思っていると、青年が紙片を取り上げた。



この紙、この向きで合ってますか?


ホッチキスの針が左上に来るように置く。真っ直ぐな部分は右側に来た。



たぶん……その向きで留めてあったから





なら、上と下、ですね


青年は細い指で、紙片の上と下の縁をなぞってみせた。



この二つの端は丁寧に千切られてます。たぶん適当に破りとったあとにこうしたんだと思います。
……急ぎの手紙だと思ったのは、それでです。
本当は綺麗に切り取りたかったのに、ハサミを使う事もできず、折り目をつける心理的余裕もなかったんですね


言われてみれば、横は適当なのに、上下は細かいギザギザになっていた。
爪を当ててちぎったかのような丸い形だ。



なぜ、こんなことをしたのか。
もしかしたら上下に見られたくない文章があったのかもしれません。
でも、それならば上の余白があるのだからもっと雑に千切っても良かったはず。まるまる一行分上を残す必要はないはずです。
僕は、これが暗号なら、この範囲を見せることが書き手の目論見だったのだと思いました





この範囲?





罫線五本分。……つまり、楽譜に見立てろと言いたいのだと思います





………………なるほど?


五線譜、というように、楽譜の線が五本であることくらいは夜暮も当然知っていた。
ト音記号の時の読み方も。



おそらく読み方はこの向きで、左から右。それで読むと……





ソ、ミ、ラ、ミ、シ、シ?


夜暮が言うと、青年は首を振った。



点に微妙にずれがあります。たぶんこれも大事なはずです


