昼下がり、リーフィは買い物を終えて、ちょうど道を通っていた。
　角をちょうど曲がろうとしたとき、むこうでどたんばたん、というけたたましい音がした。

　そうリーフィが思った直後、ばたばたという見苦しい足音がそちらのほうから聞こえてきた。ついで、情けない悲鳴が聞こえ、目の前に男が転がり込んできて、近くの樽に膝をぶつけて倒れこむ。

　転がり出てきた男は、打った膝を抱えて、それから戸惑っている彼女を見た。

　男はそういうと、リーフィの足にしがみつく。きゃあ！　と声を上げる彼女は、反射的に飛びついてきた男を蹴り飛ばしそうになる。ところが、男は早口にこういった。

　なんと、リーフィの足にしがみついてきた不埒者は、あの酒場にたむろしているシャー＝ルギィズその人だったのである。思いっきり蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、シャーの怯えようがかわいそうなので、リーフィは静かに足を彼の手から外した。

　男の乱暴な声と共に、角から大きな体の男が出てきた。

　シャーは、慌てて立ち上がるとリーフィにしがみついてくる。仕方なくリーフィは、シャーを背後におしやった。長身のシャーは、すっかり縮こまってリーフィの背中にほとんど隠れてしまっている。


　いつものように青いマントに青い服のシャーは、帯に一本の刀を差していた。本人は護身用だといっているが、それを振るう姿はおろか、抜いている姿すら誰も見た事がない。不思議な東洋の刀だというが、彼がどうしてそれを手に入れたのかはよくわからない。
　そして、そんな刀を持っていても、この状況を見ると、やはりシャーは、それを全く生かせていないらしい事がよくわかった。

　リーフィが冷静にきくと、シャーはおどおどした口調で言った。

　リーフィはため息まじりに言った。職業柄、酔っ払いと乱暴者をあしらうのになれたリーフィの頼もしい言葉をきいて、シャーはぱあっと顔を明るくした。

　全く情けない台詞をはきながら、シャーはリーフィの肩をつかみ、そっと影に隠れる。

　裏路地からばたばたと足音が聞こえる。舎弟を数人つれて飛び込んできた男は、リーフィの後ろからシャーのくるりと巻いた髪の毛が飛び出ているのを見て怒鳴った。かなりの大男で実に悪そうな顔をしていたが、声もそのイメージに劣らずなかなか大きな声である。

　シャーが背で縮こまったとき、リーフィは大男の顔を見て、つぶやいた。それをきいて、シャーは背を伸ばした。

　ついで、首をひょいとリーフィの後ろから出しながら言った。

　つい口が滑ったらしい。きっとバレンに睨まれて、シャーは慌てて口を閉ざした。

　シャーが後ろでこそこそと付け加える。だが、彼らの興味はすっかりシャーからリーフィにうつっていたようだ。

　さりげなくひどい事を言いながら、リーフィは頭からかかった布を髪の毛と一緒に跳ね上げた。

　リーフィは始終、凛とした口調で返す。シャーはそうっとリーフィの背から顔を出した。バレンは、近寄っていってリーフィの肩に手をかける。それをみて、シャーは、ああっと声を上げた。

　リーフィはぱんと手を跳ね除ける。

　バレンが不機嫌にシャーをにらみつけたが、今度はシャーも引かなかった。

　シャーは、バレンの足にすがりついた。

　すがりつくシャーを一瞥し、バレンは笑いを浮かべたまま、彼を思いっきり蹴っ飛ばした。

　リーフィの鋭い声で、バレンはシャーに次の一撃を加えるのをやめた。かわりに、地面に転がって、起き上がろうとしているシャーの背を踏みつけた。

　嘲笑いながら、バレンは彼を地面に押し付ける。

　ぎゃあぎゃあとうるさく騒いで、ばたばた見苦しくもがいているシャーを見て、リーフィは険しい顔をした。

　バレンは仕方がなく、足をシャーからどけた。助かったシャーは、ダメージからか、気力がなくなったのか、ばったりそこにへばったまま身動きをしない。

　静かなリーフィの迫力に、バレンは少し気圧されたのか黙った。シャーは、ぴく、と目だけを上に上げる。

　リーフィに言われ、バレンはぱっとその布切れをシャーの上に投げた。

　そういうと、バレンは、いくぞ、と周りのものに言った。彼らは、バレンがきびすを返すと、それぞれ嘲笑しながら去っていった。


　彼らが、角の向こうに姿を消したのを確認すると、リーフィはそっとシャーの方に駆け寄った。しゃがみこんで、様子を覗き込む。

　いうと、シャーは、のそのそと起き上がってきた。黒い髪には、土埃がついて茶色の粉がばさばさとついている。リーフィはその頭の財布らしい布切れをとってやる。
　シャーは起き上がると、髪の毛をはたきながらふうとため息をついた。地面を擦ったときについたらしい頬の傷には薄く血が滲んでいた。

　それから、急にシャーは顔を伏せてばつが悪そうに笑った。

　腰の刀を帯びなおして、柄を軽く叩く。ふっと顔を上げるシャーは、疲れたような顔で訊いた。

　シャーも彼なりには気にしていたらしい。リーフィは、彼の頬の傷から血があふれるのを見て、ハンカチを差し出した。

　リーフィは、そっとハンカチを渡す。シャーは、ありがと、と礼をいい、それからハンカチを受け取った。
　じっと、リーフィを見、彼女が不審そうにすると、シャーは視線を外す。

　追求されて、シャーは控えめに微笑んで、少しだけ戸惑う。

　シャーは、顔を拭きながらそっと顔を赤らめた。

　リーフィは、少し眉をひそめた。シャーがいつものように、言い寄ってきたのかと思ったからである。彼女は、冷々とした口調でそっけなくいった。

　人のよさそうな笑みを浮かべたシャーは、髪の毛をいじった。

　シャーは、珍しく、世話好きそうな顔をして、リーフィの返答を待っている。だが、彼女はゆっくりと首を振った。

　リーフィが言うと、シャーはいつもの元気を取り戻す。全く、シャーという男は、ころころと顔が変わる。
　リーフィが、それじゃあ、といってきびすを返すと、後ろからすぐシャーの声が追ってきた。

　ちらりと振り返ると、シャーはいつものように、軽い男に戻っていた。

　リーフィの背中を見送って、シャーはふうとため息をつく。頬をハンカチで押さえたままなのに気づき、彼はそれをそっと外した。

　血がついたのを見て、シャーは残念そうにつぶやいた。

　ちゃりん、と音が鳴る。財布の中の音ではない。シャーの手が刀の柄に当たった音だ。正確にいうと、彼はわざと鍔を鳴らしたのである。

不意に、奇妙な殺気がシャーのわずかに青い目に宿る。が、それは一瞬の事で、彼はそのままサンダルを履いた足を返した。




　リーフィと反対側に歩き出していくシャーは、すでにいつもの臆病な元のままのシャーだった。