泉で水浴びを済ませた私はポリーの待つ山小屋へと戻ってきた。
彼は小屋の入り口の段差に座って、焚き火を見つめていた。



ただいまもどりました。





……。





……?


いつもなら、おかえりと返事があるのだけれど、今日の彼はどこか様子が違った。
燃え盛る炎をじっと見つめたままで、私の帰りにも気付いていない。



ポリー?





……ア。


彼の前に手をかざすと、ようやく反応があった。



どうかなさいましたか?





イヤ……。


ポリーにしてはめずらしく言葉を濁す。



気ニシナイデクレ……。


なにか考え事をしているのなら、邪魔をしてはいけないかな……。



……はい。あ……お水、持ってきましょうか?


言いながら、小屋の中へ入ろうとポリーの脇を通り抜けようとしたところで――



リビュ……。ココに座ッテクレ。





はい……。


言われた通りに、ポリーの隣に腰掛ける。



……スマナイ。





え……えっと……。


突然謝られた私は、反応に困ってしまった。



話シテオクベキコトガ、アルンダ……。





はい。


ただならぬ様子を感じて、私は居住まいを正した。



ボクノ故郷デアル、シーユァヴェンタドール王国ガ、海の向コウノ国ト敵対関係にアルコトハ、知ッテイルカイ?





いえ……。


恥ずかしいことに、私はそういった国の情勢をまったく知らなかった。



王国ハ、ソノ敵国ト、モウ何年モ戦イ続ケテイルンダ。





そう、なんですね……。





ソシテ、今日……。


ポリーは遠くを見つめるように顔を上げ、続けた――



王国ノ、玄関口の街デアル「アグネスダリオン」ガ、オソラク……陥落シタ。


陥落……。侵略されてしまったということ?



今日ノ昼、遠クニ薄イ緑色ノ煙がアガッテイルノヲ、見タダロウ?


昼に泉の岸辺で洗濯をしている時に、彼と一緒にそれを見た。



アレハ、アグネスダリオンが使ッテイル、王国中央部ヘ救援要請ヲ合図スル為ノ“のろし”ナンダ。


私は呑気に「不思議な色の煙ですね」なんて言っていたけれど、
ポリーは全く違うことを考えていたんだ……。
思い返せば、それを見た時からポリーの様子はおかしかった気がする。
私は自分の無知さと鈍感さを呪った。



モシモ、アグネスダリオンが陥落シタノナラ、王国はカナリマズイ状況ニアルト考エラレル……。


ポリーは地面に落ちていた小枝を焚き火に放り入れた。
やるせない思いをぶつけるかのように、何本も何本も放り込む。
バチバチと弾けるような音が響き、火花が散る。



……ボクハ、王国はモット絶対的ナモノダト信ジテイタ。他国ノ侵略ナド許サナイ、強大な国ダト思ッテイタ。ボクがイナクテモ……。ボクガ逃ゲ出シテモ……。


人形には、嗚咽を漏らすなんてことはできないのかもしれない。
だけど、私には彼がつらい思いをしているのが容易に分かった。
ポリーの固く握り締められた拳を、両手でそっと包み込む。



故郷のことが、心配なんですね……。





……。


ポリーはうなずくだけで、なにも言わなかった。
ポリーの太い鉄製の無機質な腕――
それを見つめていると、彼の身体能力の高さを思い出す。
館で助けられた時のこと、山で木の実をとる時のこと、重いものを運ぶ時のこと……。



あ……。


そこで思い至る――彼がどうして造られたのかを。
ポリーの能力は人間のそれを軽く凌駕している。
そんな能力が、なぜ彼に備わっているのか――



ポリー……。あなたはもしかして……戦争をするために造られた兵士なのですか?





……。


ポリーは首を縦にも横にも振らなかった。
戦争に勝つためには人を殺すことも仕方ない……とまでは言わないけれど、
彼が兵士だったとしても、彼が人殺しだったとしても、私は軽蔑したりしない。
黙ったままのポリーの前にしゃがみ、彼の顔を正視する。



あなたが帰れば……王国は救われるのですか?





……分カラナイ。シカシ、チカラには、ナレルト思ウ。





……。





……。


帰る……。それはつまり、この生活が……。
自分で言ったくせに後悔しそうになってしまう。
無言の時間が過ぎた。
お互いに、相手がなにを考えているのか分かってしまって、それを言わせることをためらっている――そんな沈黙。
それでもいつかはその沈黙を破らないといけない。



だったら……。


先の言葉を引っ込めてしまいそうになる。けれど――
ポリーが悩んでいるのなら、
ポリーが故郷を心配に思うのなら、
私は言うしかない……。
彼に言わせることのほうが、彼から言われることのほうが残酷だ。



どうか……。どうか、お戻りになってください。





……。





私は、いつまででもここで待っていますから。


彼のいない生活に不安はあるけれど、孤独との戦いは慣れている。
きっと大丈夫だ。



……リビュ。……キミはボクニ、マタ勇気ヲクレルンダネ。





え?





ボクハ……戦ウノガ嫌ニナッテ逃ゲタンダ。一度死ニカケタノニ、無理ヤリ生カサレテ……。マタ戦争へと赴ク。ソレガ嫌ニナッテ……。





……。





ダガ、キミはボクに、ソレに立チ向カウ勇気ヲクレル。イヤ……。モウ、一ヶ月モ前に勇気ハ、モラッテイタ。





一ヶ月前に?





館でキミハ、ボクヲ必死に守ろウトシテクレタ。殺サレソウニナリナガラモ、ボクノ身体ヲ庇ッテクレタ。





それは――


結局はポリーに助けられた――そう言おうとしたが、手で制された。



キミにトッテ、恐怖ノ対象デシカナイ館ノ主に、キミハ立チ向カッタ。ソノ、リビュの姿ニ、ボクハ勇気ヲモラッタ。





いえ……あんなのは……。


あんなみじめな私の姿に勇気をもらうなんて……。そもそも、あれが勇気なのか、ただの無謀なのかすら分からない。



タダ、ボクは愚カダッタンダ。





……え?





キミに勇気ヲモラッタオカゲデ、ボクはコウ思ウヨウニナッタ――
戦ウ勇気もチカラもアルノニ、ボクはナニヲシテイルノダロウ。王国ノミンナは、今モ戦ッテイルトイウノニ……。





……。





ボクは……逃ゲ出シタクセニ……幸セにナッテ良イノダロウカ……。


幸せと言われたのに、素直には喜べなかった。こんな話の中でなかったら、きっと大喜びしているのに。
ポリーの話を聞いている内に、寂しさが顔をもたげてきたようだった。



ポリー……。





ホントウニ、ボクは未熟ダ……。


ポリーはうつむいて、ハハ……と乾いた声を発した。
それはまるで自嘲するかのようだった。
だが、すぐに顔を上げ――



ケレド、決心ガツイタ。





……。





ボクハ、王国のミンナト共に戦ウ。


はっきりとそう言った。
毅然としたその様は、頼もしいものだった。



ソシテ……胸ヲ張ッテ、キミのモトヘ帰ッテクル。





……。


色々な感情が頭の中を駆け巡り、
行き場を失った寂しさが涙となって溢れてしまう。



ご……ごめんなさい。私……私が自分で、戻ってくださいと言っておきながら……。


まったくもって言葉の通りだと思うが、考えはいったりきたり……。
やっぱり行かないでほしいと言いたくなってしまうのを必死に堪える。
ポリーも私の気持ちを察しているのだろう、
ただ黙って、私の涙を拭ってくれる。



約束ですよ……。





アア、約束シヨウ。


私は無理やりに笑顔を作って、ポリーに言った――



絶対に、帰ってきてくださいね。


ポリーがいなくなってからも私は、
家事や散歩を彼がいたときと全く同じようにしていた。
けれどそれは、私が“いない彼”を想像して、
ひとり遊びをしているだけにすぎなかった。
当然のことながら、寂しさはつのるばかりだった。
そうして過ごして一週間が経った――
昼下がり、小屋の前に座ってポリーの去ったほうを眺めている時だった――



あれは……。


一台の馬車がまっすぐこちらに向かって走ってきた。
よく見ると馬車を操っているのは甲冑を着た兵士だった。



もしかして……王国の馬車……。


気付けば私は立ち上がっていた。
ポリーが帰ってきた――
想像よりもずっと早く帰ってきてくれた――
胸を高鳴らせ、近くに停まった馬車に駆け寄った。
しかし、降りてきた兵士たちの中にポリーの姿はなかった。
馬車の中にいて、まだ出てきていないだけなのか……。
それともこの馬車には乗っていないのだろうか……。
おろおろする私をよそに兵士たちは、なにやら話しはじめる。



ここで間違いないのか?





おそらく合っている。この小屋は話にあったものと一致する。





ということは――


彼らは、私を可哀想なものでも見るかのような目で見てきた。



あ……あの!


いても立ってもいられず、私は彼らに声を掛けた。



ポリーは……? ポリーはどこですか!?





ポリー?


誰だそれは? ――彼らは、そう言わんばかりの顔をする。
けれど、ポリーのこと以外でこんなところに王国の兵士が来るはずはない。
それを言って伝わるのか分からなかったが、私は言った――



えっと……あの、動く人形の……。


すると、彼らはなにかを納得したようにうなずいた。



間違いない。この少女だ。


そして、私に怖い顔を向けてくる。



わ……私……ですか?


急に彼らのことが怖くなり、私は後ずさった。
一歩、彼らが足を踏み出す度に、私も後ろに引く。
胸騒ぎがした――
まずいことが起ころうとしている――
そう思うや否や、私は駆け出そうとした――が、できなかった。
兵士の腕が私の腕をがっちりと掴んだのだ。



は……離してくださいッ!





大人しくしろ。





いやッ! やめてください!


私が手を振りほどこうともがいても、どんなに叫んでも彼らは眉根を寄せるだけで、ピクリとも動かない。
そして冷たい響きのする声でこう言った――



お前を拘束する。悪く思うな。





きゃッ。


短く悲鳴を上げたのを最後に、私は布袋を頭から被された。
口の部分をなにかできつく縛られ、呻き声を上げることしかできなくなってしまった。
すぐさま手足の自由も奪われる。
そして、そのままどこかへ運ばれはじめた……。
真っ暗闇の中、私はずっと考えていた。
なにが起こっているのか。
どうしてこんなことになっているのか。
私はどうなってしまうのか……。
助けて……。
ポリー……。
目が覚めると、そこは牢獄だった。
私は、その床に無様に転がっていた。
手足を拘束していたものも頭を覆っていた布袋もなにもなかった。
服の上から縛られていたからか、幸いなことに手首にも足首にも傷跡はなかった。



ここはどこなの……?


視界を奪われても、馬車に乗せられたのだということは分かった。
しかし、それ以外はなにも分からなかった。
馬車に乗せられてすぐに意識が遠のいてしまい、このザマ。
冷たい床に頭をつけて倒れているなんて、まるで館に戻ったみたいだ。
起き上がり、周囲を見渡す。
石造りの床に天井に壁、鉄の柵。それだけしかない寂しい空間。
館のお仕置き部屋の一角を思い出した。
あそこにもこんな小さな檻があった。



……ッ!


寒気を覚えて、私は自らの両肩を抱いた。
鉄柵の向こうには、似たような檻がたくさん並んでいたが、
誰も入っていないのだろう、辺りはしんと静まりかえっていた。
一番奥には牢屋への入り口であろう鉄扉が見えた。
傍には牢屋の番をしているのだろう兵士が立っている。
鉄扉と私の入っている檻が向かい合っているせいで、
その兵士の視線を一身に受けてしまう。
距離がある上に鉄柵越しとはいえ、この上なく居心地が悪かった。



……。


せっかく館を抜け出したのに……。
せっかく自由を手に入れたのに……。
せっかくポリーと幸せになれると思ったのに……。



せっかく……。


結局、私は薄暗くて狭い部屋がお似合いだということなのか。
それも納屋ではなく、お仕置き部屋のような……。
またポリーと一緒に泉のほとりで暮らしたい。
帰ってきてくれると約束してくれた。
それなのに、私があそこにいなかったら……。
ポリーが帰ってきた時、私がいなかったら彼はどうするだろう?
きっと探してくれるだろう――
その姿を想像すると、胸が締め付けられる思いだった。



ポリー……。


涙がとめどなく溢れてくる。
雫が薄汚れた地面にこぼれ落ちて消えていく。
幸福が私の身体から抜け落ちて失くなっていく。



ぅ……ぇっぐ……。


涙が溢れる度に痛いくらいの悲しみが襲ってきた。
床に突っ伏すようにして、ひたすら泣き続けた。
だから、近くで足音がしても私は全く気付かなかった。



小娘……。


低い男の人の声――
その声に顔を上げると、鉄柵のすぐ向こうに中年の細身の男が立っていた。
その男はおもしろいものを見るように私をじっと観察している。
私は涙を拭い、鉄柵へ近づいた。



……私を……ここから出してください。


その男が誰なのか分からないが、とにかく解放されたくて、望みを伝えた。
けれど、男は首を横に振り――



それは無理な相談だ。


きっぱりと言った。そこには私に対する哀れみなど一切ないように感じた。



国家の機密を知ってしまったお前が悪い。





……。


言われたことの意味を考えて、ポリーが言っていたことを思い出した。
――ボクの存在は機密事項だから。



でも……私はそれを誰にも言ったりしません……。





それは分からない。女というのは口の軽い生き物だ。


そう言って軽蔑するような視線を向けてくる。



私が悪い……というのは……どうしてなのです?





悪いものは悪いのだから仕方がない。





……。


館にいた頃と同じ扱い……。
私という存在はやはり生まれながらにして奴隷なのだろうか。



さてと――
話を聞かせてもらおうか?
「自立機動式機械人形」について……。





じりつ……?





お前が憲兵に“動く人形”と言っていたモノのことだ。





モノだなんて言わないでください! ポリーはモノじゃありません!


私の声が牢屋に響き、男は迷惑そうに顔をしかめた。
悲しみで満たされていた私の心に、怒りの感情が沸き上がってくる。



ポリーと呼んでいたのか。


男は鼻で笑った。



いけませんか?





いや……。無礼な娘だと思っただけだ。





無礼……?


それは私が奴隷だったから、彼をポリーと呼ぶのが無礼だと――
そう言っているのだろうか?
だけど、そんなことをこの男が知っているはずはない。
それとも奴隷には一見しただけで奴隷と分かってしまうなにかがあるのだろうか。
考えても分かるはずもなく、男の次の言葉を待った。



……そうか。知らないのか。


そして、その答えは私の想像をはるかに超えたものだった――



ポリプテルス・エンドリケリー王子。それが彼の本当の名前だ。





……え?


それは私の知っているシーユァヴェンタドール王国の王子の名前だった。



王子をモノ扱いする私もひどい無礼者だが……。


男がなにか言っていたが、それは聞こえていなかった。
ポリーが王国の王子……。
どういうことなのかさっぱり分からない。
私は混乱しそうになりながらも、おかしな点に気付いた。



こうは言いたくないけれど……動く人形が王子だなんて……。そんなことは……有り得ないはずです。





それが有り得るのだよ。


男は嘘を言っているようには見えなかった。
本当にポリーが王子なのだろうか。
そうだとしたら、この男の言う通り、私は無礼をたくさん働いてきたことになる。
それこそ処罰されてもおかしくないくらいに。
ポリーが急に遠い存在に感じた。
本当は私なんかが関わっていい方ではなかったのか……。
だけど思い浮かぶのは、あの優しい、私の知っているポリーの姿だった。



そんなことよりも、私はお前に話を聞きに来たのだ。これからの研究に役立つ情報が欲しい。





……情報?





ああ。機械人形――いや、王子はどういう生活をしていた?





王子……ですか……。


男はひとつ回答をすると、またすぐに次の質問をしてきた。
運動能力はどうだったか、会話は普通にできたか、心はあるように感じたか……。
半ば放心状態だった私は、うわ言のようにそれに答えていた。
ポリーと過ごした幸せな時間を思い出しながら……。



……なるほど。参考にはなるな。完成させて間もない時には――





完成させて? あなたが……造ったのですか?


すると男は得意げに言った。



造ったのではない。王子を改造したのだ。





王子を……?


そのひと言が気になって、私は聞き返していた。



……まさかとは思うが、王子が生まれた時から機械人形だったと……そんなことは思っていないな?





生まれた時から? 王子はあなたが造り出したと先ほど……。


それを聞いた男はクスクスと笑った。



もとは生身の人間だ。





人間……。


そのことに関しては私はなぜかあまり驚かなかった。
ポリーのあたたかみのある心遣いが、
人間以上に人間らしかったからなのかもしれない。
いや、あたたかい人間に会ったことのない私のあたたかい人間の理想像、
それを彼に重ねて、そこに人間味を見ていたのか……。
今となっては、本当にそうなのか確かめようもないけれど。



王子は一年前の戦争で重傷を負い、死ぬはずだったのだ。





……死ぬ?





だが、そうはさせなかった。機械人形に改造してでも生かす必要があった。王子が望まなくても……だ。
正確には――王子の身体を改造したのではなく、王子の精神の宿る器を私の開発した機械人形に移植しただけなのだが。


ポリーは、無理やり生かされて――という表現を使った。
それはこのことだったのか。



あの王子は考え方がまだまだ幼稚で、自身の存在の重要さがまるで分かっていなかった。死に逃げようとした。





……。





どうした? 我々を残酷だと思うか?





私だったら……そのまま楽にさせてあげたいです……。もとから人形なのではなく、人間だったのに人形にされてしまうなんて……。そこまでして生かされるのは……。そこまでして戦わされるのは、酷い……と思います。


最後のほうは消え入るような声になってしまった。
なぜなら、ポリーは結果的には自ら戦うことを選んだから。
そして、人形になっていなかったら、私が彼と出会うこともできなかったから。



王子と同じで幼稚だ。民衆や兵士には象徴が必要なのだ。現に今、王国は王子の復活に沸き立っている。ずっと療養中とされていた王子がまた表舞台に立ったのだから。


男の口調に熱がこもる。身振り手振りを織り交ぜはじめる。



身体はあんな人形でも、顔を隠し、エンドリケリー家の甲冑を装備させ、彼が闘神と呼ばれる所以となった剣技を見せつけてやればいい。まさか中身が人形だとは誰も思わない。機械人形の存在は王国上層部の人間でも一部しか知らないのだから。私の開発物が民衆を操るというのは、実に気持ちがいい。だからこそ――


嬉しそうに語っていた男の目が不意に冷めたものに変わった。



お前は処分されるべき存在なのだ。





……。


処分というのは、おそらく殺されるということ。
しかし、自分自身の死というものは現実味がなく――
それよりもポリーにもう二度と会えないかもしれないことのほうが、
私にとってはよっぽどリアルな恐怖だった。



お前は機械人形について知り過ぎてしまった部外者だ。だが、お前しかしらない機械人形の一面というものもあるかもしれない……。その話を聞くために、もうしばらくは生かしておいてやる。


男の口ぶりは感謝しろと言わんばかりだった。
それに対してなんの反応も示さない私が気に食わなかったのか、
男はくるりと踵を返した。
その背中に私は声を掛けた。



待ってください……。


どうしても聞いておきたいことがあったのだ。



ポリーは……今も生きていますか?


あまり不安に思ったりはしなかったが、
想像ではなく、確証がほしい。



……当たり前だ。


振り返った男の顔は怒っているように見えた。



半永久に生きられる完璧な身体だ。壊れるなんてことはあってはならない。完全に壊されるような戦い方は、私が許さない。





……そうですか。


不愉快そうな男とは反対に、私は安堵のため息を漏らした。



また来る……。


男が去ると、牢内には再び静寂が戻った。
やがて、牢番の兵士が私に食事を持ってきた。
だが、私がそれに手をつけないのを見て、すぐに持って帰った。
なにも食べる気など起きなかった。
檻の隅に座り込み、ポリーのことを考えていた。
彼が王子であること。人間であったこと。人形にされてしまったこと。
ポリーはそんなことをおくびにも出さず、私と一緒にいてくれた。
私をなぐさめてくれた。私の力になってくれた。
私を助けてくれた。私に幸せを与えてくれた。
私は、ポリーの世話になってばかりだ。



ポリー……。


もう何回その名前をつぶやいたことか。
思い出す楽しかった泉の小屋での暮らし。
岸辺を散歩しながら魚を観察して、森で木の実やキノコを探す。
一緒に料理をし、洗濯をし……。
そういえば、ポリーは洗濯が大嫌いだった。
洗濯をする時には、たいてい一枚しかないシーツを私が羽織った。
そのせいで彼はなにも身に纏わず、膝を抱えて小さく丸まっていた。
その恥ずかしそうにする様子が可笑しくて、いつも私は笑ってしまった。
ささいな出来事のひとつひとつを鮮明に思い出すことができる。
思い出すだけで少し身体の奥にあたたかいものが宿る気がした。
けれども、思い出せば出すほど込み上げる涙を抑えられなくなってしまう。
結局は、ポロポロと涙を流してしまう。
幾粒もの雫が床に落ち、染みになっていく。



ポリー……。


涙が涸れる頃には、私の思考は完全に疲弊しきっていた。
王子様なら奴隷の私のことなんて忘れてしまう。
人形なら半永久的に生きられるから、いつかは私のことなんて忘れてしまう。
私がいなくなっても、ポリーは……。
そんなことばかり考えてしまうようになっていた。



もう……疲れた……。


座っているのもしんどくなり、私は地べたに身体を横たえた。
すると、なにかが私の顔にかかった。



……リボン。


それはポリーが私にプレゼントしてくれたピンク色のリボンだった。
もう一度起き上がり、私はそれを結び直した。
それをもらった時の記憶がよみがえる。
私は子供のように喜んで、リボンを結わえた自分の姿を何度も水鏡に映した。
ポリーの前では、私は自然な自分でいられた。
自由というのは、自分が自分であることだと知った。
色々なことを教えてくれる彼に――
人間より人間らしい彼に――
あたたかな彼に――
会いたい。
一緒にいたい。
様々な感情や願いがぐちゃぐちゃに混ざっていた私の心。やっと私は、そこからひとつの純粋な想いをすくいとった――



あなたが、好きです……。


私はポリーに恋をしていた。
こんな薄汚い牢獄で、恋に気付いた。



ポリー……。


あなたが王子様でも、人形でも、なんでも構わない。
あなたが、好き。



だから……お願い……。
私のもとへ帰ってきて……。


きみのもとへ帰ってくる――
そう、約束してくれた……。



……約束、守って――


その時だった――
牢屋の鉄扉が勢いよく開かれた。
牢番の兵士が慌てたように剣を抜いたが、入ってきた人物に軽々と突き飛ばされる。
その人物――
いや、その人形は、ポリーだった。
思わず檻の鉄柵にしがみつき、身を乗り出してしまう。



リビュ……。


ポリーは私のほうへ真っ直ぐ歩いてくる。
しかし、倒れていた兵士が立ち上がり、
あろうことか剣を掲げてポリーの背中に切りかかった――



ポリー! あぶ――


だが、私が言い終わる前にその兵士はまたもや地面に突っ伏すこととなった。
ポリーは身体を半回転させ、
振り下ろされた刃を片手で掴むと、
反対側の手で兵士の頭を握り、
そのまま床に向かって叩きつけたのだ。
音がしたのかすら覚えていない。それほどに一瞬の出来事だった。
兵士が顔を上げ、ポリーを睨み付けるようにして言う。



なんだお前は……! 摂政ダーイコンマール様の命によって、この牢は封鎖中である……。これは反逆罪にあたるぞ!


兵士の言葉を最後まで聞き終えたポリーは、彼を見下ろして毅然と言い放った。



私ハ、ポリプテルス・エンドリケリー王子デアル! 汝の摂政ヨリ与エラレタ任ヲ解ク。スグにコノ場ヲ立チ去レ!


銀色に輝く甲冑を身に着けた堂々たるその姿は見違えるように凛々しく、つい私は見惚れそうになってしまった。
兵士は信じられないものを見るような目でポリーを見て、落とした剣を拾い、逃げるように駆け出した。
その姿が扉の向こうに見えなくなると、ポリーは足早にこちらへやってきた。



……スマナカッタ。リビュ。
戦いガ長引キソウダッタカラ、キミへ迎エヲ出シタンダ……。ソウシタラ摂政ガ勝手ナコトヲ……。本当にスマナイコトヲシタ。


摂政というのは、さっき私の元へ来た男の人のことだろうか。
だけど、今はそんなことはどうでもよかった――
私が捕まったことも、ポリーが王子であることも、なにもかも。
ポリーが来てくれた――
私の頭の中はそのことでいっぱいだった。



ポリー……。


涸れたはずの涙がふたたび流れ始める。



スグに開ケル……。


檻の前にやってきたポリーは鍵を壊し、扉を開いた。



コンナ牢獄ハ、キミに似合ワナイ。





リビュ……。


彼はそっと私に手を差し出してきた。
私はその鉄製の大きな手に、小さな自分の手を添えた。



ポリー。





マルデ出会ッタ時ト逆ダ。


言われてみると、そうだった。
私がポリーに手を差し出して、
ポリーがその手をとって――
それが私たちの出会いだった。
牢を出た私はポリーに連れられて城の庭園に向かった。
自分が城にいたことすら知らなかった私は、
ポリーに様々なことを説明してもらいながら階段を上っていた。
城の構造について、戦いはどうなったのか、などなど……。
ポリーがどうして王子であることを隠していたのか――
それについて話す時のポリーはどこか恥ずかしそうだった。
私との仲が深まるにつれて言い出せなくなっていったのだとか。
やがて――



ココダヨ。


階段を上りきると、すぐ先に木製の扉があった。
ポリーは分厚いその扉を押し開ける。



オイデ、リビュ……。


そう言って、私を庭園へと招き入れてくれた――



すごい……。


感嘆の声が漏れるのは当たり前だった。
そこは雲の上なのではないか――
そう思ってしまうほどに青空に近い場所にあり、
街を、森を、世界を一望できた。
地面にはたくさんの花が咲き誇り、
鳥や蝶たちがワルツを踊るように舞っていた。



城ノ最上階、空中庭園ヘ、ヨウコソ。


私は疲れているのを忘れて、辺りを駆け回ってしまう。
手すりギリギリまで行き、全てが小さく見える不思議な景色を眺め、しゃがみこんでは見たことのない花を観察した。
そんな私を、ポリーは扉の横に立ったまま見つめていた。
彼の顔はその造形のせいなのか、私には笑っているように見えた。
まるで泉でのあの暮らしが戻ってきたようだった。
はしゃいでしまう私をポリーが見守って……。
だから私は、
そばにやってきたポリーにこう言った――



約束を守ってくれて、ありがとう。





イヤ……。ボクのセイデ、リビュをマタ危ナイ目に……。





いいえ。ポリーは、また私を助けてくださいました。


そう言ってポリーに微笑みかけると、彼は真っ直ぐこちらを見つめて言った。



助ケラレタノハ、ボクノホウダ。





ポリーが?





ボクハ、キミと出会ッタオカゲデ、自分ノ運命と向キ合ウコトガ、デキタ。ダカラコソ、ボクはコウヤッテ、キミのモトヘ胸ヲ張ッテ帰ッテコラレタ。





そんなこと……。





ボクノ心ヲ救ッテクレタノハ、キミダ。


そんなことを言われると、じわりと涙が瞳に浮かんでしまう。
感謝するべきは私だ――



私は……。


私はあの牢の中で気付いたたくさんの気持ちを伝えようとした。
けれど、どうしてか言葉が出てこなかった。
感謝の言葉をたくさん伝えたい――
あの“想い”を伝えたい――
そう思うのに、私は言葉を忘れてしまったかのように、なにも言えなくなってしまった。
すると、ポリーが口を開いた。



ボクハ、半永久的に生キラレルラシイ。


それは寂しいことのような気がする。
しかし、今のポリーにはその寂しさが微塵も感じられない。
その代わりに、なにかを決意したような、確固たる意思が感じられた。



ダカラ、ボクハ、
キミの一生ヲ守り通スコトガデキル。





……。





キミノオカゲデ、
ボクが生キ続ケルコトニ“意味”が生マレタ。





それは……。


それはまるで……。私のことを……。



コノ城デモ、アノ泉デモ、ドコダッテ構ワナイ……。マタ、一緒に暮ラソウ。苦難はタクサンアルカモシレナイガ、ボクがキミヲ守ル。





はい……。





リビュ……。


ポリーは私の前に片膝をついてしゃがみ、
こちらを見上げ――
その言葉を私にくれた――



ボクノ嫁にナッテクレ。





ぁ……。


夢心地というのだろうか――
いま起こっていることが、現実のものなのか信じられず、
私は呆けたように、立ち尽くしていた。
そんな私の手を彼は優しく握りしめる。
そして――
そこへ、キスをした。
そのひんやりとした感触に、私はこれが夢ではないことを知る。



……ポリー。





ナンダイ?





もう一度……。もう一度言ってくれませんか?


ポリーはうなずき、私の顔を真っ直ぐに見据える。



リビュ……。





はい……。





ボクと結婚シテクレ。


ああ、やっぱり夢じゃない……。
私は彼のその言葉を何度も頭の中で繰り返し、
しっかりと噛みしめ、



はいっ。


満面の笑みでうなずいた。
その弾みで涙が流れてしまったけれど、気にしない。



ポリー……。


もう一度私にキスをくれるポリーに、私は言った――



あなたが、好きです……。


庭園の出口へと歩く途中――
私はいとおしむように手の甲をそっと撫でた。
ここに彼が……。
思い出すと、恥ずかしくなってしまう。
私のその様子を見てか、



スマナイ。冷タカッタカイ?


ポリーは心配そうにこちらを覗き込んできた。
そんな彼の優しい勘違いも私は好きだった。
つい笑みがこぼれてしまう――



ふふっ……。冷たいですよ……。
だけど――
とても、あたたかいです。


                    
―奴隷少女と機械人形の王子―
企画・脚本:
よしのよしゆき
キャラクターデザイン:
大根丸(リビュ)
モーセル(ポリー)
スペシャルサンクス:
背景素材を提供してくださった絵師様
ストリエ運営スタッフ様
全ての読者様
制作:
nostalgia
fin

good job
awesome!! :D