五
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ウシュルの森を抜けた分かれ道の手前――。
リーシャがいくら訴えても、ダイは頑として首を縦に振らなかった。
分かれ道は東西に伸びていて、東にしばらく歩けばリーシャの住む町が見えてくる。
反対に西に二時間ほど行けば、街道沿いに海が臨め、そのままさらに歩けば定期船が発着する港町にたどり着く。



ここでお別れだよ


そう言って背を向けるダイに、リーシャは食い下がった。



どうしてダメなの? レモニストンを目指すなら、一緒に行ったってかまわないじゃない?


森の外に出るまで、リーシャはそのセリフを何度口にしたかわからない。
魔獣を倒したあと、これからどうするのかと尋ねたリーシャに、ダイはマルゼ大陸のレモニストン公国という、海の向こうの遠い国へ行くことを告げ、リーシャを驚かせた。
その国の名は、リーシャにとっても特別なものだったから。通うことを夢見た、憧れの魔法学校を擁する国だ。



レモニストンは魔法学の先進国だから、優れた魔法師が多い。そこに行けば、俺をひとの姿に戻せる魔法師だっていると思う





もしそれが難しくても、俺をこの姿に変えた魔法師の情報くらいは手に入るはずだ


だからここから港町に向かい、マルゼ行きの船に乗りこむつもりだというダイの言葉に、リーシャは居ても立ってもいられなくなった。



わ、わたしも一緒に行く! レモニストンでわたしは魔法学校に入りたいの!


意を決して告げたリーシャだったが、ダイの返答はつれないものだった。



……一緒にはいけない


そのあとも、森を歩きながら何度も同じやりとりを繰り返した。



一緒にレモニストンへ





それは無理だ


平行線のままついに森を抜け、ふたりは分かれ道の手前に立っているというわけだ。
旅の同行を許さないダイを、リーシャは恨めしげに睨んだ。



けち犬





け、けち犬って、君ねえ……


ダイはやれやれと言った様子でため息をついた。
リーシャのほうへ顔を向け、諭す口ぶりで言う。



だから何度も言ってるじゃないか。俺は魔獣の呪いを受けた身。一緒にいたらさっきみたいに魔獣に襲われかねない。危険なんだよ





またふたりで協力して倒せばいいじゃない?





今回はたまたまうまくいっただけさ。実際、君の護りの魔法が発動しなかったら、君は命を落としていたかもしれない


ダイはそのときのことを思い出したのか、うなだれた。



君を危険な目に合わせない、守ると約束したのに……。どうやら俺は慢心していたみたいだ


自嘲するダイ。



この身で自分以外の誰かを守るのは、難しいことだったんだ


そう言ったダイは、本当に非力な普通の犬に見えて、リーシャはなおさら彼をひとりで旅立たせたくないと思った。
わたしがダイの役に立てるかどうかはわからない。これってただのおせっかいかもしれない。
でも魔獣の呪いを八つも残したダイへの心配は、どうしても無視できなかった。
ここで別れてしまったらきっと後悔する。二度とダイと会えないのではないか。
そんな予感めいた不安に、リーシャは簡単には引き下がれない。
だがダイが首を縦に振らないのは、リーシャの身を案じてのこと。そこに嘘はない。あったらリーシャにはわかる。
リーシャの同行を拒否するのは、純粋にダイの優しさだ。それを思うと、リーシャは反論のしようがなくなった。
リーシャの顔が曇ったことに気づいたのか、ダイは明るく彼女を励ました。



一緒には行けないけど、君がレモニストンへ行って、魔法学校の門を叩くのには賛成だよ。君ならきっと、そこで魔法師への第一歩を踏み出せるはずさ


ダイはどことなく饒舌だ。リーシャに口を挟む隙を与えないようにしているのかもしれない。



ああ、そうだ。オルビン子爵の件。レモニストンに行くならとくに気にしなくていいと思うけど、心配なら王都のグランテット侯爵に陳情してから向かうといい





俺の親友でね。俺が今こうなってることもあいつだけは知っている。犬のダイの紹介だと言えば、うまく取り計らってくれるはずだ


それはダイからの餞別を意味している。
その気遣いはうれしいが、本当に一緒に旅をする気がないことが伝わってきて、リーシャの胸はつまった。



さて、そろそろ行くよ


ダイは再び西の道へ足を向けた。
森の中でリーシャを乗せてくれた背中は、今は少しよそよそしく見えた。



待ってよ……ダイ


ダイはリーシャを見ないまま、首を横に振った。



さよなら、リーシャ。魔獣の呪いを解いて、俺がひとの姿に戻ったらまた会おう。レモニストンで


そんな日が来るのだろうか。
リーシャは素直にそれを信じることができない。が、ダイ自身は心からそう思っている。
嘘偽りだったら、きっと本当の心の声が伝わってくるはずだから。
ダイが歩き出す。
一緒の旅を望むのは、わがままかな。



わたしは……


リーシャはダイを見送りつつ、口の中で呟いた。
わたしは一緒に行きたい。
ダイが心配だから。ダイがいてくれたらわたしも心強いから。
それを望むのはダメなこと?
諦めなくちゃいけないこと?



……諦める?


リーシャは頭をぶんぶん振った。
魔獣との戦いの最中、諦めないことを誓った、あの瞬間の意志のほとばしりがよみがえった。
ここで諦めちゃいけない。今ここで諦めることは、あの時の自分に嘘をつくことだ。
嘘はつくなんてまっぴら。本当の心を裏切りたくない。
わたしは誓ったのだから。
意志の強さでどんな困難にも打ち勝ち、不可能さえ可能にするくらいの気概をいだき、夢に向かって進んでいくことを。
お母さんのナイフに誓ったばかりだったのに。



リーシャのバカ。しっかりしなさいよ


小声で自身を叱咤し、リーシャは数歩先のダイに駆け寄った。



ダイ! ダイ、待って!


ダイを引きとめたい一心で、とっさにその尻尾をつかんだ。



はあぅ


聞いたことのない声をもらして飛び上がるダイ。
でもリーシャは彼を逃がしてたまるかと尻尾を離さない。



ちょ、君、尻尾はやめてくれないか。そこ、意外に敏感で――


身悶えるダイをよそに、リーシャはまくしたてた。



ダイ、やっぱりわたし、あなたと一緒に行くわ。今のわたしはあなたの助けにならないかもしれない、あなたに迷惑をかけるかもしれない





でもわたしもあなたを守りたいの。ダイの声を聞いてあげたいの。ううん、わたしが聞きたい。そうしたい。これはわたしのわがまま。でも紛れもない意志よ





ダイがひとの姿を取り戻すまで、わたしがあなたの声になるわ


リーシャは一息ついて、ダイの目をまっすぐに見返した。



わたしは、わたしの意志を嘘にしたくない


呆気にとられた様子で聞いていたダイは、しばらくして嘆息した。



君は頑固者だ





ダイが、うんと言うまで尻尾、離さないわよ





それは困るな


ダイは苦笑いし、降参するみたいに耳を折り曲げた。



旅の支度をしてきなよ。世話になった君の叔父さんと叔母さんにもちゃんと事情を話して、別れの挨拶をしてくるべきだ





ダイ、それって……





一緒に行こう、リーシャ。
昼過ぎのマルゼ行きの船に乗るから。港町で落ち合うことにしよう


ダイは笑顔で言った。



約束だ


つづく
