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星が運命を導くのなら、きっと人には窺い知れない。
見える星よりも、見えない星のほうが、遥かに多いのだから。


猫屋敷棗(ねこやしき なつめ)を説明するのは難しい。彼女は作家であり、アイドルであり、大学生だが、それは単に事実を列挙したに過ぎない。星が並んでいるだけの写真を見せて、これが何々座でございますと口上を述べるようなものだ。点を線で繋ぎ、物語を伝えることで星座は初めて星座となる。



今日の私のホロスコープに、迷える星がどうやらひとり。
いらっしゃい、惑星さん。ご用は何かしら?





あの……お話ししてもよろしいですか。


カーミラと棗を繋ぐ線、それは共に所属する芸能事務所Z.V.である。



今、舵を切ろうとしています。灯台もない、暗い海の中を。どうか私の、いえ、カーミラの澪標(みおつくし)になってはいただけませんか。





澪標? 私が? 出来るかどうかわからないけれど、あなたがそれを望むのなら。


カーミラが棗を相談相手に選んだ理由は三つある。第一に、自分より年上であること。第二に、作家として実績があり知見に富むと思われること。最後に、どこか空中を歩くようなその言葉を聞くと、不思議に気分が落ち着くからだった。



あなたの物語は、あなた自身が書くもの。あなたはそのことを知っている。





はい。





同時に、あなたは誰かの物語の登場人物。あなたはそのことも知っている。





はい。





読者の物語の中では作家、ファンの物語の中ではアイドル、教授の物語の中では学生、これらすべてを織り合わせても、その隙間から次々とこぼれてゆくものが私。今はただ、猫屋敷棗という文字の鎖で、かろうじて繋ぎ止められているだけ。





……。





あなたは?





私は……夜の国の王、吸血鬼カーミラです。





それは誰の物語?





私の歌を愛してくれる、すべての人々にとっての。





あなたの物語は?





歌を通して、そうした人々のお役に立ちたい。
それが私の物語……でした。





でも、今は違う。





はい。
私は……ある人の物語になりたいのです。





どうして他人の物語になりたがるのだろう。常にすでに、皆が皆の物語の一部なのに。
でももしそれが、想い人だったら。





そう……です。





だから、あなたは恐れている。誰か一人の物語になることが、他のすべての人の物語にいる自分を壊してしまうと。





はい。





でも、あなたの歌を愛してくれるみんなの物語は、そんなに弱いもの?





えっ……。





あなたもまた、あなた自身の物語の、隙間をぬってこぼれてゆき、それはどこまでも流れていって、あるいは天の河の砂に、あるいはどこか軽便鉄道のシグナルになって、列車のために明滅するのかもしれない。





……。





そのようにして河は流れ、列車は走る。
物語を運ぶ、それ自体が物語。
壊れたりはしない。あなたが望もうと望むまいと、物語は形を変えながらそこにある。





……よくわかりません。





ごめんなさい。説明は苦手なの。
でもどうか、
耳を寄せて。あなたのこぼれてゆく音に。
目を向けて。物語が照らす先に。
手を触れて。あなたが想う人の想いに。


会話はそこで打ち切られた。編集者との打ち合わせがあるからと、棗は控室を出てゆく。



……ありがとうございました。


他に誰もいない部屋で、カーミラは一人頭を垂れた。
この日の仕事を終えた家路の途中、カーミラは駅前の新古書店に立ち寄った。近頃ある目的から度々通っている。しかしこの日、目的の品は見つからなかった。



大体買い占めてしまいましたね……。


諦めて帰ろうとしたとき、ふと店員同士の会話が耳に入った。



こないだのシフトのとき来たお客に何か見覚えあるなーって思ったんだけど、あれカーミラだ。間違いない。





マジで!? カーミラ様が!?
怪奇本とかデスメタルとかそういうのをお求めだったんだろ?





あっ……。


本棚の影に身を隠す。状況が許せば魔王スタイルでファンサービスとしゃれこむこともあるが、今はそうではない。



いや、それがさ、古いアイドルのベスト盤とか、そういうのばかり買ってったんだよ。





え、なんだそれ。





そんなに意外か? まあヴァンパイアアイドルだっけか、イメージとはかけ離れてるよな。





……。





うん、さすがに面食らったけど……待てよ、もしかして新曲のインスピレーションがそっちに向いてるんじゃないのか!?





そうかあ? だってメタル系だろ?





いや、案外いけるかもよ。エイティーズからの吸血鬼ソング! 捗る!





よくわからんが、お前が喜んでてよかったよ……。





……!!


カーミラは、そのまま本棚に隠れて店を後にした。



あの、加藤と申します。関山さんは……はい、お願いします……加藤です。お世話になっております……お願いしている生地なんですが、色違いでもう一反いただけますか……白です……ありがとうございます。いつも無理ばかり言ってすみません。よろしくお願いします。


カーミラは電話を切ると、デスクの上のノートパソコンに向き直り、一つ深呼吸をしてから、DAW(デジタル音楽作成プログラム)を起動した。
