深春は悩んでいた。カーミラのライブで生贄……つまりゲストとして披露する曲が決まらないのだ。



どうしよう、どうしよう……。


深春は悩んでいた。カーミラのライブで生贄……つまりゲストとして披露する曲が決まらないのだ。



「向日葵」はダメだよね……。


「向日葵」は、深春のアイドルデビューにあたり用意されたオリジナルの曲だ。軽快なモータウンサウンドに乗ったキラキラポップな歌詞は、可愛らしさ全開で深春も大のお気に入りではある。
しかし、吸血鬼女王の祭儀(ミサ)にはそぐわないだろう。
ならばカバー曲か。一九七〇~九〇年代のアイドルソングが深春の守備範囲なのだが、その中にあるかどうか。
手持ちの少ないCDの中にはありそうにない。次に頼れるのはネット検索だが、スマートフォンの通信量を圧迫しかねない。貧しい深春にとっては避けたい選択だ。
考えあぐねているところに来客があった。



おじゃまするよ。





どうぞー……先輩!





聞いたよ。カーミラのライブに出るんだって? すごいじゃん。





はい、でも曲が決まらなくって……自分の曲もまだ一曲しかないし、合わない気がして。





「向日葵」かあ、確かにちょっとね。





昔の曲でいいのないかなって考えてるんですけど。





そうだね、八〇年代のアイドルってロック調の曲も結構多かったから、そのへんから探してみるといいかも。





先輩、お詳しいですね。





え? あ、まあね。そうだ、調べるなら店のパソコン使っていいよ。





いいんですか?





って、店長が言ってた。





本当かなあ……。
(ありがとうございます!)





カッコの位置おかしい!


ともあれ、先輩の計らいにより道が開けたのは事実だ。普段はブログの更新やPOPの作成に使われている店のパソコンを拝領し、歌詞検索サイトや動画情報サイトを使って曲を探す。



あっ……これ……。


ある曲が深春の目に留まった。著名なロック・ギタリストが、白血病で夭折したアイドル歌手に提供した曲だという。リリースは深春が生まれる十年前だ。
重厚なギターサウンドに載せ、悲痛な愛の叫びが繰り返される。



うん。


一つ懸念があったが、深春は思い切ってこの曲で挑むことにした。
ほどなくして、深春はカーミラに呼び出された。ライブの打ち合わせと衣装合わせのためだ。



曲、決まりましたか?





はい、これなんですけど……問題ないですか?





どうして?





ほら、タイトルに「十字架」って入ってるしヴァンパイア的にどうなのかなって……。





ああ、あれはキリスト教が権威を誇示するために主張したことですから。私は平気ですよ。





そういうものなんだ……。





早速バンドメンバーに知らせますね。事務所にも。


カーミラは傍らのスマートフォンを指で何度か叩いた。メールかLINEメッセージを送信したのだろう。



カーミラさんはこの曲ご存知でしたか?





はい、一応……。





すごいなあ。やっぱりロック方面からですか?





あ、まあ、そんなところです。そうだ、衣装ができていますので、ちょっと試着していただけますか?


心なしかカーミラは頬を赤らめたように見えた。後半、語気が強くなる。



本当ですか!? ありがとうございます!!


(筆者注:これ以降、登場人物の着る衣装は、使用しているアイコンのイラストのものとは異なります。アイコンはあくまで識別用としてお考え下さい。衣装の描写については本文をご参照下さい。)
衣装は、黒を基調としたワンピースドレスだった。襟はスタンドカラー、スカートは膝丈、ノースリーブだが小さめのフリルがショルダーにかかり、付属のオペラグローブ(長手袋)も黒だ。これに白いエプロンが加われば、一風変わったメイドドレスに見えなくもないだろうが、付属はしていなかった。
問題は素材だ。深春が普段使う安価な綿生地でないことは確かだが、心当たりがない。一見シルクのようでもあるが、独特の光沢を湛えている。



これ、なんの生地ですか?





蜘蛛の巣です。





蜘蛛!?





正確には蜘蛛の遺伝子を組み込んだ微生物が作った蛋白質で出来ているんです。まだ試験製造しかされていませんが、お願いして分けていただきました。





そんなたいそうなものを……。





蜘蛛の糸に絡め取られた少女。生贄としてこの上ないでしょう?





うっ……。


深春は赤面する一方、カーミラの発想に嘆息を漏らした。



ちゃんと合っていますね。よかった。この生地は伸縮性がとても高いので、難しいんです。





それで細かく採寸したんですね……。


かくして時は流れ、
ライブ当日。



現(うつつ)は幻、嘘は真実(まこと)、今宵全てを裏返そう。皆の者、覚悟はよいか?


割れんばかりの歓声。
舞台袖の深春は、かなり恐縮していた。



お客さんすご……。


自分はうまくやれるだろうか? これまであまり歌ったことのないジャンルに臨むのだ。今の深春はさながら、生まれて初めて水に入ろうとする鴨の雛だった。



練習はしたし……練習は……。


ボーカルの練習は入念に行った。それはいいのだが一つ副作用があった。超有名プロデューサーにより加えられた日本語の歌詞、それがまるで自分とカーミラを表しているように思えて。



どうしよう……歌いにくくなっちゃったよ~~。





今宵の宴のためにとっておきの生贄を用意した……現れよ、女中にして偶像、七瀬深春!





ひゃあ!


カーミラの煽りと歓声に押され、深春は弾かれるようにステージに飛び出した。
歌詞を間違えたかもしれない。
何回声が裏返ったかわからない。
自分はただ歌詞をなぞっているだけなのか。
それともこれは、彼女への想いなのだろうか。
世界が回る。
体が動かない。
水に沈んだ鳥のように。
蜘蛛の巣に囚われた蝶のように。
ただ、歌うのに精一杯だった。



あっ……ありがとうございました……。


曲の終わりに付け加えた謝辞は、あまりにも弱々しく。
どこかのゲームに、穴があったら入りたいからと自ら穴を掘るアイドルがいた気がするが、深春にはその心情がありありと察せられた。
何より、



歌っちゃったよ……カーミラさんの前で……。


その姿は、しかし、ステージ上になかった。



あれ?


僅かな間、しかし直後に、再び歓声が上がる。



皆の者、今宵の贄の味は如何?





カーミラさん……あの衣装……!?


カーミラが再び舞台に現れた。しかし衣装が違う。それは深春の衣装と瓜二つだった。ただ一点、色が純白であることを除いて。



他者を迎え入れるには相応の用意が要る。そして新たな呪詛には新たな装束が必要だ。


客席に、「お、新曲か?」という反応がいくつか見えた。



次は妾の番だ。全身全霊で崇め讃えよ。吾が呪詛は魂を解放する……!


高く掲げた右手が合図となり、曲が始まる。フラメンコ・ギターの情熱的なソロに四つ打ちのリズムセクションが重なる中で、カーミラは激しく踊る。これまでの彼女にはなかった曲調だ。ステップのたび、白いドレスが独特の光沢を放つ。



あっ……でもなんだか……?


舞台下手に少し下がり、曲を聞いていた深春は、ふとした懐かしさを覚えた。八〇年代終盤のアイドルにこのような曲がなかったか?
曲が終わり、カーミラは上手に捌けた。セットリストではここで幕間を入れることになっている。深春も慌てて下手に捌けた。
客席では「下僕」達が意見を交わしている。



いや~~意外だったなあ。





ああいうカーミラ様もいいなあ。新鮮で。





でもさあ、あの曲なんだか隙間が多くなかったか?





なんだよ隙間って。





なんていうか、もっと歌詞がある気がするんだよ。


楽屋。



もう! びっくりしたじゃないですか!





ごめんなさい。秘密にしておきたかったんです。





言ってくれればよかったのに!





勇気がなかったんです。





勇気なんてどこに要るんですか!?


いつも自信に満ちているように見えるカーミラに勇気がないとは一体どうしたことか。
カーミラは、そのまま俯いてしまう。



だって……。言えるわけないじゃないですか。同じ衣装でステージに立ちたいだなんて。





っ!!


今度は深春が俯く番だった。



しかも一緒に歌いたいだなんて、そのために一曲書いたなんて、言えませんよ。





一緒に……?





あの曲、本当はデュエットなんです。さっきは私のパートだけ歌いましたが。





それって……!





ええ、だからこれから、これっ……ああもう!


ぐっと顔をしかめたかと思うと、



これからも、妾と歌ってくれるな?


魔王スタイルに変貌した。どうやらこれは彼女にとって、感情の壁を壊す鉄球のようなものらしい。



はっはい!


なんだかよくわからない気迫に、二つ返事をしてしまう深春。言うが早いか、正面からカーミラに抱きつかれる。



きゃっ!


だが、直後に呼び声がかかった。



カーミラ様! 幕間開けです!


とっさに離れる二人。



いけない、もう行かないと。


魔王スタイルを解除したカーミラは、どこからか携帯音楽プレイヤーを取り出し、深春に手渡す。



なんですかこれ?





例の曲、アンコールでもう一回演りますから。あと一時間くらい残ってます。





まさか……覚えろと!?





だめですか……?


幾度目かの、子犬のような眼差し。



ああもう! やりますよ! 勇気見せます!


そんな深春に、カーミラはぐっと顔を近付け、



お世話になります。これから。


そう囁き、楽屋を出て行った。
はずみで口唇が頬に触れたかもしれないが、そんなことは構っていられない。深春はイヤホンを両耳に押し込むと、一心不乱に曲を聴き始めた。
(fin)
