あたしは途方にくれながらも、その屋根を見つめるしか無かった。そこには大きな穴。塞ぎきれない大きな穴。
　まーぎょーさん、こないなお綺麗にぃ！
　京都出身の人なら絶対そう呟くだろう。それも興奮気味に。いやきっとそうだ。そうに違いない。
　あたしの部屋の屋根には大きな穴。１ｍ近くの大きな穴。それが塞ぎきれずに無様なベニヤ板で中と半端に修理されている。

　これをやったのはあいつ。そう、懐かしのスコップ猫。
　知らない人のために念のために説明しておくけど、そいつはれっきとした猫だ。ただし二本足、そしてスコップを抱えた変わり種。

　誰がどう見ても変。その変な彼はあたしに『扉はどこですか？』と言う言葉を問い掛けると、あたしをその『扉』探しに借り出した。

　街中を捜し歩いた末に、それを見つけたのはなんとあたしの部屋の屋根裏だった。ちなみに北欧神話のケットシーと言う猫の妖精の話を思い出すといい。連中には王国があってそこは屋根裏なのだ。

　まぁ、あの時は神話そのままの体験にうれしかったけど、彼がその屋根裏の『扉』をスコップで『掘り開けて』立ち去ると、後に残された現実というやつに襲われた。

　魔法みたいに勝手に開いた穴は、また魔法の力で塞がって……はくれなかった。
　でもこんな変な話を安易に信じてくれるヤツなど居るはず無い。ダチに話したら白い視線とともに黙って精神安定剤を差し出してくれた。

　あいつのあのマジな言葉は今でも忘れない。
　友達でさえこうなのだ。親に至ればもっとひどい。

　パパはにっこり笑ってそう言った。

　ママは真っ赤な家計簿を開いて冷淡にそう言った。
　捻出費用は三十万。で、あたしはバイトをするはめになった。

こうなるとウチのオカンには太刀打ち出来ない。だまってご宣託に従うしかない。

　今こそ言わせてくれ。

あたしは念仏みたいにそんな言葉を唱え続けた。

そんなこんなで私は、家と学校の間にあるコンビニでアタシはバイトをする事となった。

まぁ、バイト代は４分の３はオカンに返済金として没収されたが、余りは臨時収入として残してもらえたし、学校以外の知り合いも増えることとなり、そう悪いコトばかりじゃない。

アタシは心の何処かで「まぁ、こう言うのもありかな」と少しづつ納得し始めていた。

学校帰りに週３回３時間のご奉公。学校にバレないようにドキドキしながら仕事をする。大して大きなミスもせずにアタシの返済バイトは順調に過ぎていく。

そして、スコップ猫の記憶もどっか曖昧になるくらい過ぎ去ったある日のこと……

真夏のある日、夏休み期間中の昼間のバイト。お昼すぎに仕事を終えて帰りにつく。

　とりあえず、午後からはのんびりしようと家へと帰るその道すがらの事だった。

　あたしは目をこすった。
　思いきり、二度三度と。

　そこに居たのはヨロヨロしながらつるはしを背負う猫。
　それもまだまだ小さな子猫。灰色の毛並みの雑種の猫だ。

　いやにバカ丁寧な子猫だった。ついこちらも丁寧に答え返してしまう。

　あたしはかつてのスコップ猫の記憶から本能的に危険を回避した。ここで同情的になって一緒に探そうなどと考えたら絶対にまたぞろトラブルに巻き込まれる。きっとそうだ、そうに違いない。わたしは逃げる事にした。

　彼はまた丁寧にペコリと頭を下げると、ヨロヨロと立ち去って行った。
　冷たい？　そんなの勝手な意見よ。正直言ってあたしはホッとしたね。もう二度と現われるなとも思った。
　もう二度と、あのメルヘン不条理に巻き込まれるのはゴメンだった。

　でもその考えはおもいっきり甘かった。

　あたしはバイトを終えて帰ってくるとそのまま自分の部屋へと向かった。

　自室のドアを開けたとたんその声は聞こえてきた。
　あたしのコタツに入っている猫が居た。黒地のホワイトソックス。その傍らには見覚えのあるあのスコップ。

　あたしは聞きたい。こいつがなんでここに居るの？

　彼は黙って屋根を指し示した。するとそこにはポッカリと大きな穴。前より増して大きな穴。

　叫んだあたしに彼はペコリと頭を下げた。

　あたしは半べそで叫んだ。もう居たたまれない事極まりない。でも彼はもっと居たたまれなかったらしい。おもむろに土下座をしたのだ。

　あたしは困っているやつを見過ごせないタチだ。こればっかりは自分の性格と言うヤツでどうしようもない。昔からこれで損ばかりしている。
　でも、床に頭を摩り付けて懇願するネコを邪険にも出来ない。

　彼のその言葉に思い当たるフシが有った。

　あたしは思わず吹きだした。

　彼は思いきり真顔で言った。信じるしか無かった。

心のなかでこっそりそう思ったが、とりあえず言わないでおこう。

　そう問えば彼は黙って頭上を指差した。

　なんの事か半分程度しかわからなかったが、あたしはとりあえずうなづいておいた。

　彼は頷いた。ここまで聞いたらもう逃げられなかった。頭を掻いて腹を決める。

　あたしは思いきり強く宣言した。今度ばかりは無償で動く気にはなれない。その気配を察したのだろう。珍しくも今度は彼がドもったのだ。

　そう宣告すると頭上のこの巨大な穴を私は指し示した。当然の権利だ。でなければ今以上にこの穴の補修費用を捻出しなければならない。

　そこまで言った彼だったが、あたしの目線が尋常ならざる光を湛えていたのに気づいたのだろう。

　彼は小さな声で撤回した。
　私の気迫勝ちである。

　あとはもうなし崩しだった。８０日間世界一周を地で行くキャラクターの出現に、パパは絶句し、ママは床を転げまわる勢いで喜ぶ始末だ。

　目じりをトロトロ状態にして、ママはそう言った。
　このヤロー、あたしの時とえらい違いじゃない！　このリアクションで察しの通りママはネコ好きだ。

　ただしネコアレルギーのパパのためにさすがに飼うのは遠慮していたのだ。ご多分に漏れず、苦笑いでパパは我慢していた。それを察してあたしはそそくさと外へと出て行く。

　あたしは駆け出しざまに彼に尋ねた。

　解ったような解らないような答。
　まぁ、スコップ猫らしいと言えばらしいが。

　そう言って彼が指差したのはあたしの家、紛れも無くあたしの３０年ローンの４ＬＤＫの家だ。

そう言う問題か？

ううむそりゃそうだ。

　どうやら彼はあたしの部屋のコタツの事を言っているらしい。なるほど食卓だ。

　あたしはぶつくさ言いながら彼と子猫探しに向かった。
　考えられる場所はおおよそ全て、彼の話だと件の収束率とかから直径２００ｍ位の範囲に広がっているはずなのだそうだ。

２００ｍ…ううーむ、微妙な距離だな。広いと言えば広いのだが、視界の届かない距離じゃない。ただ問題は住宅地のど真ん中だと言う事だ。それに似た様な家も多いし。……住宅地……食卓……２００ｍ範囲……

あたしの脳裏をその３つのキーワードが通りすぎたとき、あたしは悪い予感に襲われた。ひょっとしてそうか？

　いや、ちがうかも……でも……。

向こう隣の家を眺める。形や作りはうちと大差の無い、大抵が似たり寄ったりだ。あってはならないけど有るかもしれないその事態を警戒しつつ通りから『食卓』ある部屋――すなわち“リビング”を覗きこむ。

　あたしはスコップ猫の首をつまんで持ち上げた。
　向う隣は人の好い老夫婦が住んでる。温和で親切な近所でも評判のお年よりだ。
　連中はそこで『食卓』を囲んでいた。

　彼は他人事みたいに言うとそそくさと駆け出した。
　でっかい大家族用のコタツの周りには子猫たち。つるはしやらピッケルやら物騒な穴掘り道具を抱えた変な子猫たち。
　みんな仲良く並んでネコまんまの入った茶碗を抱えて食べようとしている。

　みんなそろって――

――とご飯に手を付けようとしたときだった。
　スコップ猫はいそいで飛び込んで行った。

子猫たちがスコップ猫に気づいて手を振っている。

先生であるスコップ猫の心配をよそに、子供というのはどこの世界でも無邪気であるようだ。

おばあさんは、スコップ猫にもなんの疑問も持たないかのように、アタシたちにも手招きをしていた。

　フタを開けて見たら心配したのがソンな位だった。

　転移ミスではぐれたのはスコップ猫だけ、あとは仲良くお隣さんちの庭にまとめて落ちてきたらしい。

　２本足でも子猫は子猫、途方にくれてにゃ～にゃ～泣いてる彼らを、おばあさんたちが世話してくれて、一匹がはぐれた先生を探しに歩いていたと言う訳だ。

　あとはスコップ猫は平謝り、そりゃそーだ、下手したら生徒の子猫たちはどうなってたか……。

　でもとりあえず、無事は無事。

　あたしは彼らとパーティーをしようと、一人勝手に決めていた。