


あ、やっと戻ってきた


ようやく見慣れた廊下にほっとした竜也が懐かしくも思える中庭に戻ってくると、白いテーブルの上に山ほどのお菓子を並べて味見に興じていたタナシアがこちらを一瞥する。その隣にはフィニーとそれからどこか複雑そうな顔で同じくチョコレートを頬張るシェイドの姿がある。また二人に仕事をしろと説教しようとして言いくるめられたらしかった。



ちょっと、私の管轄化の人間を勝手に連れ回さないでくれる? やっぱり閉じ込めといた方がよかったわ





お前、仕事放り出しといてよく言うな


そう言いながらも竜也はお菓子の山に手を伸ばす。久しぶりに頭を使ったせいか甘いものが欲しくて仕方がなかった。適当に掴んだそれは見たことのあるゴマ餡の丸いまんじゅう。どうやらこの辺りは東京土産らしい。



それでどこ行ってたのよ?





ちょっと天界見学だ。俺達もたまには地獄の様子を見に行ってやらんとな





あんなところに連れていったんですか!? 竜也さん、大丈夫でしたか?


心配そうに竜也を見つめるフィニーだが、お菓子の包装を剥く手は止まらない。その言葉はどうやらイグニスではなくキスターに向けられている。閻魔に抗議するほどイグニスは嫌われているのかと思うと、少し同情したくなるな、と竜也はお菓子をかじりつつイグニスの顔を盗み見る。相変わらず気に留めてもいないようだった。



別に突き落としたりはしてねぇよ。ちょっと今の天界の様子をわかりやすく教えてやっただけだ。そんじゃ俺達は帰らせてもらうぜ。ちゃんと役割は果たせよ


せんべいやおかきが積まれた一画をかっさらってキスターが立ち上がる。



あ、その辺りはまだ食べてないのにっ!


口の端にクリームを付けたままタナシアが声を荒げる。口からはビスケットの粉が飛ぶ。



まぁまぁ。全部は持っていかなかったみたいですし


呆れているのか諦めたのか、フィニーが落ち着いたようにタナシアを宥める。シェイドは終始黙ったまま事の成り行きを見つめていたが、キスターの背中が見えなくなったと同時に悔しそうに呟いた。



あれは、なかなか美味いんだが





なんだ、結局シェイドも食べてるのか





誰であっても休息は必要だからな


むっとしたシェイドに竜也は答えに窮する。半日真面目にタナシアの仕事を肩代わりしていたシェイドに悪いことを言えるはずもない。



とりあえず座ったら、上から話されるとムカつくのよね


朝には三脚しかなかったテーブルとお揃いの白い椅子が一つ増えている。竜也の分を新しく用意していたのか。進められるままに席に着いた竜也はそのまま手元のチョコレートに手を伸ばした。



それで、何を吹き込まれてきたの?


包みを開ける手を止めて、タナシアは銀紙の上に置かれたビスケットを見つめたまま聞いた。



何をって





別に隠すこともないでしょ? そもそもあの二人が揃ったときはろくな事考えてない時なの。どうせ何かやれば特別にここから出してやる、みたいなこと言われたんでしょ


うんうん、とフィニーとシェイドが隣で深く頷く。三人ともキスターとイグニスの二人には相当困らされているらしい。シェイドの立場に似合わない抵抗もタナシアとフィニーが勝手に竜也を連れ出したことにさして怒らないことももう何度も繰り返されてきたことへの反応だった。
諦めがつくくらいまで繰り返された二人の企みをもはや三人ともわかっていながら付き合ってやるしかないということだ。



タナシアの昇格試験に付き合え、だとさ





はぁ、それはまたおかしなことを言い始めたものですねぇ


素直に答えた竜也にフィニーが辛辣に感想を漏らす。本人がいないとはいえ結構厳しい言葉だ。いったい今までどんなことをやらかしてきたのか気になってくる。



俺の前にここに来た奴にも同じようなことを言ってたのか?





それはないでしょう。キスター様とイグニスさんがこの裁きの間に来るときは私たちに用がある時ばかりでしたから





相当気に入られているようだからな、お前は


誰に、とは二人とも答えない。文脈から言えばキスターとイグニスに、ということのはずだが、顔を赤らめて俯いたタナシアの姿が視界の端に映るとどうにも落ち着かなくなる。



それで、まんまと口車に乗せられてきたってわけ? 本当にバカね


赤くなった顔が見えないように竜也から逸らしながら、タナシアは震える声で搾り出す。少しも優しさのない言葉なのに竜也は自分の顔がほころんでいくように感じた。その顔を見られてはまたタナシアの機嫌が悪くなる。そう思って隣と同じように顔を逸らす。
その様子をフィニーはどこか嬉しそうに、シェイドは複雑そうな表情で見守っていた。



とりあえず答えは先送りにしてきた





ちなみになんですが、竜也さんはタナちゃんの試験に付き合えば何と?





そりゃ人間界に戻れる、ってことでしょ?





いえ、さすがのキスター様でも勝手にルールは変えられませんから。タナちゃんが天界に送ると決めた場合はきちんとそうする人ですし





死神の資格を与えるってさ


竜也の言葉に三人の視線が一気に集まった。全員が愕然とした顔で竜也を見つめている。



アンタ、それってどういう意味かわかってるの?





俺が人間をやめてこの世界に残るってことだ


そんなことは百も承知だった。それでも簡単に選ばなかった。もしもタナシアに同じことを言われていたら、それも初めて会った時なら。竜也は簡単に承諾していたかもしれない。そのくらいに現実味がない。
竜也がイグニスの誘いを簡単に受けなかったのは、ただ自分で選び取りたかったからと言うだけだ。
この少女と、タナシアとともに生きる道を自分が求めているのかを知りたかったからだ。



アンタはもう人間界に帰りたくないの?


テーブルいっぱいのお菓子の山はまさに人間界のもの。懐かしいという感覚を感じないわけでもない。でもそれだって結局こうしてここでも手に入るし、戻ればタナシアはいない。
その二つを天秤にかけて、手に入るかわからないタナシアと必ず手に入るあの退屈だが平和な日常を比べている。答えはまだ出ていない。



別に資格を取ったからといって死神になれってわけじゃないらしいが





それでも死神になったら





人間界に生まれ変わることはできない。それも聞いたよ


まるで他人事のように答えた。



元いた生活に未練はないの?





ない、とは言わない。ただ、ここも悪くないと思ってる。


四十人が詰め込まれた狭い教室の中でさえ竜也は孤独だった。それが一人きりでこんな暗い場所に閉じ込められていた方が誰かとの繋がりを強く感じられるとは思ってもいなかった。
人との交わりに嫌気が差して飛び込んだら先で、人のような人でないものとこうしてテーブルを囲んでお菓子を食べることがこんなに楽しく思えるとは。



お前はどう思う?





私に聞かないでよ。勝手にすれば


タナシアは結局竜也の方を向かないまま空になった紙包みを折ったり捻ったりしながら、興味なさそうに答えている。もう竜也にとってそれは悪いことではなかった。人を信じられないと言っておきながらどこかで竜也を他の人間と一緒に出来ない。それが透けて見えるくらいにはタナシアが素直だとわかっている。
