捕虜として囚われたレツィーナ・ルルム公女への処遇は実に常識的な対応だった。
身代金交渉は成立しないでしょう、とレツィーナ自身が断言したにも係らず、待遇は敬意を払われたまま。
心の平穏を、ということだろう。虜囚の身にある貴族に許されている権利としての礼拝も、慣例通りに許されている。
捕虜として囚われたレツィーナ・ルルム公女への処遇は実に常識的な対応だった。
身代金交渉は成立しないでしょう、とレツィーナ自身が断言したにも係らず、待遇は敬意を払われたまま。
心の平穏を、ということだろう。虜囚の身にある貴族に許されている権利としての礼拝も、慣例通りに許されている。



……どうなるのでしょうね、私は。
考えれども、考えれども、分からなくなります。


いつだって、物事は唐突に動く。
レツィーナ・ルルム公女とて、それは知識として知っている。
だけれども、悲嘆交じりの声が静謐な礼拝堂で響いたとき、レツィーナは、ぽかん、とするほかになかった。
……知っていることと、対応できることは、別なのだから。



ひ、姫殿下! これは、いかなることですか!?





イリーナ? 解放されたのですか?


イリーナについて……彼女が無事とは知らされていた。
だけれども、どうしてこんなところで彼女が声を荒げているのだろうか?
何故、と疑問を口にすることが早ければ、事態の展開はまた違っていたかもしれない。



公女殿下、お見事な覚悟でございます。





え?





なりません!
私のことは、どうでもかまいません!
姫殿下、これは、この仕儀はいったいどのようなおつもりですか!? どうか、御身をお大事してください!





待って。リリーナ、お願い。何を言っているの?





なりません! 姫殿下、姫殿下のご責任ではありません!
勝てなかった、我らの責任であります!
責任者の首が必要と仰るのであれば、生贄には私が! 姫殿下、どうか、なにとぞ!





おお、なんというお心!


唐突に叫び始める男。
だれであろう、レツィーナとイリーナを捕縛したオストラバ百翼長その人がこれでもかと声を張り上げているのだ。
……何か、おかしい。間違いなくおかしい。
だが、彼女は考え込んでしまった。
おかしい、と叫ぶべきところで、出遅れる。



素晴らしい! 心が、清められる思いです!





……オストラバ百翼長?





麗しい主従愛ですな。失礼ながら、この無骨者、大いに感銘を受けてしまいました!





はい?


突然の言葉に、レツィーナが困惑で次の言葉を見つけかねた瞬間。
オストラバ百翼長は、独白とばかりにまくし立て始めていた。



公女殿下が、ご自身の生命を引き換えに!
そう、高貴な犠牲を申し出られたとき、私は感動いたしました!
なんと、崇高なお心かと! 我が身と引き換えに、将兵全ての解放を持ちかける!
これこそ正しく、ノブレス・オブリージュ!
お見事な覚悟です!





な、なりません!
姫殿下の代わりならば、我々、近習が負うべきです!





ええ、ええ、私とて、私とて騎士です! お気持ちは、痛いほどに分かります!





うわぁ……胡散臭さすぎる。





これほどの人徳、これほど慕われる殿下のご覚悟もさることながら、麗しい主従殿下のお心!
これこそ、まさに、まさに、貴族の青い血たるべき公女殿下の高貴なお志の発露ではありませんか!


突然、まくし立てるオストラバ百翼長。
その真意をレツィーナが訝しむも、口を挟む間もない電光石火の仕業だった。



おお、なんとお見事な……。





衰微したりとはいえ……選帝侯の血筋とはなんと見事な……!


そう。
修正を口にする間もない……一瞬のできごとであったでのある。



あのー、さっきの茶番劇って、いったい、何だったんだですか?


メリッサの疑問。
彼女にしてみれば何で『守銭奴』があんな三文芝居をやらかしたのだろうか、という至極まっとうなものであった。



茶番劇だと!?





あ、また始まった……。


予想していたが、この百翼長は……とメリッサは内心で曲者相手に溜息を零す。



いくらメラリス君とは言え、言葉が過ぎるぞ!





……あの、メリッサです。





はぁ、困ったな、メリッサ君。メリッサ君と呼んだだろう? 発音の問題なのかな?





あの……はぁ。





メリッサ君、うん、メリッサ君と呼んでいるが、そう聞こえるかね?





ああ、はい、って、違います!
誤魔化さないでくださいよ!


名前を覚えていない素振りも、何処までが本当で、何処までが冗談なのかさっぱりだ。
けれど、はっりした。危うく話を逸らされてしうまうところだった。
……これ、わざとだ!



あー、これ、めんどうなタイプだなぁ……。





誤魔化す? 私が? 一体、何を?





……すごく分厚い面の皮ね。


この手の相手には、言葉では叶わない。
ならば、はぐらかされぬべく正面から切りこむに限るだろうと意を決して、メリッサは口を開く。



ですから、先ほどの茶番劇です。元帥閣下直伝の何かと仰ってませんでしたか?





ちっ、はぐらせなかったか。





百翼長?





はぁ、しかたない。良いかね、あれは茶番劇ではないとも。





建前はいいんで、できれば、そろそろ本当のところを教えていただけませんか?


貴方が、そんな殊勝な……という思いは、しかし、完全に否定される。



君は誤解しているようだ





はい?





あれは、断じて茶番劇などではない。





いや、劇じゃないですか。誰が、どう見たって、劇ですよ……。





うん? なんだ、分かっているじゃないか。


オストラバ百翼長の浮かべる、実に意味深な微笑み。
『茶番劇』ではなく、『劇』?



え? どういうこと?





茶番劇じゃないさ。あれは、立派で大真面目な劇さ。さぁ、忙しくなるぞ!


前線付近の駐屯地にとって、それは、珍しい予期されぬ来客だった。
……或いは、『珍しいはずで、予期されないはずの』来客だった、というべきかもしれないが。



……これは、これは、ルーヴェル伯爵夫人。失礼ですが、議会の方々がこちらにお越しあそばすとは、いかがされましたか?





オストラバ百翼長?
私は確かに議会の人間で……ヘトマン元帥や貴方の手口は存じ上げません。
ですが……貴方がヘトマン元帥の秘蔵っ子であるという事実は知っていますよ。





なんと! ヘトマン元帥閣下にそのような過分なご評価をいただけていたとは!


こちらが、何を考えているのかとばかりに牽制してみるも、全くのてごたえなし。
おお、とばかりにアルトゥル・オストラバは声を震わせて感極まったとばかりに頷いていた。
……なんとも、わざとらしく、それでいて追求が難しい対応。



このアルトゥル・オストラバ、まさに、レフポラン連合王国のため、元帥閣下の期待にこたえるべく忠義を尽くしましょうぞ!





……


滔々とまくし立てるアルトゥルと、冷ややかに凝視するエリザベス。
沈黙は、しかし、次の言葉で漸く終わるところとなった。



それで、ルーヴェル伯爵夫人。ご用件をお伺いいたせますでしょうか?





分かっているでしょうに。よくもまぁ、こうも堂々と知らん振りを?


一瞬、あきれ返ったエリザベスだが……彼女とて議会でも散々に足の引っ張り合いを目的とした議論の洗礼を潜り抜けてきた才媛である。



単刀直入にいきましょう。





はっ。何でありましょうか。





吟遊詩人の戯れ歌。今や、王都で知らぬものはおりませんよ?
オストラバ百翼長。貴方は、何を考えているのですか?





はて……都の流行にはとんと疎くて。いや、お恥ずかしい。最近は、どのようなことが語れているのですか?


きょとん、とした表情。
だが、エリザベスは騙されない。



ご存じないのかしら?





見てのとおり、無骨な人間でして。
気の利いた言葉も、返しも存じ上げておりません。
……皆様の話題の種、出来ますことならばお伺いできればと思います。


困惑顔で返すアルトゥル・オストラバ子爵。
その様子を見れば、誰でも慣れぬ宮中作法に苦戦する軍人がなんと答えて良いのか戸惑いつつ、誠実に答えていると『見える』ことだろう。



ご存知なのでは?





ははは、まさか! まさか! それこそ、ご冗談でしょうと申し上げるべきですな!


一見すると、朗らかな微笑み。
だが、とエリザベスは思い出す。



はっはっはっはっはっはっはっ


アウグスタ・ヘトマン元帥が浮かべる満面の笑み。



あー、間違いないですね。
これ、似たものです。百聞は一見に如かずとかいいますけど……。





はっはっはっはっはっはっはっ


眼前で、アルトゥル・オストラバが浮かべる笑み。



うわぁ……。『これほど』とは。驚きですよ、これ。


なんというべきか、外見は全く違う二人だ。
だけれども、エリザベスの見る限り纏う雰囲気は間違いなく同じであった。



居るんですねぇ……。ヘトマン元帥と同じタイプの人間が世の中に。
世間って、広いと思いますわ。





何分にも、軍旅にあっては娯楽が不足しがちでして……、ぜひ、お聞かせ頂ければ、何にも勝る楽しみになりますので……。





聞いてはいましたけれど。やっぱり、ヘトマン元帥の秘蔵っ子ね。尻尾でも生えているんじゃないかしら……


ご一読、ありがとうございます。
次回の更新は、6月4日を予定しております。
【お詫び】諸般の事情により、完成しませんでした……。
新しい更新予定は6月11日です。
