眼下に広がる赤き海。
眼下に広がる赤き海。
鼻を突く酸い匂い。
そう、キムチだ。
グルメパビリオン「世界の社食から」は、さいたま市毒沼区の小さな遊園地「よめなしランド」の中で、最も名高いアトラクションだ。



いや……本当に採用されると思わないじゃん。キムチ海なんて企画……。


折川ルイス(おれがわるいす)は自虐的な中年だった。
少年の頃からそうだった。
小学校の時に上履きを隠されたのは、自分の足が父に似て甘酸っぱい臭いを放つせいだと思っていたし、中学のテニス部でペアを組めなかったのは、手汗がひどくてラケットをよく飛ばしてしまうせいだと思っていた。
それは実際その通りではあったのだが、周囲の態度に加えて、幼い頃からの察しの良さが、彼を内向的な人間に育てた。
自分の持つあらゆる要素が、人様にご迷惑をかけている。
そう思いながら生きてきた。
社内で参加を義務付けられた「世界の社食から」企画展示コンペに「キムチ海」などというアイデアをぶん投げたのも、



俺がダメなプランを出しておけば、他の企画の魅力がより引き立つだろう





提出が義務とは言え、俺なんかがこの遊園地の人気展示に口を挟むような事はしちゃいけないんだ


それなりに予算も食うし、その上臭い。
通るはずが無いと思っていた折川の企画「キムチ海溝冬景色」だったが、他の社員や役員が揃って「じゃあそれで」と賛成したせいで、こうして実現してしまったのだ。
適当に決まった訳ではなかった。
地元農協から、収穫調整で廃棄処分される予定の白菜が大量に、そして安価に仕入れられる事。
毒沼区民の中に既婚者が占める割合は低く、独身女性の間では未だ韓流ブームが息づいており、充分なニーズが見込める事。
その他、折川が持ち前の几帳面さを発揮して行った調査とプランニングは、社員や役員達を唸らせるに充分な完成度だったのだ。



ちっ。ニヤつきやがって、着ぐるみ野郎が……


赤い海を見下ろす折川の背を、汚い舌打ちがつつく。



企画課の吉田さん……





なんでてめェのキムチなんかに俺のプロジェクトが負けたんだ、意味わかんねェ





せっかくウチのカミさんと子供を、俺の創ったド派手なアトラクションに呼べると思ってたのによ





不本意とは言え、すみません。吉田さん……





ですが、





ビスコを敷き詰めてレンガ通りを作るなんて、メンテナンス性を考えたらとても現実的では……





うるせェ!





きっと歩く度にサクサク音がして、みんなが楽しい気持ちになれるに決まってンだ!





それをてめェは……てめェはッ!





靴の中に入った割れたビスコがどれだけ不快か、考えようとはしないんですか!





あなたは知らないんです。靴の中にビスケットの破片が入った時の、





「これ踏み砕いちゃったら後で粉末処理するの大変だよな」って気持ちと、「でも破片のカドが地味に痛いな」って気持ちがせめぎあう辛さを……。





うるせェ! お前に何がわかる!





「これ踏み砕いちゃったら後で粉末処理するの大変だよな」って気持ちと、「でも破片のカドが地味に痛いな」って気持ちがせめぎあう辛さです。





お前……!お前ェエエ…ッ!


折川を睨む吉田の瞳を、怨嗟の炎が赤黒く灼く。
その炎は少しずつ、少しずつ手を広がり。



き、企画課の吉田さん……?





オレガ…ワ……ぬふぅ……ぬふゥう……!


吉田の全身を侵食し。
ビスコォ…
焼け爛れたビスコ色の異形に変貌させた。



き、企画課の吉田さん!?


折川は後悔した。
ああ、また、俺のせいだ。
自分がなまじしっかり細部を詰めた企画を出してしまったばっかりに、吉田の夢を潰し、彼をビスコ色の魔物に変えてしまった。
折川は己の至らなさを羞じた。出しゃばった自分を責めた。
そして自虐に苛まれるばかりの彼は、
ビスコォ!
己に迫る魔物の爪を前に、身動きひとつ出来なかった。



ぐほぅあっ!


強く閉じた目蓋の向こうで、耳慣れぬ呻き声が上がった。



うわっ……あ、あなたは!


「よめなしランド」では見た事の無い、鋭利なラインのシルエット。
映画やアニメのサイボーグのような、メカメカしい何者かが、金属のあらゆる隙間から赤い液体をどくどくと流し、倒れ伏していた。
カプサイシンではないようだ。



だ、大丈夫かね……そこのキミ……。





明らかにあなたの方が大丈夫ではありませんが……。


折川は悟った。見慣れぬシルエットのその何者かが、吉田の魔の手から自分をかばい、傷ついたのだと。



私は……、くっ、ごふっ……!





私の名は……シニーソーダー……ゲハッ、ごふぉっ!





よくわかりましたから! 確かに名が体を表していますから! だからもうムリしないで下さい!





か、彼がその姿を変えたのは……う、宇宙細菌ムセニ・ビールスが原因だ……。





知的生命体の……理性の闇を察知して増殖し……ごふっ……宿主の肉体をエサとして強引に育てて食らう……恐るべき細菌……げほっげほっ!





なるほど。そしてあなたは、その宇宙細菌とやらを追う宇宙刑事で、襲われそうになった私をかばって今まさに瀕死の状態と!





は、話が早くて助かる……だが私は、くっ、もう助からない……





そんな……俺のせいで……やっぱり何もかも、俺のせいで!


やはりそうだ。すべて自分が悪いのだ。吉田が異形の魔物に変わったのも、この名前からしてこの場で力尽きそうな何者かが、その通りに力尽きそうなのも。
俺の、せいだ……!



本当にそう……思っているか……?





えっ





本当に君がそう思っているのなら……責任を……責任を取って見せるんだ!


言われた言葉を飲み込めずにいる折川の前で、彼の体を白い光が包み込む。



宇宙刑事スーツを、今君の心に託した





本当に今にもお亡くなりになりそうだ……





さあ、君が心から自分のせいだと、責任を取りたいと思っているなら、





宇宙刑事スーツはその力を与えてくれるはずだ





さあ、立て! 己の責を果たす者よ!





今日この時からお前の名は






ごふっ





シニーソーダーさぁあああん!


がくり、と力の抜けたシニーソーダーの細い手を、折川は強く握り、放さない。



おのれ……よくも……!





よくも……!





よくも平気で生きていられるな!





俺!


俺のせいだ!
オレノセイダー!
この世に悪の蔓延る限り
俺は己を責め続ける
何故なら悪に走るお前の
涙の理由は
オ レ ノ セ イ ダ ー!



もういい、やめるんだ企画課の吉田さん!





全部俺のせいだ!


俺のせいでつづく!
