王都から抜け出してどれぐらい歩いたのか。背後に石畳の壁は見えず、眼前に広がるのは地平線を埋める草原ばかり。しかし二人は絶望などしていなかった。
王都から抜け出してどれぐらい歩いたのか。背後に石畳の壁は見えず、眼前に広がるのは地平線を埋める草原ばかり。しかし二人は絶望などしていなかった。
あの空間に比べれば、今は何と幸せだろうか
空腹になった時は少しばかり困ったが、落ちている木の実や最悪草を食えばどうにかしのげた。腰を落ち着かせられる街を見つけたら、働いてご飯をいっぱい食べればいい。今はそこに着くまでの最後の試練だ、とシェイプは思っていた。



お兄ちゃん、これって……


ディティは突然しゃがみ込むと足元に転がっていた輝くモノを手にとった。



金……貨!





あっ、あそこにもあるよ!


ディティは草の間で輝く硬貨を拾っては愛おしそうに手の中に握った。金貨一枚でパンはどれぐらい買えるだろう。ティティの中には兄とふわふわのパンを頬張る夢を見ていた。



次の街に着いたら、これでお腹いっぱいになろう


彼女はにこりと笑い、また落ちていた銅貨を拾った。



あ……


その手から拾い集めた物がするりと落ちた。彼女の瞳は一点を見つめ揺れている。シェイプが近づき、妹の目線の先を辿ると原因はすぐに分かった。
岩に寄り掛かるように座る、一体の白骨化遺体。
彼女の集めていたものはきっと彼の持ち物だったのだろう。足元に裂けた布袋が転がっていた。
ディティの足ががくがくと震え、胴を四肢で抱きしめる。零れそうになる涙をシェイプは指ですくった。そして、落ちた硬貨を拾い、服にしまい込んだ。



おにい……ちゃん……





貰おう、オレ達は生きるんだ


肉をくれた女性といい、今回の件といい、自分達はついている。きっと誰かが生かそうと仕組んでいるのだ。
そうシェイプは解釈して、安らかに眠る遺体へ手を合わせた。緩く吹いた風が彼の服と咲く花を揺らす。
ディティも兄の真似をして手を合わせようとしたが、その耳が草を踏みつける音を聞き取り振り返った。
黄土色の髪の青年と黒髪の物珍しい……美しい少女が兄妹に近づいてきていた。
シェイプは反射的にポケットに入った金貨を握りしめた。
生きるための手綱を奪われるわけにはいかない。



死体……


少女の呟きに対して青年は頷きその躯に手を掛けた。
草原の中で新しい山が出来ていた。ディティはそこに摘み取った花を置く。



これでいいかな?


青年はラキア、少女はサラというらしい。
彼らは手を合わせるとシェイプに向いた。



びっくりした……かな?


本当は金貨をとられるじゃないかとびくびくしたが、シェイプは首を横に振った。ディティは兄の後ろに隠れている。
しかしサラが微笑むと即座に顔をほころばせて近づいて行った。今までの大人達とは違うことを悟ったのだろう。ディティは彼女の手をとって草原を駆け出す。



おい、あんまりはしゃくなよ……ったく





お兄ちゃんなんだね





…………うん


ラキアは草原に座り込み、シェイプを隣に呼んだ。



何で埋葬したの





うーん……君達が見ていたから、かな?





…………





俺達が見ていたのは金を拝借するためだ


死体から奪った金貨はポケットの中にしっかりある。



なんかね、空気感がそうさせたのかな





いつもやってるの?





何でそう思うの?





慣れてた


彼の手の動きに無駄はなかった。骨だからこそ掘り返すのが最低限だったかもしれないが、それにしては……



あんまり慣れるのもね


ラキアの言葉は虚しく空気に溶ける。妙な沈黙が二人の間を支配したが、彼は繕って言葉を紡いだ。



僕達は今から王都に向かうけど





王都は嫌だ!


彼の言葉にあの日々が突然フラッシュバックしてシェイプは首を振った。全てを言われなくても分かる。ラキアはそこまで一緒に行こうか、と言っているのだ。



……やっぱり……


零れそうになる涙をシェイプはどうにか堪える。その眼前にナイフが差し出された。



君達のことを詳しくは聞かないけど、これ持っていって





…………


ずっしりとした重さが手にのしかかる。



本当はね、渡したくないんだけど





これ、お兄さんの?





ううん、さっき落ちてるのを拾った。きっと彼のものだと思う


彼とはラキアの目線の先を辿れば解る。彼からはいろんなものを拝借している。



お兄ちゃんはしっかり妹のことを護ってね





当たり前だ





言われなくてもそうする。だからあいつらにも立ち向かったんだ





お姉さん綺麗





ありがとう





大人って怖いと思う。でも、この人は何か不思議な感じ


ディティは摘んだ花をサラの黒髪に差した。これでお揃い。



お揃いだね


彼女に言われて何度も頷く。



私……お姉さんみたくなれる?


奴隷でも、大人は怖いものとなってしまっても、それでも彼女みたいに凛と立っていられるだろうか。誰かに愛されるだろうか。



お兄さんみたく素敵な人に愛される?





え……あ、愛?





うん……


サラはその腕にディティを収めた。



マリア様みたい


記憶はおぼろげだが、遠い過去にそんな像を見た気がする。隣にいたのはきっと、兄と父。母のことは覚えていない。



……でも、誰かにこうやって抱かれていたのかも





もういっぱい愛されていると思うよ


彼女の目線は話し込んでいる二人の背に向く。



お兄ちゃんは恋人にならないんだもん。対象外だよ





そうだね





私いつかね、ウェディングドレスを着たいの!





ドレス?





白くてふわふわしてて可愛いの! なんか今なら着れそうな気がする





うん。きっとディティちゃんなら着れるよ





うん! お姉ちゃんも着よう





白くてふわふわか……黒いのなら着たことあるけどね





え!?





こんな風にね


彼女の口ぶりでディティはその姿を思い浮かべる。本当に何か不思議な生き物を見ているような、何とも言えない感情が湧く。



じゃあ次は白ね!





そうだね……そうだといいな





ディティそろそろ行くぞ





うん


声を掛けられ腕の中から顔を向ければ、さっきまで背を向けていた二人が近くに立っていた。顔の方向が違うのを見ると目的地は違うらしい。



ウェディングドレス、着れるといいね





うん!


いつか誰か素敵な人と出逢えたら、胸を張って着てやるんだ。
そんな日が来ればいい、と少女は兄の背を追った。
