20 引き篭もりの扉の前で1
20 引き篭もりの扉の前で1
バタ バタ バタ
気味が悪いほどに静寂に包まれた棺内。
聞こえるのは、自分の乱暴な足音だけ。
幸いなことに、ここにはソルの野蛮さを咎める人間はいなかった。
バタ バタ バタ
自分が何処に向かって走っているのか、分からない。
とにかく走っていた。走っていれば目指すべき場所に辿り着くような気がしたから足を止めない。止めてはいけない。
本の世界から解放された彼女は、まだ図書棺の何処かにいるはず。
やがて、ひとつの扉の前で立ち尽くす少女コレットの姿を見つけた。
ソルはその背中に駆け寄ると足を止めると深く頭を下げた。



……すまない。あいつの側に行かせて貰ったのに





なかなか、手強いわね





何も出来なかった。余計なことをして、引篭もらせてしまった……





いいえ、エルカもやってくれるわね。ソルくんが歪めた展開を更に捻じ曲げて戻すなんて……私の娘ながら困った子だわ





………ここに篭ったのか


コレットが視線を固定したままの扉を、ソルも見据える。
重い扉の向こう側からは物音ひとつ聞こえてこない。この先に、本当にいるのだろうかと横目でコレットを見る。
彼女は不敵な笑みを口元に浮かべていた。



そうね……あの子は何かを隠しているみたいね





………え?





あの子だけが知っていることがあるのよ。それを隠す為に……あの子はここに篭るつもりね……





あいつだけが知っていること?





事件の真相よ


コレットのその言葉にソルは目を見開く。
事件の真相については先ほど告げたばかりだった。
それ以外の真相などないはずだと、目を鋭くさせる。



それは、オレが……





それは、貴方の言い分よ。あの子が語れば別の物語に変わるのよ。視点と思考を変えて見れば、見えないものも見えてくる。





貴方の見たものだけが事実とは限らないの。エルカの知っている事実もまた、事実なのよ


コレットの声がソルの言葉を遮った。
その先を言わせないように、力強い瞳がソルを捕える。



………





ソルくん……鍵は持っている?





え?





お父様……エルカのお爺様から預かっている……御守りの鍵





でも、これは図書棺に入る時に使った鍵だぞ





これは図書棺の鍵ではないわ。魔法の鍵よ





………魔法の鍵………?





開くべき扉を開く鍵……よ





え?





貴方が進む為に必要な扉を開く鍵……必要のない扉は開けないの。魔法によって扉は開けるはずよ





………【魔法】については突っ込まないよ。そういうものなんだって思うことにしているから………


ソルはこめかみに手を当てながら呟く。
いちいち焦るのも疲れてしまった。



ええ、そういうものなのよ





だけど、エルカがいる場所については教えて欲しい。この扉がそこに繋がっているのだろ? 乗り込む前に情報が欲しい





そうね………そこは気にするなとは言えないわね。今のエルカがいる場所というより。私たちがいる場所について話しましょうか





オレたちがいる場所?





今まで引き篭もっていた地下書庫を失ったエルカは、代わりになる場所を魔法で自分の心の中に作ったのよ。それが、この図書棺。図書棺の棺はヒツギと書く通り……ここは棺よ





棺ってことは……





これは【死】に近くなければ発動できない魔法。死に近い者が訪れる場所。だから私は使ったことがないわ……因みに、今の私は特別な方法で来ているのよ





待ってくれ………じゃあ、オレやエルカはもう………


最悪なことを想像する。
背筋に冷たい何かが流れるのを感じた。
青ざめるソルにコレットが微苦笑を向ける。



二人とも生きているわよ。病室で起きてたでしょ……死に近いというだけよ





…………でも、時間は有限なんだろ?





もちろん……これ以上奥に逃げ込んだら、生きて帰ることはできないでしょうね。本好きのあの子のことだから、しばらくはここに留まるでしょうけど。いいえ、本を読みつくすまでは留まりそうね





その状態も危険なのだろ?





ええ、もちろん……ここに留まっている間、現実のあの子は目覚めないまま。ずっと、永遠にそのまま。奥に入らなければ死ぬことはない





そんなのは、生きているとは言えないよ





ソルくんには、この中に入ってもらう。この先はあの子の心の最深部になるわ。今なら、魔法の鍵で簡単に入ることができるはず





待てよ……それって、あいつの心に踏み込めってことか? 今のエルカは自分の心に引き篭もってるんだろ?


扉を指差しながら妖艶な笑みを浮かべるコレットをソルは睨む。
これ以上、彼女の心に踏み込むのは危険だ。さっきのように泣かれるかもしれない。それよりも酷い思いをさせてしまう。
今度は心を壊してしまうかもしれない。
そうなれば、きっともっと奥に引き篭もってしまうだろう。そうなっては、もう手の内がないだろう。
躊躇するソルの手を、コレットの手が包み込む。
それは冷たい手だった。
コレットの手は震えていた。
娘を喪うかもしれない、その状況を怯えているのかもしれない。
