07 魔法の図書棺
07 魔法の図書棺
エルカは周囲を見渡して、小さく溜息を零した。
ここが何処なのか、この少年が何者か、わからないことだらけだった。
数多の本が魅力的であること以外はわからない。
エルカは浮かび上がる読書欲を抑えるように、小さく咳払いする。
そして、目の前の少年に視線を向ける。



あの……ここは、『何』なの? 貴方は知っているのでしょう?





知りません!





こいつ





ソル……ケンカはダメ


今にも少年に殴りかかりそうなソルの腕を、エルカは必死に抑えていた。



………





こいつ……ニヤニヤしていてムカつくだろ。知っていて黙っているんだ





ムカつくけど、今はダメ。この人だけなんだよ、情報源





ぐぬぬ……





………


少年はバカにするように舌を出す。
その挑発的な表情はソルを苛つかせる。
華奢なエルカの手で抑えられるのも、時間の問題だろう。
リン
鈴の音が鳴り響いた。
それだけで、場の空気が引き締まったような気がする。



………ここが何処かという質問でしたね。お答えしましょう。ここは魔法の図書棺ですよ。図書棺の【かん】は【ひつぎ】と書きます


突如、凛とした声が響いた。
それまで、ソルを指差してケラケラと笑っていた少年の顔が蒼白になる。
エルカとソルも無意識に背筋を伸ばしていた。
ソルの振り上げた拳はゆっくりと、腰元に下ろされていた。
場の空気が一瞬にして、変わったような気がする。
騒めいている教室に突然、校長先生が現れたような。
その一瞬で、この場の空気は彼女のものになった。
彼女の許可なく言葉を発してはいけないような気がする。
生唾をのみこむことすら、躊躇ってしまう緊張感が漂っている。



……


目の前で微笑んだのは小柄な少女だ。
幼女と呼んだ方が正しいのかもしれない。
彼女がどこから現れたのか、エルカもソルも分からなかった。いつから居たのかもわからない。気が付いたら、そこに立っていたのだ。



………


足音なんて聞こえなかった。
一瞬の出来事だった。
彼女は初めからそこにいたかのように、カフェテーブル前の椅子に腰をおろしてティーカップに口をつける。
幼い外見だが、その所作は貴婦人のように優雅だった。
先ほどまで、そこに立っていたことが幻のようだ。
亜麻色の髪。頭の上には真っ赤なリボンがのせられている。
可愛らしいエプロンドレスの少女は無邪気な笑顔を浮かべていた。
そして彼女は立ち上がると、てくてくとカボチャパンツの少年の前に歩み寄る。
その腕をグイッと引っ張った。
少年は乱暴にズルズルと引きずられながら二人から離されていく。



痛いです、腕が千切れます~





安心なさい……千切れたら、繋ぎ合わせば良いだけよ。私、お裁縫は得意なの


万力で引っ張られているのか、少年が必死に振り払おうともがいている。
しかし、逃げられない様子。



イタタタ





お客様に失礼です……知らない、だなんて





でも、真実だろ。ボクはここが何処かも知りませんしね





そんな偉そうに言わなくても……だったら、私を呼べば良いのよ。ここの案内人は私なのだから


やれやれと肩をすくめる少女。
彼女は今起きている現象を全て理解しているような表情を浮かべている。
エルカの視線に気づいたのか、こちらを見て穏やかに微笑んだ。



はじめまして、コレットと申します。この図書棺の案内人を務めさせていただいております





えっと、エルカ・フランです……この人はソル


コレットと名乗った少女の外見はエルカよりもずっと幼い。
だけど、漂う雰囲気はやけに大人びていた。
彼女も、少年と同じで見た目と年齢が違うのかもしれない。



知っているわ





知っている?





ええ





でも、はじめましてって





ええ、はじめましてよ





どういうこと?





今はわからなくて良いの。いずれ、わかることだからね。とりあえず貴女たちの敵ではないことは断言できるから。聞きたいことがあるのなら、質問して


何処かで会ったような、あたたかい笑顔だと思った。
だけど、今のエルカの記憶には思い当たるものがない。
疑問に答えてくれるというコレットの言葉に甘えるとして、エルカは疑問を投げかける。



それでは、お尋ねしてもよろしいですか?





はい





魔法の図書棺って? どういう場所なのでしょう





敬語でなくて良いわ。苦手なのでしょ?





……じゃあ、ここはどういう所なの?





本の棺《ひつぎ》。忘れられた物語がここに在るの





ごめんなさい、意味が……わからない





生きている人間、生きていた人間………彼らの過ぎてしまった過去、起きたかもしれない過去、夢見てしまった空想の過去が本になって存在しているのよ


二人は首を傾げる。コレットの声は優しかった。



簡単に言うと、人間の心や記憶や歴史がそのまま本という形になっているの





それって誰かの心や過去を覗き込むみたいなもの? 気味が悪いよ。いくら私だって、他人の過去を覗き見る趣味はないよ





誰でも読めるわけじゃないから安心して。その過去を持つ本人や、本人に近しい人にしか開くことは出来ないの





じゃあ私の過去の本を読めるのは、私本人と、私に近い家族だけってこと?





家族だから読めるってわけでもないわ。そうね、貴女がこの人になら読まれても平気って思える……貴女が心を許せる存在って感じよ





私が心を許せる相手……


それは、誰のことを言っているのだろうか。
エルカが心を許せる相手なんて限られていた。
だけど、それが誰なのかすら思い出せない。
気が付くとエルカの傍からソルが離れていた。
酷く難しい表情を浮かべて、顎に手を当てながら首を捻る。



難しい話は苦手だ





心配するな。ボクも分からないぞ


少年が凛々しい顔で同意した。
先ほどまで喧嘩寸前だった男二人が視線を交わして頷き合う。
きっと二人とも考えることが得意ではないのだろう。
実は二人は気が合うのではないだろうか。
そんなことを考えていると、コレットが神妙な面持ちで口を開く。



………実はね、エルカ……貴女たちにお願いしたいことがあるのよ





私たちに?





ええ、難しいことではないわ。彼のことよ





な、何ですか? 解雇なんて言わないでくださいよ





この彼が………主人公の本を探し出して欲しいのよ。彼はニンゲンではないの。この図書棺の中にある本の登場人物。それが、抜け出したもの





本から抜け出した?





ええ、自分の本から脱走して迷子になった主人公ってところかしら





大人なので迷子ではありませんよ!





自分で探せないのに偉そうなこと言わないのよ。本を見つけてくれるだけで良いから……





この人が主役の……どういうタイトルなの? カボチャパンツの話なの? タイトルを探せば良いのだよね


図書館ならば本のタイトルや作家でありかを調べることは可能だ。
これだけの蔵書なのだから、データとして管理しているだろう。
だけど、ここはエルカの知っている図書館とは違う場所。
コレットは乾いた笑顔をこちらに向ける。



残念ながら、タイトルはわからないの





それじゃ、難しいよ……検索するには、必要な情報が何か必要になるのに……タイトルの一部も分からないのでは難しい





そうね………それでも、私たちは探さなければならないの


コレットはクスクスと笑っていた。
気が遠くなりそうな話をされている。
エルカとソルは視線を交わしてため息をついた。
