誰も信じてくれないけど、わたしにしか見えない怪盗がいるの。
お父様に予告状を見せても、お母様にお話しても、絶対に信じてくれない。
『そんなことをして遊んでいる暇があるのなら、将来のために勉強しなさい』って、そればかり。
誰も信じてくれないけど、わたしにしか見えない怪盗がいるの。
お父様に予告状を見せても、お母様にお話しても、絶対に信じてくれない。
『そんなことをして遊んでいる暇があるのなら、将来のために勉強しなさい』って、そればかり。



ホントよ…怪盗はホントにいるのよ!


どうして信じてくれないの!



おやおやお嬢さん。今日はいつにまして、ご機嫌ナナメだね。


ほら、今だって!窓枠に腰掛けて、黒い服を着た男の子が笑ってる!!



怪盗イマジン!





ふふ、はい、何でしょうか





あなた、何者なの?お父様も、お母様も、あなたのことが見えないみたいなの





あなたは何者?どこから来て、どこに行くの?わたしに何をして欲しいの?





それはお嬢さん


怪盗はひらりと身を翻し、黒いマントを靡かせて、わたしの部屋の床を汚す。ああ、またお母様に怒られる!



怪盗とは、正体を晒しちゃあ面白くない。どこに帰るかも、秘密にしておいた方が格好いい。





いじわる!





まあそう言わず。僕の目的はただ一つ…


手をくるりと回し、わたしに掌を差し出してくる。そこにあったのは、可愛らしいヒメジヨンの花。



わあ!可愛い!!


レディの扱いがうまいんだから!可愛いお花をくれたから、今日は許してあげる。



ほら、咲いた





さいた?咲いたって、何が?





それはお嬢さん、あなたの笑顔の花だよ。僕の目的は、その笑顔を咲かせることさ





なあにそれ。わたしは、そんな言葉では惑わされたりしないんだから!





おや、手厳しい


いけない。あまり心を許すと調子に乗ってしまうわ。
コンコンというノックの音がする。



お稽古の時間だわ





そうかい…では、そろそろお暇しようかな





そうして頂戴。いつ、お父様とお母様にに、あなたが見えるようになるか、分からないもの。





ああ。そうだね。また来るよ





来なくていいわ。ドロボウのお友達なんて、わたしいらないわ


すると、怪盗はムッとして



失礼な。僕はドロボウなんかじゃないさ。盗む時は、必ず予告状をよこすだろう?





でも、盗むんじゃない。そうよ。あなた、ものを盗む怪盗でしょう?なら、それらしくしたらどうなの?わたしに渡してばかりじゃない


わたしが言うと、怪盗はふむむ、と口元に手を当てた。



おや、盗まれていることに、お気づきでないと





わたしは何も盗まれてないわ。


また、ノックの音がした。少し強い音だった。



いけない、爺が怒ってる





そら、早く行っておいで。僕はその間に帰ってしまうから





ええ。それじゃあね


言った時には、怪盗はもうどこにもいなかった。
やっぱり怪盗は今日も現れる。
ムカつくほどの綺麗な笑顔と、白い小さな花を持って、それはいつも通り私の部屋の窓辺に現れた。



いやあ、今日の君も、なかなか別嬪だね





帰ってちょうだい





お土産もあるよ





そんな雑草、いらないわ





おや、ヒメジヨンは好みではなかったかな?





あなたいつの話をしているの?





そうかい?こんなに可憐な花なのに…


今日の私は殊に機嫌が悪かった。最近バタバタとして忙しいし、こうして構ってオーラ全開の犬のような男の相手をしなければならないし、未だにこの男は誰にも認識されないし…とにかく、イライラしていた。
そんな中、道端にいくらでも咲いているような雑草を差し出されたことで、それは最高潮を迎えた。
大股で怪盗の下に歩み寄り、変わらない笑顔のそいつの頬に、一発。



………?


怪盗は一瞬目を丸くして…けれども、直ぐにあの笑顔に戻る……何でよ。



お嬢さん


なおも差し出される白い花を、怪盗の手からむしり取り、窓の外へ投げつける。茎からがくが取れ、花は首が落ちた死体のように地面へと散った。



ああ、可哀想に


怪盗はそれを丁寧に拾い集めると、シルクのハンカチに包んで大切に仕舞った。



ダメだよお嬢さん、いくら辛くても、関係の無い命に当たっちゃいけない。





……あんたでしょ…





…………


怪盗は、柔らかな笑みで私を見すえる。今はその顔が、酷く憎らしい。



あんたでしょ…あんたが、盗んだんでしょ…?





お嬢さん





返してよ…返してよ…!





お母様を…返してよぉ…!!


ーー2週間前の夜、お母様が病気で亡くなった。私はこの数日、休む間もなく働いていた。すっかり保けてしまったお父様の代わりに代理の喪主を務め、鎮魂の儀を取り仕切ったり、書類仕事をできる限りまとめたり…母の死を、悲しむ猶予もなかった。
その最中も、この男は変わらずここに現れ、飽きもせずにあの雑草を窓辺に置いていった。枯らせて腐らせたのは、昨日で何輪目だったろう。



……ああ、そうだよ


怪盗は、少し悲しげに、眉を下げて言った。



僕が、君のお母さんを連れていったんだ。ごめんよ。だって、あまりにも美しかったから





っ……!!


悲しみと怒りの他に感じた、この感情は、一体なんだったろう。私はまだ、この感情を知らない。



返してよ…





ごめんよ





返して…返して、返して返して返して返して…!!





返しなさいよ!!!!!


それから私は、怪盗の胸元を叩きながら、声を上げて泣いた。年頃の女性が恥ずかしい、とは言われなかった。
怪盗は何も言わず、ただただ私に叩かれ続けていた。
ーーその日からしばらく、怪盗は私の前に現れなかった。あの雑草も、窓辺には置かれなかった。



おや、今日はまた、殊に綺麗じゃないか。どうしたんだい?


私の部屋の窓辺に、彼はいつものように現れる。とはいえ、最近姿を現す頻度もめっきり減っていたから、今日、この日に会えるとは思っていなかった。



あら、イマジン。来ていたのね





今日は調子が良くてね。最近は、眠くてかなわないんだ





あら、美女より眠りを優先するの?





仕方がないだろう、動けなくなってしまうんだから…





それは大変ね





本当だよ


いつもの…より、少し疲れが見える笑みで、彼は答えた。私に会ってもまだ眠いなんて、全く失礼しちゃう。
コンコンと、部屋のドアがノックされる。返事をすると、同じ真っ白なタキシードに身を包んだ愛しい人が現れた。ふわふわの猫毛が愛らしい、私のパートナーになる人だ。
彼は私の姿を見ると、たちまち顔を赤くして口元を抑えた。



あれは、君の?





ええ、そうよ。私の


怪盗に自慢げな笑みを向け、それからあの人に向き直る。こうして正面から見ると、彼もとても素敵で、目を逸らしてしまいそうになる。



…すごく、綺麗だよ





あら、それだけ?





本当は…もっと沢山言いたいけど…でも…どれもチープに聞こえちゃうから…





ふふ、随分ロマンチストなのね





嫌かい?





いいえ、ロマンチストは大好きよ。


ふ、と、窓辺に視線を向ける。そこには変わらず、あの怪盗がいる。眩しそうに、私を見ている。



そろそろ行こうか。お義父様が待ってるよ。





ええ…ちょっと待って。


窓辺に駆け寄り、怪盗の下へ…



…随分、小さくなったわね





…君が大きくなったのさ。





……そうね。





………行っておいで。彼が待ってるよ





…………イマジン


彼の頬に手を添え、唇に触れるだけのキスを落とす。怪盗はきょとんとした顔をして、たちまち顔を赤くした。



そういうのは、僕じゃなくて、あの人とするんだ





予告無しに、ごめんなさいね。でも、あなたが盗んでいったのよ





……そうか、そうか。アハハ、僕は、とんでもないものを盗んでしまったようだ


怪盗はいつもの笑顔でそう言った。そして、あの時のように、私に白い花を差し出す。



今なら…受け取ってくれるかい、お嬢さん





……ええ。白いドレスには、ぴったりの色ね


彼からヒメジヨンを受け取り、髪に挿す。白と黄色の色彩が、純白にとても良く映えた。



……うん、とびきり綺麗な花嫁の完成だ。美しいもの好きな僕が言うんだから、間違いない。





あら、それは嬉しいわ。それじゃ、行くわね





ああ、行っておいで


最後にもう一度だけ目を合わせ、振り返る。恐らくもう、彼と会うことは出来なくなる。けれど、寂しくない。



…大好きよ、怪盗イマジン


彼に聞こえていたかは分からない。けれども、どちらでもいいと思っている。
愛しい彼に手を引かれ、私は約20年を過ごした部屋を後にする。家具もおもちゃもほとんど残されていないその部屋から、私は一歩踏み出した。
ーー大丈夫、もう怖くないよ。



……さよなら、シオン。


部屋の窓辺には、もう誰もいなかった。
