【2015年? サトウタカシ】
【2015年? サトウタカシ】



どういうことですか! これはっ!


導きの園の一部、ルークの居室で私はテーブルを打ち付けた。



どうやら手違いがあったようだ。……すまない、サトウくん。


ルークは落ち着き払い頭を下げる。心から申し訳ないと思っている、そんな詫びの台詞だった。



しかし、今回で3回目ですよ! いくら手違いが重なったとはいえ多すぎです! ありえません! そしてその手違いで出た被害、特に真紅さんの負傷を見過ごすなんてどういうことです!


ルークは深々と再度頭を下げる。



真紅の狩人が負傷してしまった事は私達としても手痛い。しかし、これ以上時間軸に干渉するのも好ましくない。分かるね?


ルークはわたしを見据えて言った。



許してくれ。キミが盟友『ビンセット・シュガー』の息子だと分かっているから、私もここまでキミを立てるのだ。本当にすまない、耐えてくれ。


しかし、父の親友の言葉としてはありえない文句があった。思わず背筋を冷気が舐める。
……それは、ありえない『ルーク』が発するとは信じ難い言葉の『あや』だった。
ルークと対面を果たした日の夜、わたしはその寝室へ忍び込んだ。導きの園の創立者たる父から譲り受けた『機能服従ワード(秘密の鍵)』を用いて。
園の面子と鉢合わせしそうになるが、なんとか事を始める事に成功した。そこで発見した木箱を奪う。中の文書の束に素早く目を通す。
私が覚えた違和感は1つ。
ルークを演じた彼は親友の『娘』たるわたしを、『息子』と言い切った。
彼『ルーク・バンデット』にだけはあっては為らない間違いだった。
暗視ゴーグル越しに映し出された文章には恐るべき事実とこれからの未来が記されていた。



これが事実だとするとこの先、未来は……、


同じ経路を用い『導きの園』を抜け出す。わたしは庭園を駆けた。



お父さんに伝えないと、……一刻も早く『ビンセット・シュガー』へ!


私の船は空を駆け捻じれる時空を飛び渡った。
『導きの園』と対をなす、父の過ごす世界へ私の船は降下する。
花を散らし降りたわたしへ父が肩を揺らしながら向かってくる。白髪交じりの頭と眩しい笑みが目を惹いた。その姿に嬉しさが込み上げる。



また大きくなったんじゃないか?


父を前に微笑みで応える。素直に喜ぶのはどうにも気恥ずかしい。



パパ、この年で『大きくなった』って結構恥ずかしいよ?





そうか。それもそうだな!


父の言葉にむず痒さが我慢出来ず覆面越しに吹き出した。父も並んで笑い出す。
笑い終えた父が改めてわたしに囁きかけた。それは溢れるくらいに愛しさを込めた響きだった。



キミの父親に、その可愛い顔を見せてはくれないかい。……由香。


呆然となる。けれどそれがやっぱり嬉しくて、わたしは仮面を解いた。
父『ビンセット・シュガー』はわたしの前で腕を広げる。



よく来てくれたね。大きくそして……、キレイになった。


私は懐かしい父の匂いをいっぱいに吸い込む。
……それはお母さんが好きな匂いだった。見上げた父の目は綺麗な碧色、疲労を表わしつつもあの時と同じ優しいものだった。



パパも元気そうで良かった! 此処はあれから何年経っているの?


父は高い空を望み答えた。



そうだな。『ホーム・ホルダー』が引き起こしたノア内部の反乱、全てを奪われ、お前と母さんを逃がしたあの時から、……2年。まだ2年しか経っていないよ。


わたしを見下ろし呆れたように微笑む。



船に行き先が出ていただろ? どうやってここへ?





えと、短縮ポートで『お父さんの時間』って、登録してたから。





そうか、なるほどね!


――いつまでも2人語り合った。父の言動、そしてその癖が懐かしくて見ているだけで幸せだった。



わたし、……この世界の『由香』は元気? お母さんはどうしてるの?


父は窓の外を眺めた。懐かしむように遠くを見ている。



外で遊んでいるよ。あいつと一緒に、無邪気にはしゃいでる。


頷く。シンミリとした空気が嫌なのに、やはり寂しさを憶えた。テーブルから腰を上げ、父は大きな手でこの黒髪を撫でてくれた。
――突如爆音が響いた! 大気を有り得ない振動が襲った。



……跡をつけられた? そ、そんな!


爆風が起こり辺りの緑が空を舞う。建物が幾つも炎に包まれた。



私はいい! お母さんをそして由香を連れて逃げなさい!


振り返らない。扉を開け硬い地面を蹴る。腕を振って駆けた。
これが父の声を聞ける最後のチャンスだったのかもしれない。しかし振り返らなかった。わたしはもう、牛乳瓶を手に待つ『由香』じゃない。『飼葉タタミ』でも無い。DDD団の部長『サトウタカシ』だから。



お母さんっ!


走り着いた広い花園で母が倒れていた。その横たえた脚が赤い色で滲んでいた。



今、助けるから! 無理に動かないで


スーツの生地を破りひざまずく。母の足にソレを巻こうとしたその時、――母はわたしの手を払いのけた。
流れる黒髪から覗いた瞳が訴えていた。



私はいいから、由香を! 由香をお願いします! お願いです!


爆弾が父の居た屋敷へ落ちる。その爆風はわたしを追い立てた。



――由香は、アナタの娘は此処に……


爆発と、誰かの悲鳴が聞こえた。



――わたしはアナタを、お母さんを守ろうと、……してるのに。


わたしは母が守ろうとした子を捜した。纏わりつく土砂を払い、父と母を見捨てた。
草花の茂る地にその子は居た。大きく見開かれた瞳がわたしを観ていた。花飾りを抱いて彼女は立ち尽くしていた。



お母さん何処だろ。由香はぐれちゃったの、お姉ちゃん知らない?


私は無垢な瞳に己の視線を合わせる。



貴女は、貴女のお母さんを守れますか? 守れる女の子ですか?


『由香』は立ち尽くしていた。わたしの仮面に脅えたのだろうか。わたしから、『由香』は逃げようとした。



お母さん? お母さん何処っ!





もう会えないかもしれない! もう2度と! けど、貴女が泣いて解決するの? 誰がママを、『草乃葉ななか』を助けられるの? 助けられるのは貴女だけなんだよ?


『由香』は鼻水をすすりながら、長い袖口で涙を拭き取った。



お母さん、由香のお母さんに由香はもう会えないの?


わたしはその手を引き駆けた。



そうかもしれない。だから、だからわたし達2人でお母さんを助けに行こうよ! きっと助けられるから! 絶対、絶対わたしが助けてみせるから!


『由香』は頷いた。抱きかかえられながらわたしに応えた。



うん。わたしがお母さんを助けに行くよ! 由香が、お母さんだけの戦士になるよ!


爆発の中、転がるように花の地を駆けた。
涙を堪えて、歯を食い縛って走り続けた。笑顔で腕の中を観る。



貴女のお母さん。……守れなかったかもしれない。
けど、由香ちゃん、貴女は諦めるの? あの時みたいに待っているだけなの?


『由香』は首を振った。小さな拳を胸の前で構える。だからわたしは『由香』へ微笑んだ。
――飛び乗った船で時空を駆ける。船の中でも『由香』は外の世界に母の姿を探しているようだった。灰色の時空をわたしの赤い船が捻じり飛び抜けた。
――遥かなる時を抜けて、わたし達は戦士の元へやって来た。
在るべき時間、真紅の狩人が傷ついたとされる日から数日を経た5月初めの日曜、その昼下がりの、
在るべき場所、盛り上がった土くれが目立つ『ひたちなか』の街、閑散たる休日を過ごす傷だらけの戦士の家へ。
街を駆けていた車は横転し息を潜め、小鳥は囀ることをやめ、街へ起こるサイレンに犬の遠吠えが倣っている。
突如現れたわたし達に『なゆた』は驚きすらしなかった。



……。


『なゆた』は紺のカットソーとジーンズにすすを纏い、ゆっくりと身構える。
わたしは彼女に告げた。いつもの、いつも通りの『サトウタカシ』として。



皆さん、お願いします、ワタクシ達に力を貸してください!


時間の流れと人の運命を司る機関が、そして全ての未来も、1つの家族『ホーム・ホルダー』に組み込まれようとしている。と。
指導者『ブラック・ダド』の元、時間軸におけるあらゆる事象を統治という名の枷に組み込まれ、そのあらかたが成し遂げられてしまった事、全てを話した。『ホーム・ホルダー』から世界と、『由香』の両親を救って欲しいと、わたしは頭を下げて3人に頼んだ。
流れ込む斜光を前に『真紅さん』は傷ついた身体を懸命に起こし、自身より小さな『由香』の姿を観ていた。



モカお姉ちゃんお願い! もう一度、もう一度だけお母さんを、みんなを助けて!!
由香ね、待ってるだけじゃ嫌なの! だからこのお姉ちゃんと一緒に来たの! もう、立ち尽くすだけは嫌なのっ!!


『真紅さん』は静かに訊ねた。優しく、『由香』の頭を撫でて問いかけた。



……キミの名前をボクに教えてくれないでしゅか?


『由香』は胸を張って応えた。その瞳には確かな自信が在った。



由香。草乃葉由香って言うの。草乃葉はお母さんの旧姓。『草の葉が香る訳を、雄雄しく生きる意味を知りなさい』って名前なの!


陰り行く夕陽を前にわたしはもう一度だけ問いかけた。わたしのヒーロー達に確認した。



真紅さん。桜さん。そして、なゆたさん。
世界を、人々を、生きる意味の在る全ての生き物達を、救っては下さいませんか?


『真紅さん』はゆっくり、けど確かなチカラを持って腰を上げた。身体を覆う包帯を締めわたしに向き直る。
桜さんは初めから動じて無かった。
なゆたが2人の眼を見る。



負けたくないよ! もう泣きたくない! もう誰も、……悲しませたくないよっ!


『なゆた』の眼は落ち行く陽を再度燃やすよう、誰よりも煌めいていた。



いくぞ、ちび。





それはボクの台詞でしゅ。足、引っ張らないでくだしゃいね!


その後ろには最強の戦士が並んだ。親子ほどの身長差を経て、2人は今、手を重ねていた。
