まだ幼いリセルには、自分が冥府へ向かって旅立つなどとは言うことはできなかった。
代わりに、若い女性でありながらも執権の座に着いたメーディアにすべてを託すことにしたのだ。
メーディアならば、他の誰よりもリセルを愛してくれる。
そう確信したクロエ王妃は、旅支度を整えた後にメーディアを呼びつけた。
まだ幼いリセルには、自分が冥府へ向かって旅立つなどとは言うことはできなかった。
代わりに、若い女性でありながらも執権の座に着いたメーディアにすべてを託すことにしたのだ。
メーディアならば、他の誰よりもリセルを愛してくれる。
そう確信したクロエ王妃は、旅支度を整えた後にメーディアを呼びつけた。



王妃様……。
本当に、冥府の吹雪へ向かわれるのですね





この国の権力者は、誰一人として冥府の吹雪に立ち向かおうとはしない。
自警団が動いた所で、何ら成果は上がらないのが現状。
ならば、国を代表する者の一人として、私が動くしかないではありませぬか





……そうですか


そう言ってメーディアは、悲しげに目を伏せた。



そこでメーディア、お前に頼みがあります。
これからはお前がリセルの母親代わりとなり、18の誕生日には真実を告げて欲しいのです





真実を……リセル王子と血の繋がりが無いとお伝えするのは、王妃様のお役目では?





そのつもりでいました。
ですが、恐らく私はこの地に二度と戻って来られぬでしょう。
メーディア、お前しかリセルを任せられる者はいないのです





執権であるお前なら、リセルの身に何か起こっても守ってやる事ができる。
そして、お前以上にリセルを愛してやれる者はいない。
どうか、リセルを頼みましたよ


クロエ王妃の言う通り、メーディアにはリセルの王位継承権を守れるほどの力があった。
ゼイウェル王に愛されていないリセルの地位も、メーディアが居れば揺らぐことはない。
更にメーディアには、誰よりもリセルを愛しているという自信があった。
その愛はクロエ王妃を遥かに超えるものであろう。
メーディアは床に膝を突き、クロエ王妃にかしずいた。



承知しました。
リセル王子を、私にお任せください


クロエ王妃は僅かな衛兵を引き連れ、何日もかけて山奥の村へ向かった。
村の若者は、ゼイウェル王に見捨てられた事で一度は絶望した。
だが、クロエ王妃が同行してくれた事に希望を見出だしていたのだ。
村に近づくにつれて吹雪の勢いは弱まり、この分では村人は皆無事なのではないだろうかと思われた。
冥府の吹雪は収まったのであろうと、誰しも安堵したのだ。
だが、それこそが冥府の吹雪の知られざる特徴であった。
クロエ王妃達が村に入るやいなや、冥府の吹雪は眠りから目覚めたように巻き起こり、一同を取り囲んでしまった。
魔法で応戦するも、一人、また一人と吹雪に飲まれていく。
前後不覚の吹雪に取り込まれたクロエ王妃は、いつしか孤立し、帰る道すら見失っていた。



くっ……!
誰一人救わぬまま、死ぬわけには……!


雪と風の寒さで、瞬く間に体温は奪われていく。
クロエ王妃は、冥府の使いが手招きをする幻覚が見え始めていた。



(やはり私には、村人を救うことなど無理だったのだ……)


──そう諦めかけた時だった。
クロエ王妃の瞳に、一人の子供の姿が映ったのは。



(まだ生きている子供がいた!
あの子供だけでも、何としてでも助けなければ……!)


背格好からして、リセルとそう歳は変わらないであろう。
クロエ王妃は最後の力を振り絞って、一歩、また一歩と、弱々しく子供の方へ向かう。



王妃様!
ご無事ですか!?


吹雪の中から、村の若者が姿を現した。
クロエ王妃はそれに答えることもせずに、一心不乱に前へ進んでいる。
それは歩くというよりも、すでに足を引きずっているだけであった。
今にも倒れそうなクロエ王妃を、村の若者が支える。



あの子供を……私が救わねば……





子供?


不可解に思った村の若者は、クロエ王妃の視線の先に目をやった。



(この村に子供などいないはずだ。
あの子供はどこから来たんだ?)


とにかくクロエ王妃に肩を貸しながらも、村の若者は子供に近づく。
そして、二人は見た。

その子供は、他の誰でもないリセルであったのだ。
クロエ王妃は愕然として、その場に膝を突いた。



リセ……ル……?
どうして、ここに……?





…………


その問いかけには答えず、子供は猛吹雪に向かって駆けて行った。



待って……!
リセル……!
リセル!!


クロエ王妃は身体を引きずるようにして子供を追ったが、もうその姿を見つけることは出来ない。



(あんな小さな子が、一人で私の後を追って来たというの?)





(リセルを捕まえなくちゃ……。
リセルを守らなくちゃ……。
でないとリセルが死んでしまう……)


クロエ王妃は、その場に倒れ込んだ。



リセ……ル……





王妃様!
王妃様!


村の若者が何度呼び掛けようとも、クロエ王妃は二度と返事をしなかった。
彼女の一生は無念のまま、終わりを告げたのである。
それから、10年の月日が流れた。
リセルは、父であるゼイウェル王に謁見の間へと呼び出されていた。



只今参りました





うむ。
明日はお前の、18の誕生日であるな。
今年はいつもの誕生祭とは違う。
国をあげて成人の儀を執り行うぞ





はい、父上





お前も知っての通り、18歳になった王族には専属騎士がつくのだ。
明日、王宮騎士団に所属する成人のみで御前試合を行い、もっとも力強き者がリセル専属の護衛騎士となる。
騎士の任命式をもってして、お前の成人の儀とするぞ





父上、その事でお話があります





何だ?
言うてみよ





かねてから、私の専属騎士はルディアが適任ではないかと考えておりました。
本人たっての希望でもありますし、私も気心の知れた者が良いと思っております。
ですので、御前試合はなさらなくとも……





ルディア……?
ああ、あの使用人の娘か。
あのような下賤の者を専属騎士にしてどうする。
専属騎士たるもの、それなりの家柄の者でなくとはならぬだろう





ルディアは身分の低い者ではありません。
城の使用人であった両親を亡くしてからは、兄のラングと共に努力を重ねて王宮騎士団への入団を果たしたではありませんか。
彼女は立派な王宮騎士です





ふん、くだらぬ。子供の頃からあの者共と戯れていたようだが、わしは認めておらぬぞ





使用人の子供らと対等の関係を持つのが、王族の名に傷をつける行為だというのがまだわからぬのか?





……っ!


リセルは憤怒した。
幼なじみであり、数少ない心を許せる相手であった友人を愚弄されたのだから。
しかし、ゼイウェル王と争った所で何の利益も出ぬ。
そればかりか、ルディアとラングが王宮騎士団内で冷遇される可能性すらある。
そう考えたリセルは強い眼差しをそのままに、言葉を飲み込んだ。



反抗的な目付きだな。
文句でもあるのか?
言っておくが、ルディアの御前試合への参加も認めぬ。
レクエルド総統にもその命を下すつもりだ





なぜですか!
ルディアもラングも正式な王宮騎士なのに!
父上もその実力をお認めになったから、入団の許可を下したのではないですか?





剣の腕前が少しばかり立つからといって、専属騎士としての資質が備わっているかは別の話だ





父上……


あまりにも取りつく島の無い様子にリセルが落胆していると、背後から透き通った女性の声が響いた。



ご安心なさい、リセル王子。
ルディアの御前試合への参加は、この私が許可いたしましょうぞ





メーディア!


リセルが振り向いた先には、クロエ王妃が亡き後、リセルの母親代わりを務めたメーディアが立っていた。
その出で立ちは10年の歳月を思わせぬほどに麗しく、ゼイウェル王を見据える瞳には聡明さと、凛とした意志が感じられた。



ゼイウェル王。
御前試合に参加する条件としては、18歳以上の王宮騎士であれば誰でも可能なはず。
ルディアは一月前に18歳になっております。
十二分に条件を満たしているのではありませぬか?


メーディアの言葉には逆らえない──自分の意思を曲げざるを得なくなったゼイウェル王は、舌打ちをした。



好きにするが良い。
いずれにしろ、あのような華奢な小娘が精鋭揃いの男性騎士たちに敵うわけがあるはずなかろう


負け惜しみを言うゼイウェル王を、メーディアは一笑した。



ゼイウェル王は、本当に人を見る目が無い御方です。
ルディアの剣技をご覧になった事が無いのですね。
王宮騎士団をレクエルド総統に任せきりにしているから、現状がわからぬのです





黙らぬか、メーディア!
例えお前であっても口が過ぎるぞ!





これは失礼。
では行きましょう、リセル王子


メーディアがリセルの手を取ると、ゼイウェル王は二人を追い払うように手を振った。



ええい!
下がれ下がれ!





失礼いたします、父上


リセルは儀礼通りに頭を下げて見せると、メーディアと共に謁見の間を後にしたのであった。
第3章へ続く
