ぼんやりと目を開くと、そこに美しいと、そんな形容句を使うにはもったいない人が座っていた。
長い漆黒の髪。サイドには赤い玉の髪飾りを通した人。
学校に入学したばっかりの俺でも、この人は知っている。
この学校の『永年』生徒会長『雲雀暁夜』だ。
とにかく俺は慌てて体を起こすと腹部の痛みが甦って胃酸の不愉快な匂いと共に内容物がせり上がってきたのをこらえる。



……


ぼんやりと目を開くと、そこに美しいと、そんな形容句を使うにはもったいない人が座っていた。
長い漆黒の髪。サイドには赤い玉の髪飾りを通した人。
学校に入学したばっかりの俺でも、この人は知っている。
この学校の『永年』生徒会長『雲雀暁夜』だ。
とにかく俺は慌てて体を起こすと腹部の痛みが甦って胃酸の不愉快な匂いと共に内容物がせり上がってきたのをこらえる。
ぎしぃぃ。



!?


木が軋む、その中に紐の擦れる音。



やっぱり、見えてるのか





な、何がですか……


とっさについた嘘に、永年生徒会長……――雲雀暁夜は俺を無感情に眺める。
それから、つっと顔をあげた。俺の後ろにいるであろう『ソレ』を、まるで直視するように。



お前に怒ってる





あ、あの人ですか。
あの人は……同じ学年の……





同じクラスの、格好好い人。
今は、暴力人と評価は変わったけれど。
怖い顔をしているのに、気さくでクラスにしっかり根付いている人。
到底、俺のような根暗な人間とは鏡像のような存在だ。
明るくてスポーツ万能。
いつもバスケットーボールが終わると女子に囲まれていた





優しい人だった。
俺みたいな人間にも、気にかけてくれて……





いや、優美子様の方だ。
優しく美しい子と書いて、優美子。
優美子様だ。
知らないのか?
今、お前の後ろで首吊ってぶら下がっている我が校のパワースポット『体育館裏』の中核にして絶対恋愛成就を生業としている怨霊様


ごめんなさい。
今、全部一言一句漏らさず聞いたけど意味が分からなかった。
パワースポットと恋愛成就までは素敵単語だけど、最後の言葉が聞き捨てならなかった。
だから、早口で聞き取りづらかったともう一度お願いする。



優美子様がお怒りだ。
今、お前の後ろで首吊ってぶら下がっている我が校七不思議『体育館裏』の怪談の中核にして恋愛成就を生業としている怨霊様。
恋の成就を願いし者には事故を装った怪我で片恋相手との距離を縮め、自らが恐怖の対象となって現れ、距離を更に縮めてくれる。
そして、対象者の恋愛を邪魔立てする者には事故で大怪我をもたらし、もしくは自らが邪魔者を排除するべく恐怖の対象として取り憑き精神を追い詰め不幸の鉄槌を下してくださる





ん!? 気のせい!?
内容がさっきとちょっと違うし、恋愛してる人にも、その邪魔者にもやること同じじゃない!?


やっぱり、最後『怨霊』って言った。
間違いなくハッキリと『怨霊』の二文字を、強調するかのようにも言った。



お、怨霊が恋愛成就とか……無理ありません?





怨霊であろうとも祀ればその地を守りし『神』となる。
日本はそういう怨霊を鎮めるために『祀』って『祭』で慰める風習が有る。
恋愛成就を願う人間とその恋愛に邪魔な人間に対してやってることが同じでも、当人達の『恋愛』が成就するならそれは『恋愛成就』で間違いない
彼女もまた、この地に『祀られし怨霊』であって恋愛成就を成功させるなら『神』と崇められて当然だ。
『他の怨霊だって』同じことをされて『祀られて』いるのだから彼女だけが例外というのはおかしな話だろう


何か、すごく難しい話をされたけれど納得した。
とりあえず『恋愛成就すれば手段なんかどうでも良いじゃん』ってことだ。
それはそれで、怖いと思う。
優美子様に恋愛成就を願う人は、こういう理由で恋愛成就が遂行されるということを知っているんだろうか?
不意に雲雀さんかは俺の頬に指先をめりこませるほど強く俺の顎を掬い上げるようにぐいっとあげる。



見ろよ。
恋愛を成就させるために優美子様はお前を呪いたいそうだ。
どうしても逃れたいってんなら良い方法があるけど聞くか?


無表情な永年生徒会長は俺を無表情に見据えてこう言った。



その目玉、自分で抉り取れ。
そうすればさすがの優美子様もどこぞのお嬢さんが希(こいねが)ったお前との縁結びはやめた方が良いと思ってくださる。
俺だって、自分の目玉抉るようなイカれ野郎と同じ空気は吸うのも嫌だ


ふっと笑った顔。
この人、無茶苦茶だけど結構、普通なことを言う。
二階の窓から飛び降りてきて、人を着地台にしたけれど。
確かに、恋愛成就させるにしても相手がヤバい奴だったら神も怨霊も成就させようと思わないだろう。
それでも、そんなサイコな阿呆を成就させようものなら悪魔みたいなものだ。
怨霊でも悪質な男と縁結びぐらいやりかねないけど、それでも呪われないという可能性があるならやるっきゃない。
ゆっくりやったら痛そうだし、早く済ませれば良いだろうか。
目尻からは上手く入らなくて内側の方から人差し指をねじ込むと、生温い感触が指先を包んだ。
目玉の感触は、なんと言うかこんにゃくみたいだ。柔らかくてスベスベしてて、弾力のある球体……――。



っっっ!!?


突っ込んだばっかりの指を乱雑に引き抜かれて、俺は下手に引っ掻いてしまったような高熱が目玉の内側を襲いかかる。
それと、今まで指が入っていた面影がどっかりと鎮座してなんとも言えない感覚が目玉周辺に残った。



お前、バカか?





で、でも……
こうすれば呪われないんですよね……?





やっぱり見えてるんだな





!


しまった嵌められた。
視線をずらした瞬間に、また目玉に走った痛みに閉じた目蓋の上から目を抑える。



お前、頭の方は大丈夫か?
頭痛とかじゃなくて、メンタル面に関して。
世間一般的に、精神的疾患を患ってないかという問いかけなんだけど


その質問に対しての返答は、正直憚られる。
それは精神的に『普通であるか』という問いかけのはずだ。
それならば、彼、雲雀暁夜の疑問に対する答えは『イエス』になる。
世間一般の普通と呼ばれる『日常』に、俺はとことん無縁だ。
『通常』という言葉も俺の中から裸足で逃げてからは帰って来ていない。
『常識』なんて一般的な概念は、俺に圧倒的な敵意を向けて容赦なく弾き飛ばしている。
俺の『日常』は
『異常』と『非常識』



十年此処に住んでるけど、幽霊が視えてる奴で、お前みたいなのは初めてだ


その言い方だと、雲雀さんの場合、学校に十年住んでるって意味と勘違いしそうだ。
たぶん、この町に住んで十年という意味だと……信じたいのに信じられないのは何故だろうか。
やっぱり、永年生徒会長という役職についてるからか。
噂では、雲雀さんはずっとこの高校の二年A組に在籍しているとのことだ。
クラスメイトに五年前の卒業生の弟が入学してきたが、その人が口にしているのを聞き耳立てたことが有る。
学校を卒業したくないぐらい大好きで学校に自分の私室を設けて住んでいるとか。
その部屋は本気でガスキッチン、冷蔵庫・風呂まで完備されていると実しやかに囁かれているが真実は定かではない。
何でも、彼はこの地を治めていた一族の末裔で、今でも一生遊んで暮らせるぐらいの金持ちだから誰も文句言えないらしい。
それから、彼はついっと顔を俯かせた。
その視線の先は『俺の腕』。



その『腕』のせいか?





!!!


ぐっと、腕を引っ張られる。
小食な性質である自分と、そんなに変わらないぐらいの細い腕が、痛いほど俺の手首を掴んで捻って。
そんな細腕からどれだけ力が出るんだと言わんばかりに力強く。



う、腕は何でもありませんから!
本当に、何でもな……――





お前が寝てる間に見たけど、それ『呪い』だろ


ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ。
ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ。
『視』られた



う、腕には何もありません……


ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ。
ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ。
さっきから、私を無視するなと言わんばかりに軋む音が激しさを増しているが、それも自分の心音と重なるほどだ。
まるで、この心音が、雲雀さんに聞こえないように手伝ってくれているみたいに。
ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ。
ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ。
雲雀さんが俺の腕を捲ろうとして、視線が俺の背後にいる女学生へまた移る。
忙しなく揺れる……――否、この場合は忙しなく揺れている音を立てている、と表現すべきだろう。
気配で分かる。
彼女は身体を揺らしているわけではない。
ただひたすら、縄を揺らして木を軋ませて、自分の存在を『訴えて』いるのだ。
そんな彼女を、じっと見上げる。



……





お前、昨日手紙を渡されて来なかったな
何でだ?





な、何でそれを知って……





パワースポットの上は俺の自宅だ





意味が分からな……
いや、意味が分かったらアウトな気がする





……──





……──


どうしよう。
正直に答えてしまおうか。
この『優美子様』の噂をかねがね聞いていたから……いや、恋愛成就の話は初めて聞いたけど……それが怖くてバックレタのだ。
校舎裏で首を吊って自殺した女子生徒が居る。
その怨念が残ってる。
そんな噂を聞いただけで、俺は本気でビビッて校舎裏に、聖丘さんに呼ばれるまで近づかなかったのだ。
本当は、校舎裏に行くのは嫌だったけど、すごく怖い顔で真剣そうに俺を呼んだから着いて行ったのだ……――そしたら、突然、殴られて蹴られて。
思い起こしていると、雲雀さんは俺と向き合っていないことに気づく。
その青い瞳をずっと、後ろの『優美子』様に向けていた。
ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ、
ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ、
ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ、
あと、そこの恋愛成就の怨霊『優美子』様、うるさい。



すみません……俺、帰って良いですか……





……──


ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ、
ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ、
ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ、



珍しいな。
俺がいるのに、優美子様が帰らないなんて





優美子さんは生徒会長さんが居ると帰るの?
生徒会長さんのこと、嫌いなのかな?





今回は『呪い』の方か……


雲雀さんは、すっと手を差し出すとじっと俺を見る。



携帯、貸せ





はい?





電話をかける。
お前の人間性は、まぁ、まともだ


まともなのと、携帯電話を貸すことが直結しないのだが、この生徒会長が至極真面目に手を差し出してきている、その細い手に携帯電話を乗せる。
乗せて、俺を一瞥した。



携帯持ってるんだな





生徒会長さんは、持ってないんですか?





持ってない。
かかってきてウザいから


そう素っ気無く吐き捨てて、渡したスマートフォンを睨みつけた。
確かに、何か雲雀さんぐらいの美形だと携帯電話を持っていると分かったら即座に電話帳のメモリが埋まりそうだ。
きっと、女子から毎日のように電話がかかってきて、それでピリピリ鳴ってて煩いとか……――羨ましいなぁ、それ。
友達が全くいない俺のメモリはガラガラだけど、そこは仕方ない。
俺みたいに薄気味悪い人間の電話番号なんか持ってはいたくないだろう。
ところがしばらくスマートフォンを見下ろしていた雲雀さんは目を瞬かせて俺を直視した。



これ、どこにボタンが有る?





はい?


まさかのカルチャーショック。
目の前のどう見ても日本人がまさかスマートフォンの操作方法を知らない。
画面を見下ろして、じっと睨みつけている。
これは、本当に分かっていないようだ。
珍獣どころではない。これはもはや幻獣だ。
もしくは、異世界に転生したとか異世界の召喚先がここまで文明発達していない人達が見せる反応だ。
まぁ、ボタンがあるのか聞いてくる辺りはガラパゴス携帯の操作にはそれなりに経験しているようだが。
俺はスマートフォンを改めて受け取りなおして、タップで電話のアプリを開いて、異世界人(雲雀さん)に笑いかける。
だって、超絶の麗人がスマートフォンの操作方法分からないとか、何だか不思議すぎて面白い。
面白いというのは、決して彼を馬鹿にしているわけじゃない。
ただ何となく、彼の怖いイメージが少し崩れただけだ。



どこに電話かければ良いですか?





……――俺の知り合いだ。
優美子様を剥がしてくれる奴に心当たりが有る





ほ、本当ですか!?


俺は嬉々として番号を聞き出し、早速つないだ。
それならすぐに剥がしてもらわねば。
今日も大事なバイトがあるのだから。
お金のことは……バイトの話をしてどうにか後払いにしてもらおう。
断続的に続く電子音。
耳元から聞こえてくる無機質な音に、俺は異様に心臓を働かせていた。
緊張と、不安。
もし、電話を出てくれなかったらどうしよう。
もし、剥がしてもらえないと言われたらどうしよう……――。
そんな不安を余所に、スマートフォンの向こうで、ガチャ、と受話器を取る音。



もしもし、五星神社の神谷です


優しい声のお兄さんだった。
雲雀さんみたいに怖い声の人だと、本能的に思っていたらしい俺はその声を聞いて安堵した。



あ、あの!
俺、中央鼈甲高校に通っている穂村繁(ほむらしげる)って言います!
生徒会ちょ……――雲雀さんからお話聞いて、優美子様を剥がしてくれるって聞いたんですけど……


この先、重要。



お祓い代、いくらですか!?


切実な問題だ。
俺はこの学校に通うために一人暮らしを始めたのだから。
この学校に通うため、とは言うが、ここの天子中央高校はべつに平々凡々な公立高校だ。特に進学校とか何か得てとしている部活が目立って有るわけじゃない。
小さい頃に、両親は死んだと聞いている。
北海道の片隅にあるここは、両親がまだ生きていた頃に住んでいた場所なのだ。
親戚中をたらい回しにされて、親戚の人達にこれ以上の迷惑をかけないために一人でこっちに移り住むことにしたのだ。家賃も学費も全部自分で支払うと言えば、アッサリ許可が下りた。
当然、そういえば良いと言ってくれる自信はちょっと悲しく思えるぐらいに有った。俺の存在が『邪魔』という事実は消しようが無い。このご時世で厄介な頭がおかしい子供を引き取る余裕の有る家なんて無い。
そうでなければ少子高齢化現象なんて驀進しないだろう。
電話の向こうのお兄さんは、クスクスと笑う。



優美子さんに関してはお代を頂いてないんだ。
彼女はどうしても想いが強すぎて成仏させてあげられないから


それを聞いて、俺は目をぱちくりさせる。
確かに、剥がせるぐらいなら成仏も出来そうだ。成仏させるとは言ってない。
あくまでも『剥がす』。
これは、俺にくっついて来ているのを剥がすしか方法がないということだ。
そんなことを思案し、耽っている俺の耳に電話越しに届く優しい声。



近くに暁夜はいるかい?





え? はい。います……





・・・・・。


けど、と続けようとした途端、肌をぞわっと舐めた寒気に振り返る。
発信しているのは、雲雀様だ。顔をしかめて歪めて、俺を睨みつけている。
何だかどす黒いオーラが見えるぐらいに雲雀様はご機嫌斜めのようだ。顔を見て空気が読めないほど世渡りは下手ではない。むしろ、この処世術が無ければ俺は今日までまともに生きていられなかったと自負している。だからといって普通よりも空気は半端なく読めていないが。



ど、どこか行っちゃったみたいです。
あれ、おかしいなぁ……
さっきまでそこに居たのに……





そっか。
話が、あったんだけど





それなら、伝えておきます。
俺、神谷さんのことを紹介してもらったのに、お礼をまだ言ってなくて……





本当に、君はしっかりしてる子だ


電話の向こうで、神谷は囁いた。
――……そんなことは、ない。
――……そうでなければ、俺はこんなところに一人で居ない。
――……きっと、両親が死んだのだって……。
囁いて、こう続けた。



暁夜。そこに居るのは分かってるよ。
たまには家に帰ってきなさい





知り合いって言ってたけど、雲雀さんの親戚さんかな?
帰る家、あるんだな……――





ここが俺の家だ


怨念こめるように、雲雀さんは学校を家と断言した。
本当にパワースポットの傍に居住区構えていらっしゃるようだった。
