校舎の中は人がまったくいなくなったせいか、妙に静かだった。カベサーダたちは今夜も集団で校長室にいるはずの指導者の命に従いながら、大翔たちの姿を追っているのだろうか。細い廊下の続く一本道ですれ違うことはなかった。
校舎の中は人がまったくいなくなったせいか、妙に静かだった。カベサーダたちは今夜も集団で校長室にいるはずの指導者の命に従いながら、大翔たちの姿を追っているのだろうか。細い廊下の続く一本道ですれ違うことはなかった。



でもトラップなんてどうやって作るんですか?





学校っていうのはそもそも意外と日常非日常の色んなものが集まってくる場所さ


廊下を歩きながら様々なものが落ちた廊下や教室で光は時々何かを拾っていた。ただ大きな音を鳴らすというには片手に余る道具だけを持って、いったいどうやって音を立てるというのだろうか。
廊下を曲がっては音を立てないようにゆっくりと歩いていく。バリケードから十分に離れた教室の中で光を中心にトラップ作りを始めた。



要はドミノ倒しと同じ要領を使えばいい


そう言って、光は手に隠すように持っていたトラップの材料を開いて見せた。
ミシン糸、モーター、木工ボンド。
どれも授業で使うもので大翔も見たことがあるものばかりだ。あの廊下には学校にあるべきものが全て投げ出されている。



最初は小さな崩れでいい。それが少しずつ大きなものを崩して音を立てるんだ


モーターに銅線と乾電池ケースを繋ぎ、芯のほうに木工ボンドでミシン糸を巻かれた状態のままくっつける。その糸を引っ張って伸ばし、段ボールの切れ端を三角に折ったものに貼り付けた。
その上に割れた板を重ね、机の脚を乗せる。机の上には大小さまざまな石や物理の実験で使うパチンコ玉なんかを乗せ、落ちる先にひっくり返した教室の机を置いておく。



これで糸が巻き切れれば段ボール片が抜けて、机の上に物が落ちて大きな音が鳴るはずだ


教科書を入れるための空間が音をやたらと大きく響かせてくれる。小学生の頃、大掃除中にビー玉を投げて遊んでいて怒られたことがあったのを大翔はよく覚えている。



ミシン糸の正確な長さはわからないが、だいたい五分というところだろう


準備が完成し、後はスイッチのないモーターに電気を通すために乾電池をケースに入れるだけだ。



成功するのか?





たぶんね。奴らが寄ってくるかどうかは未知数だけど





そんじゃ、一階の階段までできる限り近付くとするかのう


ここからなら歩いてもバリケードの近くまではいけるはずだ。ここから初めてこの夢の学校に来た時に大翔たちが入った教室で隠れ、しっかり音が鳴ってカベサーダが音に向かったところでバリケードをどかして校長室になだれ込む。
何度考えても分の悪い作戦だった。ここまでカベサーダと出会わないことも幸運なはずなのに大翔をやけに不安にさせた。うまくいかなくて当然のことが順調に進んでいるだけで、夢の指導者にこの作戦が見破られていてどこかで大翔たちを一網打尽にしようとしているのではないかという考えが頭をよぎる。



いいかい? あと一分と少しだ


光が拾ってきていたストップウォッチの表示を見ながら呟いた。こんなものもこの学校には落ちている。カベサーダから逃げるのに必死で見落としていたものだ。



どうした?


手元に視線を落としたまま黙り込んだ大翔に乃愛が問いかけた。



いえ、うまく行き過ぎていると思って


大翔の手は震えている。恐怖でも武者震いでもない。目の前にある危機とは別の方向から大翔を脅かしている存在をひしひしと感じてしまうのだ。



格闘技の試合はな、ローキックが重要なんだ





え?


唐突に始まった乃愛の話に戸惑う。そんな大翔の様子を無視して乃愛は話を続けていく。



だが、試合中いくら蹴っても顔色ひとつ変えない相手が出てきたりする。きちんと当たっている手応えはあるのにな。そういうときはどうするか





どうするんですか?





もっと蹴る。順調ということはそれだけ相手に効果が出ているということだ。気負うな、貴様がやっていることは成功している


便りがないのは良い便り、とは少し違うが、とにかく大翔たちの作戦は障害がないのだから成功していると乃愛は言いたいのだろう。そうだ、せっかく問題なく進んでいるのだから悩む必要はないのだ。
自己暗示をかけるように頭の中に何度も成功の姿を描いて、大翔は手に持った自分の武器、中学の時よく片付けを手伝ったハードルの足を掌に軽く打ちつけた。



そろそろだ


ストップウォッチを見ていた光が小声で言う。この後はじっくり二分、この場所に待機してからバリケードを壊すつもりだ。音を立てずに慎重に事を進める余裕はない。その音を聞きつけてまたカベサーダがこちらにやってくる前に一気に敵の本丸に攻め入る。
トラップを仕掛けた教室から今いるバリケードのすぐ側の教室までは直線の廊下を五本分。学校の廊下一棟分でだいたい五〇メートルとして二五〇メートル。カベサーダの疲れを知らない走りを考えるとそれほど時間はない。
カン、という金属音が天井から鳴った。それを始まりにして堰を切ったように机の空洞で増幅された音が豪雨のように響き始めた。



そうか、この教室の上にあのトラップがあるんだ





それにしたってよう響きおるな





聞こえないよりはいいさ


奴らを誘いやすい、と言った光の声をかき消すように外の廊下から爆音が響く。
足音だった。特徴的な高い音。カベサーダの足の発達した爪が学校の廊下の床を叩く音。昨夜までなら規則的に小さく鳴るこの音を頼りにして逃げようと聞き耳を立てていた。だが、今夜はその必要もない。
様子を窺うために少しだけ開けておいた教室の扉の向こう側。数え切れないほどの数のカベサーダが廊下に爪痕を残し、散らばったものを蹴り飛ばして走っていく。目指すは間違いなく最奥の教室。虚しくも机が打ちつけられて悲鳴を上げているだけのあの教室だ。
