拍手が止むと、篠原先生は咳払いを一つした。
拍手が止むと、篠原先生は咳払いを一つした。



では、これからチーム編成を発表する。端末に送られたチーム番号と教室内の集合場所に従って集合し、10分ほどで自己紹介を行うように。


この学園の一つのクラスには約五500人の生徒が所属しているが、普通に考えて教師一人では全員に行き届いた指導は難しい。
ゆえに、情報を交換しあい、切磋琢磨しあい、成長するという目的のもと、チームという制度がこの学園では導入されているということだった。
加えて言うなら、チームメイトの失態はそのチームの連帯責任だそうで、社会的学習の意味も兼ねているとかいないとか。
オレの手元の端末に「D5」という文字と教室内のマップが表示され、マップには赤い点で集合場所も併記されている。



ゆ、悠十くん!
何番だった?


緋瀬がなぜだかちょっと緊張気味に聞いてきた。



ええと、D5だけど。緋瀬は?





でぃ!?……はへ……。





はへ?





い、いや、え、えと、その、ふわ、私もでぃ、D5だから……、だからその、い、一緒に行ってもいいですか……?





別に構わないけど?


オレの返答に対し。緋瀬は、



はりはほ……。


と言った。
そのあと二つのポッドが移動する間、オレを見ないようにしながらずっと両頬を手のひらでぐりぐりしている。
にやけ顔を直している……のだろうか?



何にやけてるんだ?





い、いや、ちょっと思い出し笑いを!





そ、そうか……。


集合場所に着くと、一人の人物が待っていた。
臙脂色のパーカーを着ており、顔は前髪で隠れているのでどんな顔をしているのかいまいち分からない。
オレたち二人が来たことに気付いたようだが、ちらりとこちらを見やったかと思うと、うつむき加減に前を向いて黙してしまった。



え、えっと……は、初めまして。
わ、私、緋瀬未来って言います。
お、お名前を聞いてもいいですか……?





……蘇芳(スオウ)……怜(レイ)……


その声は男性のもののようにも聞こえたし、女性のものにも聞こえる。
しかし着ている制服が男子用のズボンだったのでおそらく男子なのだろう。
一方の緋瀬は思った以上にそっけないその返事に何か言い返さなくてはとあたふたしている。



オレは緒多悠十。よろしく頼むな。


あたふたしている緋瀬が可哀想になってきたのでオレは自分の名前を述べ、手を差し出した。



……オダ……ユウト……


蘇芳はオレの名前を復唱すると、オレが差し出した手を無視して真っ直ぐ前を見つめて、再び黙り込んでしまった。
オレは虚しい手を引っ込め、苦笑するしかなかった。



四人とも自己紹介が終わったチームから代表者がチーム全員の学生証を持ってこい。


篠原先生がマイクを通して言った。
しかし今オレたちのチームはオレ、緋瀬、蘇芳の三人しか集まっていない。



あともう一人来るのか?





う、うーん、どうだろう?
わ、私、学生証を持って行くついでに聞いてみるね!


そう言って緋瀬はオレと蘇芳からあの瑠璃色の金属製の学生証を受け取ると、ポッドで篠原先生とところへ移動していった。
オレと蘇芳の間にしばらく気まずい沈黙が流れる。
しかし、意外にも。
先に話しかけてきたのは蘇芳だった。



……君は。
……本当にオダユウトという名前なのか?





え?





……本当にオダユウトなのかと聞いている。





あ、ああ、そうだけど。なんで?





いや……それならいい……。


オレは一瞬、蘇芳の目がこちらを刺すように睨んだように感じた。
その視線が何を意味するのかオレには分からなかったが、恐怖にも似た感覚が背中を走る。
そして、何も言い返すことのできないまま数十秒間が過ぎたとき、緋瀬が戻ってきた。



あ、緋瀬、おかえり。あともう一人どうなってるか分かった?


オレは逃げるように緋瀬に声をかける。



う、うん、えと、女の子が一人遅刻して来るらしくて、今はとりあえず三人でいいって言ってたよ。





そうか。じゃあその子が来たらまた自己紹介しなくちゃな





そ、そうだね!
と、とりあえずこれから授業が始まるみたい!


オレは入学早々授業があることにげんなりしながらも、先ほどの蘇芳の視線の意味するところを考え始めた。
彼の発言はあたかもオレの名前を聞いたことがあるような話し方だった。
オレのことを知っている可能性がある人物といえば緋瀬のことも気になる。
小学生の時に本当にオレと緋瀬が同級生だったとして、なぜ緋瀬はそれを覚えているのか。
オレに関する記憶や記録が抹消されているというクロノスの話を信じるなら、卒業アルバムの中からもオレの部分が抹消されていることになる。
もしオレのことを知っているというのが緋瀬だけなら、緋瀬の記憶違い、人違いで済ませられるのだが、今日だけで自分の名前を知っているような発言をする人物が二人も現れた。
もはやクロノスがこの世界にオレを覚えている人がいると言ったことの方の真偽が怪しくなってきている。
篠原先生がMEの構造合理性なるものについて話し始めたところでオレはクロノスに聞いてみたほうが早いという結論に至った。
さっきからその結論にしか至っていない気もするけれど。
周りの生徒たちの視線が先生の方に集中しているのを確認すると、オレは目を閉じて静かに呟いた。



おい、クロ。ちょっと聞きたいことがある


目を開くと例の白い空間に立っていた。
そこには白いキューブに座って足をぶらぶらさせながらにやにやしているクロノスがいた。



どうしたっていうんだい?
今大切な授業中だろ?
ユウは授業を聞かなくても大丈夫なほど優秀なんだっけか?





いちいち憎まれ口叩くんじゃねぇよ。





で、聞きたいことってなんなんだい?





単刀直入に聞くけど、他人のオレについての記憶ってのは本当に消えてるのか?


クロノスは三秒ほど考え込むようなポーズをした後、キューブから飛び降りて伸びをした。



本当だ。
しかしまぁ、ユウの記憶が消されてから今までの期間の間に何らかの理由でユウのことを知ることができたら、ユウのことを知っている、ということもあるだろうな。





じゃあ、オレのことを卒業アルバムで見たりってことはあり得るのか?


オレは先ほど自分で否定した可能性について聞いてみた。しかしクロノスは今度は考えることもせず断言した。



それはないな。





なんでそう断言できるんだ?
現に、今のオレにそんなことができるとは思えない。





いいか?
忘れるって行為は本来ごく自然なことだ。
ある人の記憶が無くなったとして、それに合わせて他の人々の記憶まで消えさることなんてない。
例えばユウが部屋番号を忘れたからと言ってユウ以外の人々もユウが行くべき部屋番号を忘れたりしないだろう?
でも、だ。ユウは、いや、「記憶を完全に失う前のユウ」は、個人の記憶だけに留まらない、世界の記憶まで操作できるほどワタシの力を理解していた。





じゃあもしオレがクロの力を完全に理解してその世界の記憶とやらまで操作できるようになれば、オレの記憶を取り戻すこともできるのか?





一度失われた記憶を取り戻すのは難しいと思うけどね。
過去は確実で、未来は不確実。
だから、過去の方が密度的に大きいというか、情報量が大きいのさ。
ユウが未来を視るときに払う代償なんて比にならないぐらいの代償が必要になるよ。





なんだよ……期待させんなよ。





なんだユウ?
もしかして記憶を取り戻したかったのか?





……別に。
それとあともう一つ、お前って現実世界に双子とかいたりするのか?


オレの質問に対し、今まで退屈そうに返していた、クロノスが突然を腹を抱えて笑い出す。



ぷ……ぷはははははは!





な、なんだよ!





いや、あまりに唐突なことを言い出すものだから……ぷはははははは!このワタシに!
双子!面白いことを言うなぁ。





るっせーよ、笑いすぎだよこのバカ!





まぁそうだな。そんなこともあるかも知れないな……ぷははははは!


オレはこりゃダメだ、とぼやいた。
そういうわけで、なんの解決も見ないまま、オレとクロノスの対談は幕を閉じた。
* * * * *
目を開くとそこはポッドの中。
現実世界に戻ってきたらしい。



結局なんも分かんなかったな……。


とりあえず深く考えず、初対面として振る舞ってしまった方がシンプルで分かりやすい気がし始めてきた。
しかし、そのためには緋瀬に覚えているなどと嘘をついてしまったことを謝らなくてはならないことに気づいて、結局もやもやとした気持ちに襲われる。



ああ、どうすればいいんだ……


そういえば、さっきまでずっと続いていたはずの篠原先生の講義の声が聞こえない。
周りからの視線もやけにオレに集まっている気がする。
と、そのとき。



お前はとりあえず授業を真面目に聞くということを知った方がいいんじゃないのか?


篠原先生の声。
それが、オレの「どうすればいいんだ」という独り言に対する返答だったことに気付いたのは後になってからだったわけだが。



へ?


思わず漏れたオレの間抜けな声のあとに続いたのは、金属製の物体がオレの頭を直撃する派手な音だった。
