二人はきっと衛士という名前の人間が死亡したニュースを見てきただろう。だが、大翔には何も言わなかった。慰めも同情もない。大翔はそれだけでここにいてもいいと感じられる。



それじゃ、昨日のまとめといこうか





あぁ、そんじゃ言うからしっかり覚えよ


二人はきっと衛士という名前の人間が死亡したニュースを見てきただろう。だが、大翔には何も言わなかった。慰めも同情もない。大翔はそれだけでここにいてもいいと感じられる。
尊臣が昨日のモールの構造を話し始める。大翔もぼんやりとは覚えていたが、尊臣は別格だった。通気口の大きさ、階段までの距離、段数。無意味な階段部屋の最短ルートまでもすらすらと口からこぼれていく。それらしく嘘をついている、と言われたほうが信じられるくらいだ。



へぇ、さすがだね





俺が覚える必要はなさそうだな


大翔しか見ていないホテルの内装は立体データでもほとんどただの長方形になりそうだ。あの状況で部屋の数がどうだとか、何番目の部屋が開いていたのかなんてわかるはずもない。どこで衛士が襲われたかもできれば思い出したくはなかった。



自分はもう少し頭動かした方がいいぞ。使ってないとすぐボケるからな


さっき千早に言われたことを思い出す。そんなに自分はとぼけているように見えるのだろうか、と大翔は内心不安になった。



君と比べたら誰だって頭の回転は遅く見えるさ


光が大翔に助け舟を出す。くるりと回転する椅子を回して大翔たちの方に向きなおり、ズレていない眼鏡の位置をクセで持ち上げる。



なんじゃ知っとったんか、千源寺





いきなり上級生の教室に押し入ってくる人間の素性は調べておかないとね


うちのクラス以外でもあんなことやっていたのか、と大翔は青ざめた。あんなことをすればすぐに噂がたって針のむしろのような高校生活一直線だろうに。自分がやっている光景を想像すると見るに耐えない。それができるのは尊臣の性格と体格が豪快すぎるところで一致してしまっているおかげだ。



こいつって何回やらかしてるんですか?





自分、なんで悪いもんじゃって決めつけとるんじゃ!


その見た目と言動からだよ、とは言えず、大翔は乾いた笑いを返す。尊臣にも思うところがあるらしく、そのまま座りなおして机から足を降ろした。
大翔が怒鳴られる姿を見て光は驚いたように声を上げた。だが、それは尊臣が声を荒げたことの方ではない。



むしろ君は知らなかったのかい? 橋下尊臣、君たちの学年の主席だよ。まだ入学試験の結果だけだけどね





へ?


今度は大翔が驚く番だった。



なんじゃ、知らんかったんかい





今年の入学者のトップがまだわからないって話は聞いたことあるけど


正直大翔にとってはそんなことに興味はなかった。勉強でトップを獲る気もなければお近づきになりたいと思うわけでもない。わからないならそれで世間話の種には十分な働きをしてくれる。



誰もこんな一昔前の不良少年がそうだとは思わないだろうね





誰が、絶滅危惧種のレッドデータじゃ





言ってない、言ってない


結構気にしてるんだな、と大翔は思う。尊臣は固まったオールバックを撫でた。
光は尊臣が気にしているのを知ってか知らずか、データを入力するために画面に向かって目を逸らすことすらしない。



それで、もうまとまったんか?


沈黙が続く部室に言葉を投げたのは尊臣が先だった。大翔は内心小躍りをする勢いで畳み掛ける。



途中でもいいんで見せてくださいよ


静かな湖面に石を投げ入れたように言葉が連なって出て行くが、光の反応はほとんどない。小さな波は津波になることなくまた穏やさを取り戻していく。
よくよく考えれば当たり前のことだ。ここに揃っている三人はいつも非生産的でバカな話を繰り広げて笑いあっているクラスメイトでもなければ、互いをよく知る仲でもない。ただあのカベサーダから逃げ切るために、急造ながら組んだチームでしかない。何か会話をしようと思えば、自然それは夢の中、忌々しい記憶の振り返りということになる。
無難な話題など存在しないのだ。だから誰もが、軽々には口を出せない。だから光は画面から目を離すことは出来ないし、いつもなら何かと声を上げる尊臣もあまり話そうとしない。沈黙の理由がわかった大翔は声を出すこともできずに狭い部室を見渡した。
窓は一組。ロッカーは空っぽ。部員も光だけなので、持って帰るのが面倒になった教科書やら古いマンガ雑誌なんてものもない。下手な会議室よりも設備が悪いくらいだ。あちらにはたいていホワイトボードくらいは置かれている。
光はこんな狭い部屋で毎日部活をやっていて気がおかしくならないのだろうか。それなりに趣味はインドアな大翔でも数日中にはどこかを走り回りたい衝動に駆られそうだ。



よし、こんなものだな


ようやく沈黙を破って光が顔を上げた。待ってました、とばかりに二人がパソコンの前に駆け寄る。この短い距離を詰めるのにどれほど時間と精神を費やしたのかわからない。
光は特に驚きもせず、できたばかりの立体地図をパソコン上に映し出して見せた。



結構広いんだな


参考として地図上に置かれた棒人間を見ると、かなり巨大な商業施設であることがわかる。シャッターが閉まっている先は行くことができていないが、これがいつ通れるようになるのかはわからない。



まだ部屋の構造がわかっていないからなんとも言えないね。室内の様子からして建物自体が歪んでいても僕は驚かないよ





あのフードコートの先は?





君がホテルに行った後に調べたけど、特に次の部屋に行けそうな扉はなかったよ


そうか、とだけ答えて大翔は口を閉ざした。結果を見れば光の判断が正解だった。大翔は衛士を助けるどころか逆に助けられただけで、何の役にもたっていない。



そっちはなんかわかったんか?





何も、ないよ


その時はそんなことを考える余裕もなかったのだ。大翔はただひたすらに脳裏に焼きついた光景が鮮やかさを増していくのを拒んでいただけだった。
