宵闇の中、ぱたりと何かが彼の足元に落ちた。
宵闇の中、ぱたりと何かが彼の足元に落ちた。
舞踏用に派手な装飾がなされた仮面で、羽根がつけられている。それが真っ二つになって、彼が通り過ぎた後、砂の上に落ちたのだ。
彼は剣を素早くおさめて息をつく。どこかしら、荒々しい空気を秘めた殺気を吐き出すように呼吸して、それから彼はやや猫背のままに歩き出す。向こうから華やかな音楽と喝采が聞こえてくる。
どうも今日はまだ気が立っている。あの華やかな宴に紛れることができるほど、自分はいつものただの怠け者には戻れそうもない。



ったく、ホント、隠し事するのも大変だぜ


仕方がない。今日はおとなしく夜風に吹かれて帰ろう。そうすれば、帰ったころには元の彼に戻れるだろう。
そんなことを考える彼の瞳は、青く不気味に輝いていた。
その男、怠惰につき
1.その男、ルギィズ



ねーえ、君、今空いてんの? ちょっとオレと話ししよー?


ここは王都の酒場。まだ夕暮れがすぎて空は少し明るい時間だが、酒場には人がたくさん入っていた。
芳醇な琥珀色の酒の香りと、香辛料の食欲をそそる香りが周囲に広がる。
ザファルバーン王都カーラマンの片隅のカタスレニアは歓楽街の一つで、飲食店が軒を連ねているが、花街のような派手さや色気には欠ける場末の飲み屋街だった。その割には、この店のように特に酌をする女の子の質も高く、料理もうまい店がちらほらあるのが謎だった。噂によれば、どこかの道楽貴族が競ってやらせているとかなんとかいうのだけれど、それとて本当かどうかはわからない。利用する側にとっては、そんなことはどうだって大して変わらないことだ。
そんなことより気になることが一つ。



ねえってば? ちょ、そんな無視することないじゃん?


さっきから、あそこで酒場の女の子を口説こうとしている男が一人いるのだが、その男が妙に目につく。
元は上等なものだったのだろうが、今は薄汚れた青い服をきて、猫背のままに胡坐をかいたその男。ぐるぐるに巻いた癖の強い長髪をまとめて高く結い上げている。顔は意外と小づくりで、甘く見積もって並の上。取り立てて男前でもない。しかし、何よりも目立つのは男の目。やたらと白目の面積が多く、目つきがよくない。いわゆる三白眼というやつだ。
その三白眼をじらっと女の子にくれつつ、彼はどうにか彼女の気を引こうとしているらしいが、それが逆効果なのか彼女の反応は辛辣である。



ねー、いいじゃん、ちょっとお酌してくれるぐらい? ね、最近君のことかわいーなって思っててさ、一回お話ししてみたいわけよ?





いい加減にしないと殺すわよ。私はあんたと違って忙しいの! 大体ね、お酌してほしかったら、自分の金で飲めるようになってから言ったら?





そ、そんなキッツイご冗談を


ややおびえたふりをした男だったが、もう一度しつこく何か言いかけたところで彼女に持っていた水をぶちまけられて撃沈してしまった。周囲の男たちがどっと笑いだした。
男はさすがにちょっとめげた表情をしつつ、ちぇっと舌打ちして髪の毛の水を払うのだった。



なんだぁ、あいつ?





なんだ、お前、アイツのこと知らないのか、シャー=ルギィズっていう飲んだくれだよ





シャーっていうと、ええっ! あの有名な?





お前が言ってんのは、”あの”シャー=ルギィズだろ。”それ”はシャー=レンク=ルギィズって言って、確かにこの一帯を治める暗黒世界の王様だ。だけど、ルギィズって姓は、昔この辺で繁栄した豪族の名前でさあ、今じゃ没落しちまってほうぼうでその名前を名乗っているやつがいるもんよ。だから、アイツは同姓同名の別人で、ここいらで飲み歩いてるただの酔っ払いの文無し野郎さ





なーんだ、そういうことか? でも、なんでそんな浮浪者みたいな男が有名なんだ





なんでって、ほら、なんでか知らないが奴の周りには人間が集まりやすいからさあ


男は顎をしゃくっていった。そういわれてみれば、彼の周囲には男たちがたくさんいた。みんな彼をからかったりしながら、楽しく酒を飲んでいる。



一文無しだが、なぜか飯と酒にはありつけてるって話……。確かに面白い男ではあるんだよな。俺はアイツに酒おごるのはまっぴらだけど





タカリなのか?





そうよ


と割って入ってきたのは、先ほどそのシャー=ルギィズに口説かれていた女の子だった。



あの腐れ三白眼たら、いつでも金を持ってなくって他人の金で飲んでるの。そんなどうしようもない奴のくせに、やたらと絡んでくるのよね





いいじゃねえか、サリカ。嫌われてるより好かれている方がさあ


そんな風に言ってはみるが、彼女は迷惑そうでしかない。
一方、水をかけられたシャー=ルギィズという男の方は、癖の強い髪の毛を振って水を払った後、周囲の男たちに渡された手ぬぐいで水分を拭き取っていた。



ちぇー、もうちょっと優しくしてくれてもいいもんなのにさ。ただお酌してお話ししてほしいって頼んだだけなのに


と、彼は不満げだ。それをみて周囲の男たちがはやし立て始める。



あーにーきー、連敗記録更新ですね





これで、このあたりの酒場の女一通り声かけたんじゃないですか?





もはや、酌してくれる女も見つからないとか、兄貴、超カワイソ……





うーるーさーい





みんながオレの魅力をわかってくれないだけなんだい。いいよいいよ、女の子なんかいなくったって


シャーは、拗ねた口ぶりでそういうと、三白眼の瞳を翻して男たちを見て途端にニヤッとした。



その代わり、お前らには今後も酒とごはんをおごってもらうことにするからな~。いやぁ、持つべきものはトモダチだねぇ?





そんなんだからモテないんですよ、兄貴は





よう、甲斐性なし!


そんな声が響いているところを見ると、どうやら彼らにとってはこれがいつものやり取りなのだろう。なんだかんだで和やかな雰囲気が、店の中に漂っていた。
しかし、そんな平穏な光景は突然打ち破られる。
