この青年の別世界な話を聞き流し、かれこれ三時間。少女はぐったりと項垂れていた。



だからね、固有ベクトルは非常に愉快だと思うんだ!!


この青年の別世界な話を聞き流し、かれこれ三時間。少女はぐったりと項垂れていた。



そう言えば、僕は自分のことを話すばかりで、君のことを何も聞いてなかったね。申し訳ない





い、いえ……





良ければ、君の話を聞かせてもらえないか?


青年に期待の眼差しで見られ、少女は絶望する。こんな難しい用語をひとしきり喋る人に、自分は一体どんな話題を振れば良いと言うのだろうか。足し算? 引き算? いやいや、それでは絶対に嫌われる。そもそも、足し算や引き算の話で盛り上がるようなカップルとは如何なものなのか。ならば、幼馴染のアイツと馬鹿話をしている方が、よっぽど楽しいのでは。
話を聞くだけでも体の節々が痛いと言うのに、考えれば考える程頭が痛い。顔色の悪くなる少女に、青年が、



大丈夫?


と、声をかける。
すると、少女はおもむろにテーブルを叩いて立ち上がった。



ど、どうかしたのかい?


青年も立ち上がって少女へと手を伸ばすが、少女は首を横に振る。



お兄さん。お兄さんは、私の追い求めていた、完璧な天才です!





いや、そんなことは無いよ





ううん! 私にしたら天才です! 雲の上の存在です!! だから、私じゃ全然ついていけません





……と言うと?





ごめんなさい! 私、天才の人とお付き合いするの止めます!!


少女はその場から駆け出していなくなった。
取り残された青年は、店員を呼ぶとメニュー表を指さし、



コーヒー下さい


と、注文した。店員が、「キリマンジャロですか? マンデリンですか?」と尋ねると、青年はクスクスと笑った。



コーヒーなら何でも良いよ。生憎、難しい言葉は嫌いでね


カフェから駆け出し、気付けば最初の地点へと戻っていた少女。少女は民家の壁に寄りかかり、ふぅとため息をつく。



何だ、男に捨てられたのか?





あれ? いたの?





ああ。知らんとこの母ちゃんにご馳走してもらって帰って来たよ。あの母ちゃんの息子が、母ちゃんのとこ帰ってっちゃったからさ。俺は追い出されたの





あの子、お母さんのとこ戻ったんだ? 良かったぁ





ああ。何か、謝ってたの聞こえてきたぜ。きっと、お前と出会って考えさせられるようなことがあったんじゃねーの?


細かく言えば、黒髪少年の心を変えるような話をしたのは、茶髪少年の母親だが、金髪少年は茶髪少年の母親を知らない。実際に二人のやりとりを聞いていないので、確証も無い。少女はとりあえず頷いて自分と言うことにしておく。
黒髪少年が、母親と仲直りして良かった。少女の不安が一つ取り除かれて安心していると、そこへ公園にいた女生徒がやって来た。



ふぅん、君が例のフィアンセ探しの子か!





知り合いか?





ううん、初めましての人!!





私は、貴方が出会ったおじいちゃんの孫で、あの女の子の姉よ。ちなみに、貴方がデートしたのが、私のお兄ちゃんね





え!? そ、そうなんですか! ひぃぃっ! ご、ごめんなさい!!


少女は、先程のことを思い出してペコペコと頭を下げる。何となく予想のつく女学生は、笑顔で手を振った。



良いのよ。貴方のお陰で、うちの妹に友達が出来たしね





友達、と言うと、もしやあの……?





うん、あの生意気なガキンチョよ





ほ、本当ですか! 良かったぁ。けど……


少女は母親を思い出す。あれ程幼い少年に、愛情をかけて育てても馬鹿にされるだなんて、きっと辛いだろうなと。少女の思いを察したのか、女学生が、



大丈夫よ


と少女に言う。



お母さんが、あの子を迎えに来てね。そしたらあの子、凄く嬉しそうに駆け寄って、「お母さん、有難う!」って言って抱きしめたの。人目もはばからずに。だから、きっと大丈夫





それなら良かった……





それじゃあ、あとはごゆっくり~


女学生はニヤニヤとした顔つきで、少年少女に手を振って去って行った。二人はポカーンと見つめていたが、その意味を察した金髪少年が苦笑する。



あの姉ちゃん、俺が賢い人にでも見えてんのかね


ケラケラと笑う少年。そんな少年を横目で見ながら、少女はゆっくりと首を振った。



私ね、アンタのいない間に、凄い天才の人とデートして来たんだ





らしいな





でも、賢すぎて、何言ってるか全然分かんなかった


少女の赤裸々な答えに、少年はブッと吹き出す。もう! と少女は怒りながらも、話を続ける。



だからさ。私、結婚するなら私よりちょっと賢い人で良いやって。そう思った





……あっそう


二人の目が合うと、少女はニコッと笑った。金髪少年の胸が高鳴った直後、少女は目を逸らす。



でも、アンタじゃ無理か





何言ってんだよ、お前よりかは常識あるっての





でも、テストの点数は私より下だもんね~


二人はいがみ合いながら、家路へと帰って行った。
――十年後、少女にとって、彼は一生交換出来ない大切な人になった。
