わからないな。吐き捨てるように彼は言った。青いシルクハットに赤いコートを纏い、星が降ってきそうな夜空の下をふわふわと飛ぶように歩いている。実際飛んでいるのだから不思議だ。仕組みはどうなっているんだろう。
あたしは視界の端をうろちょろする彼を一瞥した。でも足は止めない。



何をそんな一生懸命になっているんだい?


わからないな。吐き捨てるように彼は言った。青いシルクハットに赤いコートを纏い、星が降ってきそうな夜空の下をふわふわと飛ぶように歩いている。実際飛んでいるのだから不思議だ。仕組みはどうなっているんだろう。
あたしは視界の端をうろちょろする彼を一瞥した。でも足は止めない。



べつに


ぶっきらぼうに答えた。あー可愛くない、と思ったが彼を相手に可愛いもなにもね。
彼はコートの裾を指先で摘んでひらひらと風に翻している。何が楽しいんだか、口元の笑みは絶えない。
あたしはこいつの、この笑顔が嫌いだ。
そう思ったら、もう声に出ていた。



やめて、その顔。むかつくわ





これはこれは失礼を。どうかお許し下さい、可愛いアリス





寒ッ





それは残念だ。私なりの謝罪のつもりだったんだがね





薄ら寒いわ。その喋り方も


ノワール・マオはにんまりと目を細めて笑んだ。彼が指を鳴らすと一陣の風が足下の砂を巻き上げ、反射的にあたしは目を閉じた。
風が止むと、いつの間にか彼はコートから見慣れた学生服へと身につけるものを変えていた。あたしの学校の男子制服だ。銀髪にブレザーって、何でこんなにも似合っちゃうのこいつ。あたしが納得いかない視線を送っていると、彼は察したようにそばへ降りてきて一度、くるりと回って見せた。



似合うだろ?





そーね。イヤでも目に飛び込んでくるわ





いまの内に焼きつけておくがいい。二度と帰れぬ故郷の思い出を





お生憎様。そんなものに未練なんかないわ。邪魔だからあっち行ってよ





お前が質問に答えたら考えてやろう


質問って、さっきの?
あたしはきょとんとしたが、考えても意味のないことなのでそれを放棄する。



べつに。一生懸命でも何でもないわよ


素直な気持ちが滑り出る。ついでに、余計な言葉までするりと。



ただ、意味があると思うから進むだけ。あたしがこの世界に喚ばれた意味が、きっとあるはずよ





傲慢だな


ノワール・マオは歯に衣着せない。遠慮を知らずにずけずけと物を言う。



お前はただ、そう信じたいだけだ。自分が特別なんだと思い込んでいるに過ぎない。…いや、そう思い込みたいんだろ。でなければ、とうに野垂れ死んでいる


――――図星だ。
あたしは足を止めた。寄せては返す波が、裸足の下の砂を攫っていく。
足下が崩れていく。



何故、自分なのか。答えは、自分が特別だから。ということは、自分が喚ばれた意味があるに違いない。どこかで自分の登場を待っている誰かがいるに違いない――――そう思い込みたいんだろ。まったく、本の読み過ぎだ





……わかってるわよ





わかっていても正せないのは、わかっていないのと同義だ。無知と変わらない





うっさいわね!


あたしは思い切り波を蹴った。運良く飛沫がノワール・マオまで引っかかった。彼が慌てて浜辺の隅へ飛び退く。
うるさいうるさいうるさい!
全部図星だ。そんなの百も承知している。彼が言ったことは全て正解だ。
わかっている。
わかっていない。
わかっていると思いたいだけ。全部、そう。
だけど、だから諦めたくない。
だって、こんなチャンス滅多にないのよ?



あたしは決めたの。他の誰でもない、あたし自身がそう決めたのよ。何もなくたって、ただの思いこみだとしても、飽きるまで信じ続けるわよ!


誰だって一度くらい夢は見るじゃないの。あたしが夢を見ちゃいけない道理なんてないわ。夢を見るくらい、誰にだって許されている。否定される謂われなんてない。



絶対にこの世界のどこかであたしを待ってる素敵な王子様がいるんだから!





……馬鹿丸出しだな





うっさいわ!


彼は手にしたシルクハットを深く被って呟いた。アンタには一生わからないわよ、乙女の夢なんて。
唾を吐き捨てるように、奴に向かってべっと舌を出したあたしは前を向いて再び歩き出した。
早くも空が白んできた。夜明けが近い。
とりあえずは、あの朝日に向かって進むしかない。あたしの後ろの道はもう得体の知れない靄に飲み込まれてしまっている。太陽だけが唯一の道標だ。



お待ちを、アリス。私も同行しましょう





ついてくんなっ





おやおや、つれないお言葉ですね


芝居がかった口調で言い、ノワール・マオは帽子の下でくすりと笑った。当分、離れてくれそうにもない。
