おもむろに、地面に落として割ってしまった体温計から飛散し、小さな半球体となった個々の水銀の1つに手を伸ばす。



…





クビラ様!大丈夫ですか?


おもむろに、地面に落として割ってしまった体温計から飛散し、小さな半球体となった個々の水銀の1つに手を伸ばす。
それを見ていた救護室のヒーラーが、伸ばした俺の腕を両手でがっちりと抑え込んだ。



クビラ様!!水銀は猛毒なんです!!
触ってはダメですよ!!!





…





…って私ったら…
メルクーリュス使いのクビラ様に何という失言を…





いや…いいんだ。
ありがとう。心配してくれて…


そう言うとヒーラーは、抑え込んでいた俺の腕を放した。
俺はクビラ。ワイギヤ教軍十二将の1人。
俺が、世界の魔力を牛耳るワイギヤ教団の軍で将軍になれたのは、強力な毒性魔法「メルクーリュス」に耐性を持ち、操ることができたからだ。
「メルクーリュス」とは、魔力で特殊な雲を呼び出し、水銀の雨を敵に浴びせる魔法だ。
この水銀の雨を浴びた敵は、中枢神経が侵され、軽い場合でも混乱や失神を引き起こし、重い場合は急性の中毒症状が発症して死亡する場合もある。
それだけ強力な魔法だけに、使用者にも「水銀の雨」による毒の影響が出てしまうのだ。
故に、この魔法は教団においても「禁断の魔法」とされ、通常は用いられることはない。
しかし、俺は水銀に対する「耐性」があったため、リスクを一切背負うことなくメルクーリュスの魔法を使うことができた。
俺の体が「水銀」に耐性を持つようになったのには、忌まわしい過去があったからだった…
俺の父は、ある国お抱えの科学者だった。
父は有能な科学者だったが、家庭を顧みない人だった。
当然、母も父のことを愛してはおらず、俺を生むと、俺のことを含めた家のこと一切をメイドに任せ、父の稼ぎで遊び呆けていた。
そんな自宅には、実験をするために父が城から持ち帰ってきた薬品がたくさんあった。



マーク様!
お父様の書斎には入ってはだめですよ!!





分かってるって…


マーク…親がつけてくれた、俺の名だ。
俺は、たまに帰ってくる父と母から愛情を受けることなく育ち、ほとんどのしつけは、母が雇ったメイドから受けていた。
だが、小さい子どもは親の注意でさえ守ることができないように、ちょうど5才になった頃の俺は、メイドの目を盗んでは、父の書斎に入り込み、父が城が持ち帰っていた実験材料で遊ぶようになっていた。



こんなビン、初めて見たぞ…
中には…銀色の液体!?


おもむろに銀色の液体が入った瓶の栓を抜く。
その時、栓についていたのだろう、銀色の液体の一部が、机の上に落ちた。
すると、その液体は半球体となり、その場に留まった。



…美味しそう…


その時、俺はなぜか銀色の半球体を見て「美味しそう」と思ってしまったのだ。



…なんだ、何の味もしないじゃないか…


そう思った俺だったが、その後もメイドの目を盗んでは父の書斎に入り込み、銀色の液体を少しずつ口に含んでいた。
そしてある日。
その日も、最早日課となっていた銀色の液体の味見をしていたのだが…



…やっぱり味はしないか…





毎日毎日同じ時間に居なくなると思っていたら…マーク様!!やっぱりお父様の書斎に…


急に鼓動が早くなる俺の心臓…
その場に倒れ込む俺。
尚も早くなり続ける俺の心臓の鼓動。



マーク様!!大丈夫ですか!?





…これは!?
ご主人様が城から持ち帰った瓶…
確かこの中には、水銀がなみなみと入っていたはず…





…まさか、マーク様はこの水銀を全部口にしてしまったのでは…!?





ああ…今までこんなことはなかったのに
誰か…助けて…





早く、マーク様もお医者様の元へ運ばなくては…


そして俺はメイドに抱き抱えられ、医者の元へ運ばれたのだが…



あれ!?
ここは…
そうか、僕は父さんの部屋で倒れて…





んん!?
手も足も動かない…


俺は意識が戻ったものの、手も足も動かず、まぶたも閉じたまま、まばたきさえできない状態だった。
時折、医者がまぶたを強引に開け、まぶしいライトで瞳を照らしていたが、僕の意識が回復していることに気付く様子はなかった。



話の続きをしましょう。
それで、この子は瓶の入った水銀を飲み干したというのですね!?





今日飲み干したのかどうかは分かりませんが、先ほど私が見た時には、約1か月前にご主人様が城から持ち帰った瓶の中には、水銀がなみなみと入っていました。





そうですか…





私の子が…水銀を飲み干してしまったというのは、本当か!!!





所長殿…
どうやら、間違いないようです…





あいつは…俺の妻はどうしているのだ!!





ご主人様…それが、奥方様は昨夜から出かけたきりで…





誰も僕の意識がここにあることに気付いてくれない…
…どうやら父さんが来てくれたみたいだけど
…母さんは…





水銀を飲み干してしまったということは…





所長殿…
恐らくこれは「水銀による中毒症状」です。
意識が回復すれば、まだ助かる見込みがあるのですが…





そんな…マーク様!!しっかりして下さい…


扉をノックし、中にもう1人、人間が入ってくるのがわかった。



失礼しますよ…
おや、こんな小さな子だったとは…





あなたは何者ですか?





私はワイギヤ教団の者です。
水銀中毒に陥った子どもがいる聞きましてねぇ…





おやおや、これは所長殿ではありませんか…
もしや、この子は所長殿の!?





…





なら話は早い…
所長殿。この子の命が風前の灯火であることは、分かっておいででしょう!?





…後から来た奴は、一体何を言って!?





ならば、この子をワイギヤ教団がお預かり致しますぞ!!





…
ちょっと待って!!
僕はどうなっちゃうの!?
教団が預かるって、どういうこと!?
父さん、助けて!!
僕、行きたくないよ!!!!





僕の腕に足!!
動いてくれ!!
僕は教団なんかに行きたくないんだ!!!


だが、願いが叶うことなく、意識が戻っていることを伝えられないまま、俺の体は教団の医務室に運ばれた…
その後、教団の医務室で手当てを受けた俺の体は奇跡的な回復をし、日常生活ができるまでになった。
だが、俺は自宅に返されることなく、教団からさまざまな「実験」が施され、結果「水銀」に対する耐性が体に備わっていることが判明。
魔法を使う才能にも恵まれていたらしく、俺は無事に禁断の魔法とされる「メルクーリュス」を使いこなせるまでになり、十二将の地位である「クビラ」を名乗ることを許されるまでになった。



俺は、家族の愛情を知らぬままここまで育ってきた。





でも、今の家族は、この「教団」だ。
教団のみんなが、軍の部下が、今の俺にとっては「家族」なんだ。





その教団に仇なす者がいるなら、俺のメルクーリュスで排除するのみ!!





クビラ様!?





ああ…すまない。何でもないんだ…





すっかり体調は回復した!
熱もないみたいだから、安心してくれ!





…分かりました…
…もう行かれるのですね!?





ああ!!
どうやら、銀色の髪の女と、黒髪の男が、教団に仇なそうと動いているようだからな。





教団を、家族を守るために、俺は出る!!


メルクーリュスのクビラ 完
