霊深度
霊深度
-7の、



君が為


CridAgeT
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……





熨斗目(ノシメ)?





!


急に扉の向こうから声をかけられ、びくりとノシメは肩を震わせた。
扉を、開ける。



ん


一人の少女が、刃渡りの小さなナイフを手にしていた。
ノシメに反応したわずかな体の動きで、ナイフに光が走る。



!!





……青磁(セージ)だよ。
今日は林檎を剥いてたんだ。


少女―――セージは笑みを浮かべてひとつ、リンゴを持ち上げる。社交辞令程度だったが、気分は悪くなさそうだった。
机の上にはつやのあるリンゴのバスケット、
ガラスの美しい大きめの器に、
すでに綺麗に切られたリンゴが大量に入れられている。
ふと足元に目を落として、その皮の量にノシメはぞっとした。



『なにか』を、思い出すような気がするんだよね。ガラスの靴とか、海のあぶくと、おんなじように





セージ





ノシメ、あーん





んっ


戸惑う間もなく、口の中にリンゴを入れられる。
よく切れるナイフと見事な腕で作られた滑らかな曲面が舌に触れた。
口を閉じると、唇に冷たい金属の感触が走る。
少し圧迫感があって、リンゴを刺していた鉄串が抜かれたのだと分かった。



美味しい?


慌てて噛みしめると、糖度の高いリンゴだからなのか、ねばつくほどにとろりとした果汁が流れ出た。



……お話に出てくるお姫さまのリンゴみたい





むっ……ほひぃい





ふふっ、よかった


ノシメは目を落として、またするするとリンゴの皮をむき始めた。
巻いたSの字になるように、どんどん球体から赤がはぎとられていく。切り口はひどく細かった。



あ、指にかかっちゃった。
小指……運命の糸みたいだね


セージは冷たい目をして微笑んだ。



リンゴに口づけてくれたなら、それだけでわたしは救われたのに。……なんてね


その目がわずかにラベンダー色に染まったのを、ノシメにはどうしてやることもできない。
あれは何月何日だっただろうか。
セージはどこから手に入れたのか、うっすらと青みを帯びた真珠を一粒、掌に包んでいた。



あのお家に生まれた赤ちゃんのために、たくさんの妖精が祝福の真珠を送ったの。健康、富、幸福の真珠。でも、この真珠が欠けちゃったから、……


セージはいつの間にか涙を零していた。



これは、違うときにも居た真珠なの。
首飾りでね、ひとつ欠けて、あの忘れられない炎の中に取り残されてしまったの。その首飾りを貰った娘はね、首の後ろ側に隙間を回して、流れるような髪で隠してひとりぼっちの式をしたの。
この真珠の粒はその炎の中を生き延びたけど、ひとは還らなかったから





……





でも、この真珠から穴は消えちゃったね。あれ? やっぱり別の真珠だったかな?
同じものを、感じるんだけどな。遠い太古の海の音。年輪みたいに刻みついてるの。


セージは枕もとのカスミソウを撫ぜる。ノシメはたしか、その数日前にカスミソウに関する暗い話を聞いたばかりだった。



ノシメ、この前の人魚のお話し覚えてる?





うん、もちろん。泡になっちゃう話だよね





うん。
あの人魚はね、最初から最後まで大好きな王子様のために生きていられたから、幸せだったと思うの。泡になって、そのあとなんにもなくなっちゃっても


セージは絵本の中のお姫様のように目を閉じた。



ノシメはどんな王子様の為になら、幸せになれる?


物語り……とは、少し違う。
それはおそらく、はるか昔に資料が失われ、記憶から消えてしまった出来事の話。
セージはそれが『解る』だけなのだという。
そのために、この少女がどういう扱いを受けているのか、ノシメは知らない。
……一応衣食住には困っていないようだし、酷い実験を受けているような痕もない。
これもなにか、霊感とか、そんなもののなせる業らしい。
そう、ひねくれ者のセンセイの家に住んでいる可愛い自由な幽霊のあの子が、時々犯人の香りを嗅ぎ当てたり、人の秘密の大きさを聞いて耳にずっと手を当てていなくてはならなくなるように。



また来るよ





すぐ来てね。悪い夢を見る前に





また見るの?





見ないよ、最近は。ノシメが助けてくれるもん





王子様じゃなくてごめんね。
じゃあ、セージの為にまた来よっかな





嬉しい





……また、この夢……





これは、いったいいつのどんな炎? どうして、黒い雨が降ってくるの?





え、あ





……






お願い、待って、傷つけないで





毒の入った、あまいりんごを、齧るの





ノシメは、夢の中には来れないよ


