旅行研究同好会、夏休みの旅行は静岡に決まった。富士周辺の観光と、夜は富士山の見えるコテージでキャンプ。
多分そんな感じだったと思う。同じ二年の三原さんが、山の素晴らしさを力説していたのは覚えているから。
旅行研究同好会、夏休みの旅行は静岡に決まった。富士周辺の観光と、夜は富士山の見えるコテージでキャンプ。
多分そんな感じだったと思う。同じ二年の三原さんが、山の素晴らしさを力説していたのは覚えているから。



紗己子、本当に大丈夫なの?


ミーティングが終わって、皆が帰って行く中、泉の声で我に返って、わたしも帰らなければと思う。



ごめん。本当に大丈夫なの。ちょっと考え事しちゃって……





本当にそれだけ?





うん





そっかあ。じゃあ、早く帰ろ?


無理矢理笑顔で頷いて立ち上がった――その時。



柏木、ちょっといいかな





……なんですか?





話があるから、来て欲しい





……でも





時間はとらせないから


泉はちらりとこちらを見る。
きっと部長は、泉に謝りたいんだろう。
わたしは、泉が心置きなく部長のところへ行けるように微笑む。



わたしなら、大丈夫だよ





仲直りしておいで





本当に、ごめんね





いいよ


泉と部長が出ていくのを見送ると、部室にはほとんど人がいなくなった。一人を――除いて。



しまった……


陸は旅行の資料を座って眺めていて、帰るには彼の横を通らなければならない。
完全に無視するのもなんだか変だ。軽く挨拶だけして、すぐに帰ろうと思った。



椎名く――





旅行、楽しみですね





そっ……そうだね





俺、静岡って行ったことなくって。先輩はありますか?





……ある、けど





へえ! どんなところでした?


なにこれ。
なんで普通にしゃべってるの。



どんなって……


何気ない会話をしながら、陸は机の上の荷物を片付け、自分の鞄にしまう。そして立ち上がると、自然にわたしの隣に立った。



先輩?





どうかしました? 眉間にしわ、よってますよ


困惑するわたしをよそに、陸は茶化すように笑う。



……どういうつもり?


確かに、こうして一緒にいるのは普通の事だった。だけど、それは昨日以前までの話だ。
こんなのはおかしい。わたしは彼を騙して傷つけた。それなのに、彼は何事もなかったかのようにわたしに笑いかける。
ありえない。いっそ、気味が悪い。



え? 一緒に帰ろうと思って。それとも、今日は用事あります?





そうじゃなくて! 白々しい言い方はやめてよ。どうして今更……こんな……


こんな茶番は、もう終わらせたはずだった。



確かに――昨日のことは、ちょっとショックでしたけど。もしかしたら、とは思ってたんです





先輩みたいな綺麗な人が突然現れて――彼女になってくれて。都合が良すぎじゃないかと。
まさか、ああいう話だとは思わなかったけどね。まあ、別に、別れたわけじゃないし





――何、言って……


陸の言っていることが、全く理解できない。



何って、そのままの意味ですよ。先輩は俺の彼女、だから俺のもの





ちょっと……自分の言ってる意味が分かってる!? わたしたちは腹違いの姉弟なの! 血がつながってるんだよ!?





――大丈夫


不意に陸の手がわたしへと伸びる。わたしはまるで金縛りにあったように動けず、その手を容易く搦め捕られてしまう。
陸は優しくわたしの手を包むと、その甲に自らの唇を落とした。



法律上は、赤の他人です。昨日母さんを問い詰めたら、色々喋りましたよ。
俺、父さんに認知されてないんだって。だから、大丈夫


何が大丈夫なのか。もはや、そう問い返す気にもなれなかった。
何を言っても、きっとわたしの言葉は届かない。これ以上付き合っていたら、こっちがおかしくなってしまう。



無理だから! あなたは気にしないのかもしれないけど、わたしにはそういうのは無理。
大体……勘違いしてるみたいだけど、わたしはあなたのことなんて、これっぽっちも好きじゃないの!


わたしは叫んで、陸の手を振り払った。



……それとも、これはわたしに対する復讐なの? 気持ちの悪いことを言って、困らせて!


その時初めて、陸は気味の悪い薄ら笑いを浮かべるのをやめた。振り払われた自らの手を一瞥すると、驚くほど冷たい視線をわたしに向ける。



なあんだ、分かっちゃいました? だけどそれくらいの権利、俺にだってあるでしょう?





そんなの――





案外世間知らずなんですね。やったらやり返される、って常識でしょ


ぐうの音もでないほどの正論。
けれど、とても受け入れられない。自分の行為は当然だと、信じ込んでいたわたしには。



俺から――逃げられると思わないでくださいね


不意に陸に腕を掴まれる。
動揺から油断していたとは思う――彼は抵抗するより早く、わたしを自分の方に引き寄せると、そのまま強引に唇を重ねた。
主導権は自分にある、とでも言いたげな乱暴で傲慢なキスがわたしを踏みにじる。
――数十秒にも及ぶキスの後、陸は再び得意気に微笑んだ。



そばにいて下さい。
ずっと、死ぬまで


乱れた呼吸を整えながら、わたしは恍惚と陸を見上げる。
――どうして、こんなことになってしまったのだろう。



じゃ、帰りましょう


キスの余韻がまだ完全に消え去らぬ中、目の前に陸の手が差し出される。それを拒む気概は、もうわたしにはなかった。
今更後悔しても全てが遅い。きっと、彼の言う通りなんだろう。
逃げられない。これは多分罰なのだと思う。
これまでは付き合っていることを秘密にしてきた。だから、校内を陸と手をつないで歩くのは初めてだった。
陸は相変わらず、何事もなかったかのように振る舞う。この不自然に比べればどうでもいいような他愛ない話をする陸に、わたしはただ相槌を打った。
こんな時間は早く終わって欲しい。けれど、どうしたらいいのか、分からないのだ。
そして――とうとう恐れていたことが起こる。



あれっ、紗己子……と椎名くん?


靴箱の前で、わたしたちと同じく手を繋いだ泉と部長に鉢合わせた。
二人の雰囲気を見たところ、おそらく仲直りはうまくいったのだろう。



今帰りなの?





はい


陸が今更、手を離してくれるようなことは勿論なく、わたしはその意図を嫌でも理解した。



えっと……


案の定、一見恋人同士のようなわたしと陸を見て、泉と部長は何かを言いたげな顔をする。



あ、実は、僕たち付き合うことになったんです。ね、先輩?





う……うん。そうなの


泉も部長も嬉しそうにして祝福してくれた。その時の会話からすると、陸は以前に部長に恋愛の相談をしたことがあるらしかった。
泉も泉で、陸の気持ちに気づいていたから、後輩の想いが叶ったのが嬉しいのだろう。
他人の幸せを素直に祝福できる、純粋な二人。
だけど、違うの。
わたしたちは、あなたたちみたいに綺麗じゃない……
泉と部長の仲睦まじい背中を見送りながら、いつか誰かとあんな風になりたかったと思った。
復讐のために、あえて異母姉との関係続けると決めた弟。
わたしは今更全てが露見することを躊躇して、そんな彼に従っている。
歪で壊れた、姉弟の関係。
この先に何があるのか、わたしには見えない。
