神薙の纏う空気が変わっていた。いつもならほんわかとしている空気なのに、今は冷ややかで得体の知らない不気味さを醸し出している。
神薙の纏う空気が変わっていた。いつもならほんわかとしている空気なのに、今は冷ややかで得体の知らない不気味さを醸し出している。
彼女が何を狙ってこんなことを聞いているのかは分からないが、俺もただで答える気はなかった。



悪いけど、教えられない。教えてほしいと言うのなら、それ相応の対価を払ってもらうよ





…………


彼女は少し驚いたように目を見開いた。追い詰めた獲物がこれほどの威勢を放つんだから当然のことだ。それに、急な要求にはさすがにすぐには応じられない、といった感じだろうか。神薙はすぐに口を開くことはなかった。その間だが、こちらにも考える時間が与えられた。
それにしても、とんでもないことになった……。地図と言う具体的なことを言ってる時点でこの子は俺の狙いを知っている可能性がある。それは、犯人捜索の手がかりが無くなると共に、逆に犯人に狙われることを意味を示していた。だが、まだ希望はある。彼女が犯人であるなら間違ってもこんなことはしないだろう。
もし仮に彼女が犯人であるとするなら、あんな警戒されるような聞き方はどう見ても自分が犯人ですと自白しているようなものだ。それに、相手もこちらの情報を欲しがっているように見えることから、彼女も犯人を捜していると思われる。
そうと分かれば、俺が有益な情報を持っていると彼女に伝えるのはまだ安全圏だと思う。



ぷっ





…………?





クスクスクス


意味が分からなかった。最初は呆けたように俺を見ていたのに、次第に慎むように笑い始める。まるでお嬢様の様に口に手を当て、一通り笑い終えると、彼女はこう繰り出した。



失礼しました。私の予想していた回答とはまったくの逆だったもので、つい


彼女は胸に手を置き、ふぅと呼吸を整えた。



では逆にお尋ねしますが、草ケ部さんは何をお望みなのでしょうか?





えっと……


俺も神薙がこんな回答をしてくるとは予想もしていなかった。俺の考えではさっきの質問の時点で、彼女は諦めて帰ると想定していた。だって、そう易々とこんな胡散臭い話に乗るとはこれっぽっちも思っていなかったからだ。
返事に困っていると彼女は不敵な笑みでこう言った。



何でも良いですよ。草ケ部さんが情報を渡してくれるなら


意味深な言葉を放ちながら俺に攻寄る神薙。顔を近づけ、甘い吐息を放つ。これには思春期の男には刺激が強い。が、俺は彼女の誘惑には屈しない。



じゃあお言葉に甘えて


平静を装いながら、彼女に要求する。



現状君が知ってること全部を吐いてもらう。その代り、俺も分かってることを君に教える。これでどうだ?


俺が分かっている範囲といったら犯人の侵入ルートと浪木の襲われた状況ぐらいだ。確定的な情報はそれぐらいしかないが言っても問題ないだろう。どの道、神薙にはほとんどがバレている。



分かりました。今日、お時間の方はよろしいですか?





ああ、大丈夫だ


このやり取りをした後、神薙は俺から離れる。



では、帰りに校門の前で待っています


そう言って頭を軽く下げ、彼女は階段の方へと向かっていった。
あとに残った俺は脱力感の為か、足が異常な程震えた。思わず膝に手をついて、息を深く吸う。



怖かった……女超こえぇよ……


今思い出すだけでも十分鳥肌が立つ。これをまたもう一回やると思うと憂鬱で仕方がない。



おい、大丈夫か?


その時、友原が俺の方へと歩み寄ってきた。後ろから今の様子を見ていた彼は、同情したように肩に手を乗せる。



まぁなんだ……お前にはまだ早かったんだよ……


解釈がまったく違うがそうであることにしておこう。とにかく、今の友原の言葉の一つ一つが天使の囁きにしか聞こえない。ありがとう、友原。持つべきものは友だよ。



この飯もなかなか美味なるぞ! なんだこのぱさぱさとした食感は! まさか、主が朝食に食すパンなるものか!


こんな時でもこの神様は自由奔放であった。俺の菓子パンを食べながら、一人でテンションを上げていた。
時間は進み、夕方。俺は通学カバンを肩にかけ、脱離から出て行くところだった。この時間帯は部活に行く者や、俺の様に帰る者で人が溢れかえっている。
脱離を抜け、校門を目指す。途中、グラウンドで早速運動を始めている彼らに視線を送りつつ感心する。彼らはよく、授業が終わった後運動ができるなと。
授業が終わった後の気だるさと言ったら仕方ない。もう疲弊に疲弊し、何かをやると考えただけで精神的に堪える。一体自分が生まれた意味とは何なのか、と考えてしまいそうになる。
まぁ、こんな状態は夏休み以降からのもので、元からこんなネガティブな考えは持っていない。運動部であり、なにより行動を移そうとしていた頃もあったのだ。
そんなことを考えているうちにあっという間に校門に着いた。校門を少し出てみると、すぐ横に神薙が壁に凭れて待っていた。
昼以降の授業や放課後は、一切こちらに話しかける気配はなかった。視線はたまに感じて気が散ったが、他に何かしてくることもなかった。



ごめん、待たせたかな?





いいえ、来たばかりですので大丈夫ですよ


神薙は壁から離れ、笑顔でこちらに体を向けた。両手でカバンを持つ姿は、清楚でとても純粋に見える。



じゃあ、話す内容が内容だから、別の場所で話さない?





ええ、そうですね


俺は彼女を連れて、比較的不自然ではない所へと向かう。
ここは地元でも有名な喫茶店だ。店長の趣味か、店に飾ってある人形や客用のテーブルに椅子、どれもクラシックな作りになっている。徹底した店の構築の割にはメニューに書いてあるセットはとても安く、財布に優しい設計になっているのも人気の一つだ。



良い雰囲気のお店ですね





うん、ここならゆっくりできるし、話すのにも最適かなって


さて、と付け加えて俺は話題を変える。



知っていること、全部教えてもらうよ。何度も言うけど、話さないと言うなら俺も知ってる情報を君に教えることはできない


無論、ここまで来て彼女が言わないという選択肢を選ばないと思うが念押しだ。それに、ここで相手から先に言わせる、ということを伝えておくことで俺から情報を一方的に与えるだけなんてのにはなりたくない。



分かりました


あっさりとそれに答えると、彼女は口を開き始めた。



そうですね、私の見解から始まるのですが犯人は私たち四十人の中にいます


初っ端から違和感の残るワードが出てきたことに俺は戸惑いを隠せない。



ちょっと待て、なんで四十人なんだ? 浪木は被害者としてカウントされていないのか?





逆です。彼女は立派な被害者になっています。ですから四十人には含まれていません


笑顔でそう答える神薙にますます混乱する俺。見ていてじれったくなったのか、彼女はあっさりとその訳を話した。



ほら、いるじゃないですか。毎日私たちと顔を合わせている担任の先生とか





南方も……!?


あまりに意外すぎて声を上げてしまった。気が付くと周りの客からは色々な眼差しを向けられていた。頭を下げながら、神薙の話を再び聞く。



はい、先生もあの場にいたのですから


彼女は毅然とした態度でさらに続ける。



それに、彼女たちがトイレに行った際、先生も校門の方へと向かったのを私自身見かけています





つまり校門に行った際、南方は裏口から回り込んで浪木をさらったと言いたいのか





証拠もないし、動機も見当たらない。それだけであの人を犯人と?


彼女は俺の言葉を面白がるようにクスッと笑った。



いいえ、だから推測と言ったじゃないですか。可能性であって決めつけではありません





…………





それとクラスの皆さんに浪木さんと國澤さんがトイレに行ってる際何をしていたかを聞きましたところ、キャンプの火の近くで食事してたり、雑談したりしていたそうです





神薙さんはその時間帯どこにいたの?





私も火の近くで食事してました。クラスの何人かは証言してくれると思いますよ


彼女の言い方からして本当のようだ。つまり、その場で行動を起こせるのは國澤か可能性として低い南方になる。



以上が私の持ってる情報です。少ないですが、皆さんから得た情報や見た物をそのまま言ってますので確実性はあるかと思われます





ありがとう、助かるよ。俺からも情報を言うよ。でもその前に一つ聞きたいことがあるんだけど良いかな?


どうぞ、と落ち着き払った声で彼女は了承した。



浪木が行方不明になる前、アイツ自身に変わった事は無かった?


可能性として浪木が前もって狙われたことを考慮して聞いてみる。両親が強盗に殺された時でもニコニコと俺の前で笑っているぐらいだから、彼女の変化はそれほど期待できないが念には念をだ。



いいえ、私の時は特にありませんでした





そうか……ありがとう





では、こちらの番と言うことで良いですか?





ああ


こうして、俺は彼女に自分の知っている情報を伝えた。こちらも神薙がやったように推測を交えながら、知ってることを話していく。
聞いている最中、彼女は口を挟むことなく笑みを浮かべながら頷いていた。どうやら彼女は聞き上手らしい。
知ってることを話し終えると、彼女はなるほど、と呟いた。



私の考えとはまた別の考えで面白かったです。確かに、他所の人が犯人である可能性も充分にあると思います


ですが、と言いながら、彼女は相変わらずの微笑みで言う。



犯人はこのクラスの中にいるんじゃないでしょうか?





まぁ、そう言うよなぁ……


結局彼女もクラスメイトに犯人がいるという結論を変えない。



侵入経路についてはそれは合ってると思います。しかし、それをどこの誰とも知らない人物がやるとは思えません


何となく気づいてはいた。見ず知らずの女の子をさらうのにフェンスに穴を空けて、侵入する勇気があるかどうかを聞かれたらそれは誰だってないと言うと思う。
狙うとしたら普通の歩道で一人になったところを襲うのが普通だ。わざわざこんな手間も危険も掛けたくないはずだ。



分かった、意見ありがとう





どういたしまして


そのやり取りが終わると、俺と神薙の間に静寂が包まれた。事件のことが聞きたくて話していたのだが、いざ終わってみると話題がない。
元々彼女とは教室ではあまり喋らないから、どんなことが好きなのかも知らない。何かきっかけがあれば……とそう考えた時だった。



何か注文しますか? ここに来て何も注文しないのは店員さんに失礼ですし


意外だ……神薙から提案するなんて……。



そうだね、何か食べよっか


神薙と俺は注文したは良いが、結局そのあとまともな会話が出来なかった。良くてお箸取ってもらえますか、飲み物大丈夫?くらいのものだろう。お互いが気まずいまま注文した品を食べ終えると、彼女はお金を机に置いた。



すみませんが今日はこの辺で失礼します。お金の方はここに置いておきますので





あ、うん。今日はありがとう





いいえ、私の方こそありがとうございます





それと、今日のことは皆に内緒にしてもらえないかな。バレるとなんか面倒さそうだし……





そうですね、内緒にしておきます


荷物を持ち、帰る支度をする神薙。その時、あっ、と思い出したように声を上げた。



そう言えば、浪木さんに変わった所が一つだけありました


さっきの質問で思い当たる節を見つけたみたいだ。俺は食い気味にそれがなんであるかを聞いてみた。



ノートです





ノート?





はい、以前係で提出物を持って職員室に行く途中、ノートを落としてしまいました。一つ一つ集めてると他のノートとは少し違ったノートがあったんです


彼女の話は続く。



一見して普通のノートなんですけど縦にして、ページを重ねてみると錆びた鉄のような色が付いました。それが浪木さんのノートです





錆びた鉄のような色……


前のパイプ椅子でノートを擦って付いた錆びかもしれないが、南方に確認してみるか。



ありがとう、もし何かあったら協力頼めるかな?





はい、良いですよ。ちょうど私も草ケ部さんに言おうと思ってたんです


お互い緊張が解れたような気がして少し楽になった。



では、失礼します





うん、また明日


神薙は頭を下げ、帰っていった。
