優の声に驚いて、百合音が見開いた目を向ける。
優の声に驚いて、百合音が見開いた目を向ける。



ここを動くぞ





どうしたんですか? 急に……





俺には盗聴器やGPSがつけられている。今ので百合音の「魔法」が軍に知れたはずだ。逃げるぞ





は、はい……


酷く性急な優に百合音は「?」を浮かべながらも、その真剣で厳しい表情に黙って従う。
どこへ逃げるのかわからないが、優の握る手の力強さに圧倒されていた。



感情がないなんて、大ウソだ……。この人にはこんなにも大きくて強い感情がある


花畑を抜けて岩場を少し行ったころ、優が急に手を離した。



すまない、少し待っていてくれないか


そう言い残して優は大きな岩陰に消えて行った。取り残された百合音は手持ち無沙汰にあたりを見回す。
この岩場は母が殺された場所によく似ている。しかし、血の跡や戦闘の痕跡は見つからないので、まったく別のところなのだろう。



お母さん……


優しかった母の姿。
目を閉じれば昨日のことのように鮮明に思い出せる。
早くに父を亡くした百合音に、寂しさを与えないよう、色々なことを我慢して努力してきたのだろう。そんなことが容易に想像できた。



軍に特別な魔法士の男の子がいてね。その子は軍に利用されてるんだけど、そういうことも分からないようにされちゃってるの


ふと、母の言葉を思い出す。



その子はね、感情がないんだって。百合音はどうする? 楽しいも悲しいもわからなくなったら


感情がない、特別な魔法士。それはもしかして



優さん……?





呼んだか?


いつの間にか岩陰から出てきていた優が、百合音のこぼした声に反応する。
百合音は慌てて手をぶんぶん振る。



な、何でもないです!





何でもないようには見えないが……





それより優さん、何してたんですか!?





盗聴器とGPS、それとMCCチップを破壊してきた


よく見ると、優の歩いてきた方向に鮮血の跡が残されていた。
百合音が驚いて声を上げる。



優さん、この血は何ですか





止血が十分ではなかったようだ


優は平然とうなじに手をやった。
その手を制止し、百合音が優のうなじを覗き見る。



な、なんてことを!


優のうなじは、まるでスプーンに抉られたようになくなっていた。肉が透けて、骨と思われる白いものが見えている。



優さん! 止血とかの問題じゃありません! 何でこんなことを!


優を叱りながら、百合音は手当てをしようとする。優は首を軽く振ってその手を押し戻した。



もう数十秒したら勝手に直る


そう言っている間に流れる血はだんだんと減り、ジクジクと修復が進む。特殊二次魔法士に付加された、自動制御の「修復魔法」によって「直っている」のである。これは、行動不能に陥るような大怪我を直ちに修復する魔法だ。
その化け物じみた様子に百合音が唖然とする。



気持ちの悪いものを見せてしまってすまない。もう少し岩陰に隠れていればよかったな


優はまるで突き放すように、諦めたように、言葉を紡ぐ。



だが、わかってくれ。巻き込んでしまった身で申し訳ないが、事態は一時を争う。今、軍から逃げなければ君は実験対象にされる。君はここから、いや、この国から逃げなくてはならない。厄介なことになってしまって本当に済まない。責任をもって君を安全な場所へ――


矢継ぎ早に告げる優を、百合音は強く抱きしめた。
驚いて、流れるように動いていた優の口が静止する。



こんな、こんな私のために自分の体を傷つけて! 治るからいいってものじゃありません! ……バカ!


温かい涙に優の服がぬれていく。
いつの間にか優のうなじはほぼ完全に修復していた。
