北の砂漠での騒動の後、あたし達は勇者討伐隊と一緒に砂漠をあとにして、ザンクトフロスという大きな街へと向かっていた。



しっかし、びっくりしたっすねー。
エリザさんが急に勇者さんにキスするとは


北の砂漠での騒動の後、あたし達は勇者討伐隊と一緒に砂漠をあとにして、ザンクトフロスという大きな街へと向かっていた。
ザンクトフロスには歴史の古い大きな天上教の教会があって、今歩いている道はその教会へ続く巡礼の道なので、道幅も広く、レンガがわずかな凹凸もなく敷き詰められた道は非常に歩きやすい。



だねー。
ま、結果オーライだけど、なんでキスでトイフェルを追い払えると思ったの?





根拠があったわけではないんですが……。
トイフェルに憑かれる人は、トイフェルにつけ入られる心の隙間があるとイーリス様がおっしゃっていたので……





それにしたってキスはないだろう。
これだから異教徒はふしだらでいかん





すみません……。
ただ、あの状態のヴァルターには、私たちの声が届いていないように見えたもので、よほどのことをしないと無理と判断しました





ん? どうしたっすか勇者さん
顔が真っ赤っすよ?


あたし達の周りを飛び回っているヘカテーが、少し高度を下げて勇者の顔を覗き込みながら言う。



な、なあアニカ。
さっきから気になってたんだが、このちっこいのは何なんだ?


照れ隠しなのか、ヴァルターがヘカテーを指さして言う。



ヘカテーちゃんはドリアードだよ。
オークの木の精





花も盛りの二三八歳っす





なるほど。
わからん





イーリス様の計らいで、あたし達の手伝いのために同行してくれてんの





言わば、迷える子羊アニカさんたちを導く羊飼いみたいな?


ヴァルターはまだ釈然としないみたいだったが、細かく説明すると長くなるしいいや。



しかし、木の精なのに本体の木を離れて、アニカみたいな根無し草にくっついてふらふらしてていいのか?


根無し草言うな。荒野の狩人って言え。



問題ないっすよ。
そもそもドリアードにとって、人間たちの社会を旅することは、大人になるために必要な通過儀礼っすから





まあ。
そうなのですか?





っす。
って言うか、ドリアードは異性に恋をしないと大人になれないっす。でもドリアードには女しかいないっすから、人間界に男あさりに来るっす


それは初耳だが、確かに昔から、騎士や貴族の青年がドリアードに魅入られて姿を消し、何年かして死体で発見されるなんて話はよく聞く。
なんか、ハーピーといいドリアードといい、暗闇の森の魔物は男に飢えてる奴ばっかりな気がする。もし将来あたしが家庭を持って、男の子が生まれたとしたら、暗闇の森にだけは絶対に近づかないように厳命しとこう。



んじゃ、ヘカテーちゃんは恋人作るために旅してるんだ。ヴァルターなんかどう?


ヘカテーはヴァルターを一瞥すると、眉根を寄せて申し訳なさそうな表情を作った。



ごめんなさい。勇者さんは……。
第一印象で『この人はないな』って決めてたっす





あー……。
そりゃあねぇ……


ヘカテーが勇者を見たのは、例の魔法陣で魔王討伐隊が妖精の丘で凶行におよんだ映像が最初のはずだ。第一印象は最悪だろう。
となると、魔王討伐隊にはヘカテーのお眼鏡にかなう殿方はいなそうだ。



そりゃあねえ、って何だよ。
トイフェルに憑かれてた時の俺は確かに最悪だったが、今の俺はそこそこイケてるだろ


恋人候補から外されて当然、みたいなあたし達の物言いに、ヴァルターは不服の声を漏らす。



そもそもさー。
なんでトイフェルなんかに取り憑かれんのさ。普通取り憑かれないでしょ


あたしもトイフェルに憑かれて勇者を殺しかけた事は棚に上げて、あたしは聞いた。



……強くならなきゃ。って思ったんだ。お前たちが抜けてから、特にそう思った。


ヴァルターはしゅんとしょげかえって、小さな声でそう言った。



エリザの代わりに加入してくれた巫術師のエーミールは、あの状況で望み得る最高の人材ではあったけど、エリザに比べると経験不足だった


巫術師のエーミールは、あたし達と同い年くらいか、もう少し若いかも知れないくらいの男性だ。火炎系の攻撃魔法は結構強力なんだけど、それ以外は少し弱いのだそうで、王都から魔物を倒しながら旅をつづけ、経験を積んで成長してきたエリザと比べると見劣りする。
巫術師の実力が劣る分を補うために、自分が強くならなければ、と若きランベルト氏は思ったらしい。



でもオットーは強いじゃん。オットーがいれば強さは十分なんじゃないの?


オットーの強さはあたしも見て知っている。あたしにはオットーにはない遠距離攻撃などの強みもあるから、あたしがオットーより戦力として劣るとは思っていないが、単純に強さでいえばオットーの方が強いはずだ。



オットーが強いのもプレッシャーになった。俺は勇者だから、一番強くなきゃいけないと思って


あたしのようにヴァルターとは性質の異なる戦闘スタイルならともかく、同じように剣で戦うオットーのことは、どうしてもライバル視してしまうのだろう。彼には「強くなるための努力をした結果、勇者に選ばれた」という自負がある。
加えて、聖騎士であるオットーは剣だけでなく治癒・解毒などの奇跡も行える。剣でオットーに負けるわけにはいかない。彼はそう考えたのだろう。
結局、仲間が強いことも弱いことも、彼を精神的に追い詰める原因になってしまっていたのだ。



な、なあ。そんなわけでさ。
もしもアニカ達さえ良ければ、また一緒に魔王討伐隊に加わってくれないか?
呪いにかかったエリザを見捨てようとしたことは謝るからさ


拝み倒さんばかりの勢いで、ヴァルターが懇願する。今のメンバーだとヴァルターが精神的負担を感じると言うのなら、再びトイフェルに憑かれることのないように協力してあげたい気もするけど……。



ごめん。魔王討伐隊に協力はできない


あたし達は人間と魔物の争いを終わらせるため、魔王討伐隊を止めに来たんだ。魔王討伐隊に入って魔物を倒すためにヴァルターと合流したんじゃない。
と言うような事を、あたしとエリザはかわるがわる説明し、討伐隊への再加入を丁重に拒否した。



そんなことを言われても、魔王の討伐は王からの勅命だ。我らが勝手にやめるわけにはいかない





王に近い方々にも働きかけて、必ず討伐隊停止を納得させてみせます。ですから交渉の間、討伐を中止していただきたいのです


しばらく押し問答が続いたが、互いに譲らず結論はでなかった。
当たり前だ。そんなに簡単に説得できるとはあたし達も思っていない。しばらくは彼らに同行しながら、ゆっくりと説得するしかない。
そんな風に思いながら、あたし達はなだらかなレンガの道を歩いた。
(若きヴァルターの悩み編・完 竜司祭の息子編へ続く)
