体の中心部から熱が少しずつ先端に伸びていくような心地がした。指先足先に温もりを感じて、竜也はゆっくりと目を開く。
体の中心部から熱が少しずつ先端に伸びていくような心地がした。指先足先に温もりを感じて、竜也はゆっくりと目を開く。



ここ、病院


ぼやけた視界を両手で拭っても変わらない。枕元を探って眼鏡を見つけた。



なんで、俺。そうか、電車に飛び込んだんだっけか


ぼんやりと記憶を辿っていくが、その後はもやがかかったように思い出せない。ただよく無事でいられたものだと感心するばかりだ。
この病室、見たことがある。甘地総合病院。母さんの勤めている病院だ。なるほど、この病院に連れてこられたんだな。竜也は目に映る情報から一つ一つ自分の存在を確かめていく。それは産まれたばかりの赤子がする行動を早回しにしているようだった。



何か、変な奴と会ったような気がするんだけどな


とりあえず目が覚めたことを伝えよう、と竜也は手元にあったナースコールのボタンを押し込んだ。
精密検査で異常がないことを確認して、竜也は数日後に退院となった。竜也が飛び込んだ電車は各駅停車で先頭車両が停まる辺りで飛び込んだこともあって軽傷だったらしいと聞いた。それにしても二週間ほどで退院できるほどで済んだのは奇跡的という話だった。
両親は竜也の行動に恐れをなしたのか、今まで以上に竜也の行動に関わらないようになった。今日もこうして授業をサボってフラフラと街を歩いているが、それが知れたところで二人は何も言わないだろう。



何なんだ、この感じ


竜也は竜也で街を歩くだけで感じる冷えた体が少しずつ温まってきた時のような妙な浮遊感の理由を探していた。病院で感じたのはきっと長い間眠っていたからだろうと思っていた。家に帰ってからは何も感じなくなった。



でもこの辺りに来てからまたおかしくなったんだ


高校に通うために乗った電車。そしてそこから学園まで続く大通り。見慣れた光景のはずなのに何かが足りないと感じる。その原因を探ってこうして制服のまま竜也は町をうろついていた。



見つかったら補導だな


その時は遅刻したと言い訳でもしておとなしく学園に向かおう。そう考えながら竜也はふと北に見える屋敷に視線を合わせた。あれが何かは竜也もよく知っている。学園の創始者でもある樋山家の屋敷。もちろん竜也には縁遠い場所だ。



頭が回らないな


体は問題ないと医者は言っていたが、この感覚を伝えたところでどうもならないと竜也は誰にも言っていなかった。そもそもこんな馬鹿げた話をする相手もいない。



そういや、この時間から肉屋でコロッケ揚げてるんだったな


クラスメイトから聞いた話を頼りにして、竜也は大通りから商店街のアーケードへと進んでいく。
次第に揚げ物の香りが強くなり始める。今日は何を食べようか、と考えて、竜也はふと疑問に思う。



ここに来るの初めてだよな?


妙な既視感。



デジャヴってやつか?


制服のままで歩いていてもそれを訝しがる商店街の住人はいない。彼らにとってはこの制服を着ている人間は同じ興誠学園の生徒でしかない。サボりの少なくない普通科や体育科の生徒を咎めるような人間はいなかった。



おばちゃん、野菜コロッケで


はいよ、と手渡された耐油性の紙袋に入ったそれを受け取って五〇円玉を渡す。学割価格だと言っているが、それにしたって破格だな、と竜也はすぐさま噛り付いた。



おう、坊主


後ろから声をかけられて竜也は振り返った。同じように揚げ物を買いに来たらしい本屋の店主が硬貨を光らせながら片手を挙げている。



またサボりか。不良生徒の仲間入りだな





そんなに何度もサボってねぇよ


そういう自分も朝から揚げ物なんて歳を考えろ、と言ってやりたいのを我慢して、竜也は首をわざとらしく振る。



本当か? こないだもうちに来たばかりじゃないか





こないだ?


二週間も入院していた上に最近は行った覚えがないのだが。



女の子連れて来てたじゃねぇか。あの子は今日はいないのか?


あの女の子? 誰だ、と聞く寸前でふと一人の女の子の顔が浮かぶ。知らない顔だ。知らない顔のはずなのに、何故か目頭が熱くなってくる。



そうだな。また連れてくるよ


それだけ言って、竜也は早足であの場所に向かって歩き出した。
廃工場と廃屋の景色を横目に流していく。山道にさしかかって何故だか坂道に懐かしさを覚える。そうだ、この山を一度降りた。それからあの樋山の屋敷まで上ったんだった。普段は絶対にやらないことをアイツと一緒だからやってみたのだ。



ふう、休憩だな


中腹の視界が拓けた山道に座って、持っていたコロッケを口に入れた。これがうちの高校で流行の寄り道らしいが、やはりどこか味気ない。またアイツを連れて戻ってこよう。その時は迷惑かけた分奢ってもらうくらいでちょうどいい。
休憩を終えて立ち上がる。元から運動不足な上に入院でなまった体には一歩がだんだんと辛くなってくる。それでも竜也は半ば狂ったように顔を上げて一歩ずつ山頂に向かって歩を進めた。
どのくらいかかっただろうか。山道の勾配が緩やかになり始め、山頂が近いと伝えている。
地面と空の間に見覚えのある金色の髪が映る。



あ、やっときた





はぁ、こんなところで、待ってんなよ


切れ切れに返す竜也の言葉に力はない。倒れこむように地面に寝転がった竜也の顔をタナシアが覗きこんだ。



久しぶりね





タナシア





本当に私のこと覚えていられるなんてね。ちょっとだけ見直したわ





なんでここに?





試験合格だったからよ。これからこっちで研修するの


満面の笑顔で答えたタナシアはそのまま竜也の隣に寝転んだ。隣に小さな顔が並ぶだけで竜也の視界が急に色づいていく。



本来なら覚えていられるはずのないもの。それを覚えているのが何よりの愛の証





なんだよ、それ





べ、別に私が言ったんじゃないわよ。イグニスのバカがそう言ってたの


恥ずかしそうに立ち上がったタナシアは竜也を置いて坂道を歩き出す。



ねぇ、こないだ行かなかったゲームセンターってのに連れてってよ。社会見学





ちょっと待て。俺は疲れてるんだよ





しょうがないわね。下りたらどっかでお茶でもしましょ


下りたところで廃屋しかないぞ、と枯れた声で呟くが、タナシアは聞こえていないように弾むようなスキップで竜也が今しがた上ってきた山道を下りていく。



マジかよ


遅れられない、と竜也はタナシアの背を見ながら渋々と立ち上がる。
体を躍らせながら山道を降りるその後ろ姿に竜也ははっきりと見た。
その背に輝く白い羽を。
頭上にきらめく黄金の輪を。
彼女は間違いなく、竜也を救い出した天使だった。
~Fin~
