私達は都内のオフィス街にある高層ビルの中のレストランで、美しい夜景を肴にワインを嗜んでいた。
ああ、一般的なデートってこういうものだっけ。テレビとか、雑誌とか、そういう特集を組んだりするからね。何もこういうビルもレストランも初めてというわけではないけれど、家族でも友達でも仕事相手でもない殿方と二人きりというシチュエーションが与える緊張感がほどよいスパイスになっている。



ちょっと、恋人ってどういうこと? あの平田って男、ゲイなの?





それは俺からはなんとも言えんな





は? 意味わかんないんだけど……





俺のことはどうでもいいんだよ。お前の目的はあの女か?





え、あ、うん。あの子が竿に襲われないように、私が監視しようってわけよ





竿……まあいい。だとしたら、心配はいらない





そうね、あいつがゲイだったらその心配は……って違う!





もしかしてバイなのかもしれないし、仮にそういう目的じゃなかったとしても、じゃあなんであの子を食事に誘ったのかって話になるじゃない。あやしすぎるわ





あなた、何か知ってるの?
あの竿は一体、何を考えているの?
あの子を一体どうしたいの?





ああ、あいつはちょっと複雑なやつでな。色々あるんだ。だがさっきも言ったように心配はいらない。余程のことがない限りあのお嬢ちゃんには危害を加えることはないし、何かあったときは俺が責任を持って止めるさ





あんた、もしかしていいやつ?
でもまだ信用してないよ。もしかしてあの男とグルかもしれないしね





疑うのはお前の勝手だ。けれど念のため、お前も来たほうがいいのかもしれないな。今回の場合、無関係とは言いがたい





そうね。でももしあの子を泣かせるような真似をしたら、二人まとめて簀巻きにしてやるんだから





好きにしたらいい。さあ、二人のあとを追うぞ


私達は都内のオフィス街にある高層ビルの中のレストランで、美しい夜景を肴にワインを嗜んでいた。
ああ、一般的なデートってこういうものだっけ。テレビとか、雑誌とか、そういう特集を組んだりするからね。何もこういうビルもレストランも初めてというわけではないけれど、家族でも友達でも仕事相手でもない殿方と二人きりというシチュエーションが与える緊張感がほどよいスパイスになっている。



岩山さん、とても綺麗に食べるんだね


私がフォークに刺した魚の切り身を口に運んでいると、平田さんが微笑みながら話しかけてきた。とてもいい料理なのはわかるのだけれど、緊張で今ひとつきちんと味わえていない。



あ、うん……じゃなくて、はい。両親から厳しくしつけられたもので……





そっか、いいご両親だったんだね。僕は未だにこういうの慣れてなくて


そうは言っても平田さんのマナーもエスコートもつつがない。なのでもっと女性を誘っているのではないかと普段のイメージからも考えていたのだけれど、そうでもないのだろうか。
ふと、平田さんの視線が私の指に集中していることがわかった。それが平田さんのどういう思いからなのかはわからないけれど、気恥ずかしかった。



あの、平田さん





はい、なんでしょう





その、どうして私なんかを食事に誘ったんですか……茶化したいわけじゃないですけれど平田さん、とっても人気だから別に私なんかじゃなくても……





いえいえ、僕なんて……そうですね。岩山さんじゃなきゃダメだった、と言いますか


平田さんは照れくさそうに頭をかきながら答える。そこにはいささかも、こちらを茶化そうとか、だまくらかそうなどといった、不穏な感情は読み取れなかった。



ひとめ見たときから、僕にはわかったんです。岩山さんこそ、僕が求めていた人だって


突然グイグイ来た。このレストランに着いてから仕事のこととか、簡単な世間話などしかしてこなかったというのに、ここにきて唐突なストレートをお見舞いされた。
私は震える指でワイングラスを置いた。待ってくれ。心の準備をさせてくれ。まだ何も知らない私に、いきなりマウントを取るのはやめてくれ。
口の中が緊張でカラカラになる。こういうものって、もうちょっとステップを踏むものではなかったか。それとも今の恋愛模様はこれくらいスピーディーな展開が主流なのだろうか。



あ、あの、それってつまり。私のことが、その





岩山さん、それは僕の口から言わせてください。お互いのこと、まだ充分にわかりあえてないうちから言うのもなんですが、やっぱり僕から伝えなくちゃならないことですし





は、はい。よろしくお願いします……


真剣な表情で私の目を射竦めるように見つめる平田さん。私は背筋をピンと張って息を呑み、これから自分に向けられる真摯な言葉を待ち構えた。



岩山さん、僕と……


くる……。



僕と、オ◯ニーの話をしてください!





……は?


一瞬、自分が混乱の極みで何かを聞き違えてしまったのかと思った。とてつもなく卑猥な言葉がサラッと、それも大きな声で、ありえないようなシチュエーションで聞こえたような気がするが。



い、今なんて





僕とオ◯ニーの魅力について語り合いましょう!





ん?





あなたの姿を会社で見たときにビビッときたんです。ああ、この人は僕と同類だって





ど、同類?





そう……オ◯ニストですよ!
オ◯ニーが好きで好きでたまらない、オ◯ニストです!


私は開いた口が塞がらなかった。全ての想定が一気に覆された。準備していたあらゆる回答が吹き飛ばされた。
オ◯ニスト? オ◯ニーが好きで好きでたまらない? 一体何の話をしてるのだろうか。



ちょ、ちょっと待ってください。平田さん、あなたは何を言ってるんですか? ちょっと落ち着いてください。ここは人もいますし





岩山さんをひと目見たとき、ビビッときたんですよね。この人には自分達と同じ『血』が流れている。そう、オ◯ニーの魅力にとり憑かれた人間なのだと





な、なんてこと言うんですか。私は決してそんなんじゃありません!





いいや、岩山さん。あなたは同類のはずだ。僕の目が狂ったことは今までだって一度もない。毎日三回欠かさずに、あらゆる方法でオ◯りつくしてきた僕のオ◯眼(がん)が外れることなんてなかったんだ





ほ、本当にやめてください! 一体どうしたんですか、目じゃなくて気が狂ったんじゃないですか!





ほら、岩山さんの指。すごく綺麗だ。きっといつでも清潔にしているんだろうなあ。爪だって綺麗に整っている。これはもう、オ◯ニーの準備はいつでもOKと言わんばかりの





いやあああ!
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!


だから私の指をじっと見つめていたのか。そんなわけのわからない理屈で。



こう見えても僕、全日本オナニスト協会で理事を務めてるんですよ





いやいや、そういう問題じゃありません! っていうかなんですかその組織!





あ、略称はオナ協です





聞いてねえよ!





大丈夫です! 心配しないで。恥ずかしいかもしれませんが、今ならオナ協の五万人の会員があなたの味方です





会員多いな! ていうか私はオ、オ◯ニストなんて気色悪いものじゃありませんから!


ふと、周囲の視線が私達ふたりに注がれていることに気付いた。とはいえ、目の前の平田さんはそれまでの人格が打って変わったかのように、下品な言葉をマシンガンのごとく放り出してくる。
意気揚々と『お花摘み』の魅力を語る平田さん。その眼はどこがギラギラとしている。私は今、変にナンパな男よりももっと危険な地雷を踏んでしまったのではないかという疑念に駆られていた。
オルちゃんといい平田さんといい、ここのところの私はどうしてこうも脳と下半身が直結したような人材に囲まれてしまうのだ。



お願いです、どうか岩山さんもオナ協に


平田さんの誘いを断ち、この場から逃げ出すべくカバンを手にとった。
そのとき、入口のほうから二つの影が飛び出して、私達のほうを駆け寄る。



おい、そこまでだ平田! お前はまた調子に乗って……





麻子ちん、大丈夫!?





お、オルちゃん!?





穴太郎! どうしてお前がここに!?





どうしても何も、心配になったからきたんじゃないか。すると思っていたようにこのザマだ





てか穴太郎って


突然現れたオルちゃんと、穴太郎と呼ばれた高身長の男性。男性の方がどうやら、平田さんと知り合いのようだった。何にせよ、事態がますますややこしくなることを察した。



な、なんでオルちゃんがここにいるの? っていうかこの人は誰?





ごめん、麻子ちん。ついてきちゃった……





俺は穴太郎。平田の恋人だ





おいちょっと待て! お前は恋人なんかじゃないだろう! それはお前が勝手に名乗っているだけだ!





え、そうなの!?





そうだが?





お、おお


呆然とする私をよそに、穴太郎という人が平田さんに詰め寄る。どちらもなかなかどうしてイケメンなので、まるでドラマのワンシーンを観ているかのようだった。



平田、お前今夜はオナ協のミーティングに参加するって言ってたよな。これはどういうことだ





そ、それは……だって本当のことを言ったら、お前が邪魔をしてくるじゃないか





当たり前だ。現にこうして人に迷惑をかけているだろう。いいか、平田。お前の趣味はたしかにちょっと特別で、そこの嬢ちゃんは同類かもしれない





同類じゃないわよ!





同好の士を見つけて嬉しいのはよくわかる。でもこういった場所で急にオ◯ニーの話をしましょうとか、変な団体に入ってくれとか言っても、普通の人間相手ならまず通報されているところだ


そうか、通報だ。私は思わずスマホを手に取りかけた。



いや、俺にはわかる。岩山さんはオ◯ニストの中のオ◯ニスト、オ◯ニー界の未来を牽引する資質のある女性だ





人を何だと思ってんのよ! だいいち私はそんなはしたないこと……





そうよ! たしかに麻子ちんは一晩で三回はしちゃうような子だけど、そんな気色悪い資格なんか





こらー!





平田、お前はオ◯ニーのしすぎでバカになってしまってるんだ





おい、それは聞き捨てならないぞ!





そうよ、オ◯ニーのしすぎでバカになるなんて迷信よ。偏見よ。科学的なデータを示しなさい!





それに俺はいたって冷静だ。今回だって待ち合わせの前に一発抜いて……





うわあ~! いやだー!!





だいたいな、オ◯ニーってのはひとりでやるもんだ。誰かと楽しみを共有するなんて、矛盾してると思わないか





俺はプレイを共有しているわけじゃない。その魅力を語る友達がほしいだけで、それは一人旅や一人酒の楽しさをSNSに書き込むようなものだ





鍵垢でやれ





いや、でもオ◯ニーの魅力を語り合うって素晴らしいよ。そもそもオ◯ニー自体がとっても素晴らしいことなんだから。自己解放っていうのは結局他人との接触無くしてありえないというか





お、君なかなか話せるね。どうだいオナ協に入らないか





そもそもオ◯ニーっていうのは……





いやいや、オ◯ニーっていうのは……





結局、オ◯ニーっていうのは……





いい加減にしなさい!


私の叫んだ瞬間、下劣な言葉の応酬を重ねていた三人の口が閉ざされた。周囲からは困惑の視線が注がれ、複数の店員が困ったように私達を取り囲んでいる。本来なら力ずくで追い出すところなのだろう。



周りを見なさい! みんなの迷惑になってるじゃないの。もう帰らせてもらいます。オルちゃん、行くよ!


オルちゃんの手を引いてレシートを取ろうとした私を平田さんが制した。



ま、待ってください。さすがにここは僕が持ちますよ!
……あ、領収書ください。宛名はオn





オナ協はもういい!


半ば逃げ出すようにして店を出た私達は、あーだこーだと叫びながらも近所の公園へと流れ着いた。



ほら、だから言ったんだよ麻子ちん。ろくなことがないって。竿なんかやめて私にしな?





それもイヤよ……





岩山さん、その……本当に申し訳ありませんでした。僕としたことが我を失い、あなたに大きな恥をかかせてしまいました


平田さんは神妙な面持ちで、深々と頭を下げた。頭とか頭とか頭とかおかしい人ではあるけれど、決して悪い人ではないのだ。それは私も知っていた。
それでも私は気持ちの整理を付けることができず、気がつけばポロポロと涙をこぼしていた。
少し、期待していたのだ。私にも人並みに愛する存在ができることを。自分が愚かな人間のように思えてきた。自分が増長していのではないかと思えてきた。まるで遊ばれたような感覚だった。当然、平田さんにそんなつもりなどなかったわけだし、実際そういうわけではないのだけれど、それでも自責の念に似た悔しさを覚えずにはいられなかった。
そんな私の頭を抱いて、オルちゃんは平田さんを強く睨んだ。



麻子ちんを泣かせたんでしょ。実情はどうあれ、人の気持ちを弄んだんでしょ。あんた達が思っている以上に、涙の価値は重いよ


謝り続ける以外に術を持たない平田さんに代わり、穴太郎さんが私達に割って入る。今更だけれどすごい名前だ。



うちの平田が迷惑をかけたようですまない





自分は迷惑をかけてないみたいなノリで言わないでよ





なんと詫びをしたらいいかわからないが……出来る限りのことはさせてもらう。下賎なことを言ってしまうが、金でなんとかなるのならいくらか出すことが出来る


すると、穴太郎はポケットからまるでハンカチ代わりのように札束を取り出した。百万はあるだろうか。



うえっ! あんた金持ちだったのね





穴太郎は銀座のNo.1ホストだからね。
僕も、あまりにも岩山さんの気持ちを軽んじるようなことをしすぎてしまいました。本当に申し訳ありません。
できる限りのことはさせてもらいますし、今後働きづらいというのなら会社をやめても……





もういいんです。私がバカだったんです。いい夢を見させてもらいました。あとはもう、これ以上関わってさえくれなければ……


そうだ。私ひとりがちょっと傷ついただけだ。尊厳はボロボロだけれど、酒でも呑めば忘れられるレベルである。それもまた、私がずいぶん麻痺してしまった証拠だろうか。野良犬に噛まれたと思って、水に流そうと思った。



さて……話は変わるが。おい、そこの女





ん? 私?





腋を見せろ


突然、穴太郎さんがオルちゃんの手首をつかみ、その腕を持ち上げようとした。



痛っ! ちょっと、何すんのよ





いいから見せろ





うわ、やっぱりこいつも変質者だったんだ!





お、おい穴太郎。お前何やってるんだ!





助けて麻子ちん! 犯される、殺される!





ちょ、ちょっとあなた何して……


すると、穴太郎さんは少しだけ笑うとおとなしくオルちゃんの手首を離した。必死にもがいていたオルちゃんの身体が、その勢いでバランスを崩しかけた。



なんなのよ、アンタ達二人そろって気が触れてるの?





ほら、やっぱりあったな。マーク





は……?


オルちゃんが腕を上げて腋のほうをチェックすると、そこには小さく何かのマークのようなものがあった。



あれ、何これ。私の身体にこんなのあったの?





お前、製品番号と製品名は何だ


穴太郎さんの言葉に、オルちゃんの顔色がさっと変わった。



ど、どうしてそれを……





俺の身体にも、それと同じものがある。俺はお前と同じ存在なんだよ


そう言って穴太郎さんは上着を素早く脱いだ。タンクトップ姿になった穴太郎さんの腋には、オルちゃんと全く同じマークが浮かんている。



紹介が遅れたな。
俺は製品番号ONN-1000。
製品名は『東京穴物語』





お前と同じように、AGNET社によって作られたアダルトグッズだ。
俺は平田に買われたんだよ


第七話に続く
