川に流されていた少女――ルリイエが目を覚ましたという知らせをアキトから受けたおばば様が、ルリイエのはだけた胸に当てていたしわくちゃな手をどけて微笑む。



…………
ふむ……特に問題はなかろう……
数日も安静にしてれば体力も戻って歩き回れるようになるじゃろうて


川に流されていた少女――ルリイエが目を覚ましたという知らせをアキトから受けたおばば様が、ルリイエのはだけた胸に当てていたしわくちゃな手をどけて微笑む。



ありがとうございます……


服を着なおしながら頭を下げるルリイエに、おばば様は「なんの」と首を振る。



気にするでない……。
わしはただお主の容態を見ただけじゃ……


それでもありがとうございます、と頭を下げるルリイエに小さく微笑んだおばば様は、ついたてを挟んで反対側にいて、衣擦れの音に顔を赤く染めていたアキトの頭を小突いた。



痛っ……!
何すんだよ、おばば!


突然の理不尽な暴力に食って掛かるアキトを、しかしおばば様は一喝して黙らせる。



やかましい!
ちゃんと言いつけ通りに覗きはしとらんじゃろうな?
もし覗いたというなら、今のうちに正直に言うことじゃ……
そうしたら、許してやらんこともないがの……


アキトは、おばば様がルリイエの診察に、服を肌蹴る必要があるということで、ついたてを挟んだ反対側に追いやられ手しまった。しかも、もし覗きを働いた場合、おばば様が魔法をぶっ放すという警告つきでだ。
元々覗くつもりはなかったし、そんな警告を受けた以上、覗きをする気など起こるはずもなく、アキトはただついたての向こうから聞こえる衣擦れの音に、顔を赤くするしかなかった。
それを必死に説明するアキトをじっとにらみつけたおばば様は、小さく鼻を鳴らした。



ふん!
甲斐性のない奴め……





覗かなかったことを褒めるどころか、むしろ貶された!?





覗けとは言うておらん!
それくらいの気概を見せてみろということじゃ!
このヘタレ!





覗いても覗かなくても、どっちでも結局怒られるって……
どんな理不尽だよ……


はぁ、とアキトがため息をつくと、それまでの二人のやり取りを見ていたルリイエが、くすくすと笑い始めた。



ふふふ……
お二人とも本当に仲がよろしいんですね……





まぁ、こやつはわしにとって孫みたいなものじゃからの……
仲がいいのは当たり前じゃわい……





ちょっと待って!?
今のやり取りを見てどこに仲のよさを感じたの!?
あと、孫ならもっと大事に扱って!?


ついついツッコミをしてしまうアキトと、それをさらにからかうおばば様。
そんな二人を見て目を細めていたルリイエが、ふと顔を曇らせた。



そう……ですよね……
本当なら仲がいいのが普通なのですよね……





……?
ルリ……?


突如顔を曇らせた少女に、どうしたのかとアキトが問いかけようと口を開きかけた瞬間、《きゅるる……》というなんとも可愛らしい音が聞こえ、思わずアキトが目を向けると、そこには頬を赤く染め、恥ずかしそうに顔を俯かせたルリイエがいた。
アキトから注目を浴びたルリイエが、誤魔化すように「えへへ……」と笑いながら、自分のお腹に手を当てたその直後、突然おばば様からぽかり、と頭を杖で殴られ、さらにじろりと睨みつけられた。



この娘は長い時間川を流されて体力を消耗しておるのだ。
すぐに食事を用意せんか!
まったく……気を利かせんか、馬鹿者……。
わしはお前をそんなデリカシーのない男に育てた覚えはないぞ?


小声で、けれど酷くドスの効いた声で言われ、アキトは慌てて立ち上がるとキッチンへと向かい、食事の支度を始める。
その背中に、「ついでにわしの分も頼むぞ」と声を投げかけてから一息ついたおばば様は、くるりとルリイエを振り返った。



さて……
本当ならば、お主がどこの誰で、何故川を流れてきたのかを事細かく聞いて、場合によっては村から追い出さねばならぬのじゃが……


それを聞いて、びくりと肩を振るわせたルリイエを見て、おばば様はふっと表情を緩めた。



お主が言いたくないのであれば、無理に聞くような真似はせんよ……
じゃから安心しなさい……


おばば様の思わぬセリフに、ルリイエはきょとんと目を丸くする。



いいの……ですか……?





ああ……構わんとも……。
何かいいたくない理由があるのじゃろう……?
それを無理やりに聞きだすような無粋な真似はせんよ……。
お主が悪人というのなら話は別じゃが、少なくともわしの目にはお主が悪人と映ってはおらんしの……





どうして……?





ん……?





どうしてそこまで見ず知らずの私を信用なさるんですか?
もしかしたら私が悪人で……、素性を隠しているだけかもしれないのに……





それは……





それはルリが悪人に見えないからさ……


おばば様の言葉を遮り、いつの間にか料理から戻ってきたアキトが答えた。



もしルリが本当に悪人だというのなら、そんなことは言わないさ。
そんなことをいえるのは、ルリ……君がおばば様の優しさに心苦しさを感じているから……。
そして心苦しさを感じるということは、ルリが心優しい女の子だっていう証拠だよ……


きっとそういわれるとは思っても見なかったのだろう、大きく目を見開くルリイエに、アキトはそっと手を伸ばしながら微笑みかけた。



さ、食事ができたから食べよう?





…………はい


ふわり、と微笑み返し、ルリイエはアキトの手を取った。
それから数日後。
すっかり体力が回復したルリイエは、アキトに村を案内されていた。



……で、ここが村長で薬師、占い師のおばば様の家。
村で唯一薬を作れる人だから、みんな怪我とか病気とかになるとおばば様の家に駆け込むんだ。
……村の中は大体こんなものかな……?
小さな村だからね……。後は回りに畑があるくらいだよ……


はは、と誤魔化すように笑うアキトに対して、ルリイエは回りをぐるりと見回しながら、胸いっぱいに空気を吸い込む。



確かに小さいけれど……本当にいい村だと思います……。
村の人たちも元気で……


そんなことを言う彼女の視線の先には、畑仕事の帰りなのだろう、鍬を肩に担いだ数人の男たちが、道の向こうからルリイエに大きく手を振っていた。
その直後、



きゃっ!?


突然、ルリイエが驚いたように悲鳴を上げる。
何事かと視線を向けたアキトの目に飛び込んできたのは、慌てたようにスカートを抑えるルリイエと、悪戯っぽく笑いながら彼女のスカートに手を掛ける、村の子供たちだった。



お前ら!!
待ちやがれ!!


アキトが怒鳴り声を上げると、子供たちはまるでクモの子を散らすかのように逃げていく。



まったく……あいつらは……。
ごめん、ルリ……


追いかけるのを諦めて小さく息をつき、謝るアキトに、ルリイエは首を振る。



いえ、大丈夫ですから……


それにしても平和だ、とルリイエは思う。
魔王と勇者が各地で激しい争いを繰り広げ、世界中で混迷を極めているというのに、子供たちが笑顔で走りまわり、大人たちは畑仕事に精を出す。
そんな村がまだあったとは思ってもみなかった。
ルリイエの、素直に口を突いて出た言葉に、アキトが苦笑しながら説明しようとしたときだった。
うぎゃあ~~っ!!
突然、子供たちのそんな悲鳴が聞こえ、アキトとルリイエはお互いに顔を見合わせると、慌ててその場を駆け出した。
そして程なくして、声が聞こえた場所に辿り着いた二人は、困ったようにお互いに顔を見合わせる数人の子供たちに囲まれた男の子を見つけた。
動揺している子供たちを捕まえて状況を聞いてみると、どうやら木に登っていた子供が調子に乗って遊んでいたら、枝が折れてそのまま地面に叩きつけられてしまったらしい。
どうしよう、と子供たちが右往左往している間にも、男の子の足の一部がどんどんと赤黒く腫れ上がっていく。
どうやら足を折ってしまったようだと判断したアキトは、ルリイエに目をむけた。



僕はすぐにおばば様を呼んでくる……。
ルリ……、君は子供たちを見ていてくれ!


そういって駆け出そうとするアキトの手を、ルリイエが捕まえた。



私が何とかします……





何とかって……


思わず首をかしげるアキトの目の前で、男の子の足に掌を向けたルリイエは、集中するかのように静かに目を閉じ、何事かを小さくつぶやき始める。
すると直後、彼女の掌にぼんやりとした光が宿り、やがてそれは苦しそうにうめき声を上げる男の子の足へと流れていった。
そうしてしばらくして、「ほう……」と息をつきながら目を開けたルリイエが、男の子の足から手を放すと、そこにはまるで怪我など始めからなかったかのように、綺麗な足が現れた。



もう大丈夫ですよ……。
でも、今度からは気をつけてくださいね?


男の子を立たせながらルリイエが言うと、男の子は二三度調子を確かめるようにぴょんぴょんとジャンプした後、大きく頷いた。
ありがとう、と言い残して仲間たちと去っていく子供に、微笑みながら手を振り返すルリイエにアキトが呆然としていると、騒ぎを聞きつけたのだろう、おばば様が歩み寄ってきた。



お主……魔法が使えるのか……?


ええ、と頷くルリイエをじっと見つめたおばば様は、やがてふっと顔を綻ばせると、ゆっくりと頭を下げた。



何はともあれ、子供たちを救ってくれたのは感謝する……。
時にお主……これから行く当てがないのなら、この村に住まないか?





えっ……?


きょとんとするルリイエに、おばば様は続ける。



村としても魔法の使い手たるお主がおるのは心強いし、お主自身若くて美しい……。
村にとってはありがたいことじゃ……。
家は……そうじゃのう……。
当面はアキトの家がいいじゃろ……。
まぁ、お主さえよければ、の話しじゃがの……


どうじゃ? と眉を持ち上げるおばば様を数秒見つめたルリイエは、今度は隣に立つアキトに目を向け、やがてこくり、と首肯した。



皆さんがよければ、よろしくお願いします……


そういって深々と腰を折るルリイエを、村人たちは笑顔で迎えた。
