にわかには信じがたいことを、彼女は一切ためらうことも無く口走った。
彼女の思惑を、私は考えた。昨日の記憶を掘り返し、自分が『大人のおもちゃ』を買ったこと、それを使ったこと、ひと通り“終えて”そのまま眠りに落ちたことまでは認めた。
けれど、だとしたら目の前にいるこの美女はなんだというのだろう。先ほどの台詞をそのまま飲むこむように、彼女は私が買った、私が使った『大人のおもちゃ』が人間になった姿だというのか?



岩山麻子さん。私はあなたがネットで買った大人のおもちゃ――朝目覚めたら人間になっていたのよ


にわかには信じがたいことを、彼女は一切ためらうことも無く口走った。
彼女の思惑を、私は考えた。昨日の記憶を掘り返し、自分が『大人のおもちゃ』を買ったこと、それを使ったこと、ひと通り“終えて”そのまま眠りに落ちたことまでは認めた。
けれど、だとしたら目の前にいるこの美女はなんだというのだろう。先ほどの台詞をそのまま飲むこむように、彼女は私が買った、私が使った『大人のおもちゃ』が人間になった姿だというのか?



ちょっと待って。頭のなかを整理させて





自分で言うのもなんだけれど、整理したらすぐに受け入れられる現実じゃないと思うんだよね。まあ、受け入れるしかないんだけどさ。現に私は受け入れた





気持ちの切り替え早いわね……とりあえず、質問させて。あなた、名前は? どこからきたの?





商品名は『オルガマニア』。正式名称は『あなたのセルフケアを優しくサポートするミニディルド型電動バイブ・オルガマニア』型番はONN-2000だよ。出身は千葉県市川市の物流センター





ちょっと、ふざけないでくれる?





これでも大まじめに言ってるのよ


私は『オルガマニア』に睨みを効かせたけれど、相手は決してふざけている素振りでもなかった。
ただの頭がいかれた痴女か、レズビアンの暴行魔でも侵入してきたか、それとも西洋の怪物『サキュバス』がやってきたのか。
どの意見も正しいとはいえず、さらに彼女の言葉に説得力をもたせる事実が存在する――私が『使用』した後、枕元に放り投げた肝心の『オルガマニア』が、部屋を見回してもどこにも見当たらないのだ。



まあ、信じられないよね。昨日まで自分がオ◯ニーに使っていた道具が、急に人間になって現れたんだから





お、オナ……! 貴女、頭がおかしいの? それとも私が夢を見てるの?





気持ちはわかるけど、これリアルガチなのよね。それにしても人間の体ってこんな感じなんだ。結構脆そうなんだね


『オルガマニア』が腕の筋を伸ばすと、胸元のシーツがはだけて豊かで形の良い乳房が露わになった。私は急に恥ずかしくなり、両手で自分の目を覆う。
物が人になる。それもアダルトグッズが、である。そんなことがあるだろうか。こんな非常識、簡単に容認できるわけがない。
いや、まだまだ決定打といえる事実は出ていないのだ。この女、したたかに嘘をついているのかもしれない。



うんうん、現実を受け入れるのはゆっくりでいいよ。それより、シャワー貸りるよ。身体カピカピなんだよね


すっと立ち上がった『オルガマニア』の全身が外気にさらされると、しなやかな手足を透けるように白く瑞々しい肌、程よい肉付きが描く滑らかなボディラインが朝陽のベールに包まれた。同性の身体ながら、私は思わず生唾を飲み込む。
しかし、すぐに我に返った。



ちょ、ちょっと。勝手なことしないでくれる? シャワーなんて貸さないわよ





大丈夫、当たり前かもしれないけれど、わたし防水加工だし





そういうことじゃないわよ。だいたいなんで身体がカピカピなのよ





仕方ないじゃない。使用後なんだから





使用後って言うな! いい? もうそういう恥ずかしいこと言うのナシだからね


いくら事実とはいえ、自分の『行為』について赤の他人から言及されるのは恥辱である。たとえそれが自分の使ったアダルトグッズの言葉であったとしてもだ。
しかし、どうやらそんな私の態度が気に入らなかったらしい。『オルガマニア』は睨むような視線を私に投げる。



な、なんなのよ





あのね、昨日のアレはあなたが自分の欲求に従って、誰の迷惑もかけずにやったことなのよ。それを悪し様に否定しないでくれる?
私にも、あなた自身にも失礼なことなのよ。あなたは昨日、私を使ってオ◯ニーしたの





わ、私はそんないやらしいこと、そんな





したのよ! 『私はあなたでオ◯ニーしました』。さんはい





わた……言わないわよ! 言うわけないでしょ!





5500円払って、ひとりでアレして、コレして、気持ちよくなったのよ。いいじゃない、堂々としていたって。みんなやってることなのよ。何を恥ずかしがっているの?


躊躇など一切することなく、ガッツリと私の目を真正面から見据えて、『オルガマニア』は私の深入りされたくない事実を掘り下げてくる。
だが、グッズふぜいにわかるまい。私には人並みの羞恥心というものがあるのだ。突然現れた自称バイブ人間などに自分の性生活へズカズカと足を踏み入られるのは、私の尊厳が許さない。



あのね、手足の付いたアダルトグッズにはわからないでしょうけれど、私は人間だから、マナーとか倫理観とかで動いてるの。人前で口にするのをはばかるようなこともあるのよ





人前で口にするのをはばかるようなことを、私でしておいてよく言うわよ





私はこう、人前でオッ……オ◯ニーって言葉を使ったことすらない人間なんだから。育ちがいいのよ。その辺、気を回しなさいよ


『オルガマニア』はハン、と鼻を鳴らした。その態度が私の苛立ちを加速させる。



あら、いいとこの育ちだったのね。ごめんなさい。育ちがいいとネットでバイブを買うようになるんだね。お隣さんにまで聞こえそうなくらい声を出してよがり狂うように教えられるんだね。教育熱心な親御さんだこと





教わるか、そんなこと





恥ずかしいなら何も『オ◯ニー』って言い方じゃなくてもいいのよ。日本語は多種多様なんだから、もっと隠喩的な表現もあるんだし





たとえば?





自慰とか、マ◯ターベーションとか、ひとりエ◯チとか





ああ、そういう……





××ズリとか、自家発電とか、自己満足とか、自主練とか、ソロ活動とか、ワンマンショーとか、単独ライブとか、シャドーボクシングとか、セルフプロデュースとか、劇団ひとりとか、ロンリーチャップリンとか、ひとりでできるもんとか、R-1ぐらんぷりとか、たったひとりの最終決戦とか





使わないわよ。よくそんなに出てくるわね


この女には恥じらいというものがないのか。私は呆れ返っていた。
あどけない少女にも、妖艶な娼婦にも見える面構えで、いかがわしい言葉をしれっと口にする『オルガマニア』を観ていると、こっちがどうかしてしまいそうだった。



仮にあなたの言葉を信じるとして、どうして人間なんかになっちゃったのよ





そんなの私だってわからないわよ。でもこれはきっと、私の理念を知った神様からの思し召しじゃないかしら





理念? アダルトグッズに理念なんかあるの?





よくぞ訊いてくれました!


突然、『オルガマニア』が表情を輝かせて身を乗り出してきた。



私の開発理念はひとつ、女性がもっと素直に気持ちよさを追求できるような『セルフケア』のお手伝い。女性たちの気持ちに応えるように、一流の開発者達が数年の歳月と幾度の失敗を超えてついに作り上げた最高傑作が私、『オルガマニア』なのよ!





セルフケアって何よ。その言い方があるならもっと最初から出しなさいよ。でもそれでまたなんで人間になる必要があるっていうの?





やっぱり見た目的に味気ないから……ってことじゃないの? まあ、わたし頑張るんで、よろしく





何が『よろしく』よ。お生憎様、私はひとりで充分だから。さ、出てって。昨日のことはお互い、さっぱり忘れましょうね


自信満々に語ってもらったところ悪いのだが、この『オルガマニア』がただの頭がおかしい色情狂である可能性は払拭されてないのだ。
それに、仮にアダルトグッズが化した人間であることが事実であったとしても、そんな存在に身体や欲求をあずけるほど悪趣味な性癖の持ち主ではないのだ。



なんで? せっかくだし手伝うよ。オ◯ニー





私の前でその単語使うのやめて





じゃあワンマンショー





ショーじゃないわよ。なんでそれをチョイスしたのよ





気持ちよかったんでしょう? 昨日だって三回戦もしたじゃない





回数を言うな!





お願い! 私、それしかできないし、それが私の生きる目的なんだからさ


すがるように自分の存在を押し付けてくる『オルガマニア』だったけれど、そんなのは私の知ったことではない。
人肌恋しくなることがないといえば嘘になるし、事実ひとりで粛々と欲求を解消することにも一抹の寂しさがある。何より昨日はたしかに気持ちよかったし、女の私から見ても『オルガマニア』の肉体美は触れると心地よさそうだ。
だが私には理性と常識がある。それは目の前のアダルトグッズ人間を許容する理由に成り得ない。セルフケアを他人に手伝ってもらうだなんて、真っ平御免である。



あなたの目的なんて知ったことじゃないわよ。いいから出て行って





そんな! 私はあなたの乳首の数だって知ってるのに





二つしかないわよ!





ひどい! 私の身体をおもちゃ代わりにしたのね!





もともと大人のおもちゃなんでしょうが!





ここにいさせてよ。私、出てってもいくとこないのよ





工場か流通センターにでも戻ったらいいじゃないの





戻ったところでなんて説明するのよ。『私、バイブ人間なんです』って? こいつ頭おかしいとしか思われないわよ





私が今まさにそう思ってるのよ!


すると『オルガマニア』は、すがるように私の足を掴んできた。引き剥がそうとしたが結構な握力だった。



大丈夫、二人の身体の相性は抜群だから! 昨日あれだけ愛し合ったじゃない!





愛し合ってないわよ! 手を放せ!


それから私達の問答は、小一時間ほど続いた――。
第三話へ続く
