明日は日曜で学校は休みだ。だから一日寝ていても、じいさんやばあさんに『いい若い者が』と言われる程度で済むだろう。だが風邪とでも言えば、看病だと言っていろいろと世話を焼きに来られて鬱陶しい。ただ眠いから、と、突っぱねるのが一番だろう。
つまり明日は一日寝ててもいいという事で、俺も渾身の力を解き放って探知の魔法を使えるという事だ。
ファンテを伴って例の人気のない神社に行き、俺は両手で円を作って胸の前に翳す。
明日は日曜で学校は休みだ。だから一日寝ていても、じいさんやばあさんに『いい若い者が』と言われる程度で済むだろう。だが風邪とでも言えば、看病だと言っていろいろと世話を焼きに来られて鬱陶しい。ただ眠いから、と、突っぱねるのが一番だろう。
つまり明日は一日寝ててもいいという事で、俺も渾身の力を解き放って探知の魔法を使えるという事だ。
ファンテを伴って例の人気のない神社に行き、俺は両手で円を作って胸の前に翳す。



エンリケ。無理しないようにね





ある程度セーブはするよ


俺は探知の魔法で、心の目を町全体に放った。
ある目は住宅街の静かな景色を見る。家族団欒の温かい声が聞こえる。仲の良い家族が楽しい夕食を囲んでいるんだろう。
ある目は繁華街の賑やかな景色を見る。化粧をした女とスーツを着た男が何やら話し込んでいる。今夜はどこで飲むかと誘われているようだ。
ある目は森林公園の暗さを見る。街灯は灯っているが薄暗く、誰の姿も見えない。いるのは野良猫と烏だけだ。
俺は懸命に探知の目を町中に走らせた。
だが……どこにも爺さんの姿はない。爺さんの〝におい〟はあるのに姿が探知の魔法に引っかからない。どうしてなんだ? 気配はあるのに姿がないなんて事、ある訳がないのに。どこか俺の探知の魔法が届かない場所にあえて隠れているとしか思えない。
爺さんはなぜそんな事をする? そこまでして姿を眩ませる理由は一体なんだんだ?
ふと、目の一つが黒い影を捉えた。あれは……なんだ? もしかして!



ファンテ、怪しい影を捉えた。あっちだ!





行ってくる!


ファンテが風のように飛び出し、俺の指差した方角へ姿を消す。あとはファンテの見つけてきてくれるものが爺さんである事を願うばかりだ。
俺はファンテの道標になるよう、探知の魔法で飛ばした心の目を集中させる。するとそれが突然、ぐっと何かに握り潰されたように消えた。



なっ!


思わず目を開くと、目の前にあの日のヴァンパイアがいた。
赤い目と、白い肌。黒い長いマントに性別が分からないトーンの声。奴は可笑しそうに目を細め、俺を見つめていた。
どうやらこいつは俺の魔法を打ち破ったらしい。魔法は無事に発動していたのに、突然消えてしまったのは、こいつが何か邪魔をしたからだ。
俺程度の魔法なら簡単に打ち破れるだろうが、ここまで近づかれて気付かなかったとは、俺は相当油断していたらしい。普段、ファンテに頼りすぎている証かもしれない。



お久しぶりです





邪魔するな!


俺はヴァンパイアを押しのけようと手を突き出した。だがヴァンパイアは面白そうに俺の手を避ける。奴のアッシュグレイの髪が風にそよいだ。



いいのですか? そんな調子に乗って魔法を行使してしまって。君、魔法使用後の反動が強いのでしょう?





なぜそれを……うぐ!


くそっ! もう反動が来たか!
俺はキリキリ痛む胸を抑えて膝をつく。呼吸は乱れ、めまいがする。俺は消えそうになる意識を必死に繋ぎ止めていた。



ほらほら、無理しないで





何者だ、お前は。どうして俺の秘密が分かるんだ?





んー、まだ内緒? ですかね?


ヴァンパイアは茶化すようにケラケラと笑って俺の傍に立った。



君の事はわりと知ってるよ。エンリケ君


俺はこんな奴は知らない。俺の事を嗅ぎまわっているというのだろうか?
それも薄気味悪いが、いつもほぼ一緒に行動しているファンテが奴に気付かないなんておかしい。ファンテの鼻がそんなに利かないはずがない。



お前は何者なんだと聞いてるんだ!





私の名前ですかぁ……じゃあガーネット。緋色のガーネットでどうでしょう


ガーネット……偽名か? でもこいつは本当に何者なんだ? 俺の秘密を知っていたり、からかってきたり。
目的も思考も全く理解できない。俺はこいつに何をされるんだろう? だが今はこいつに関わってる時間はない。早くファンテを呼び戻さないと、この状態では俺は一人で棲家に帰る事もできない。



俺はお前に関わってる暇はないんだ。どいてくれ


俺はファンテに向かって念を飛ばした。怪しい奴に絡まれているから、早く戻ってきてくれと。これでファンテは影を追う事を断念して俺の元へと戻ってきてくれるはずだ。
ガーネットは俺の傍に屈みこんだ。そして俺の金色の瞳を覗き込む。



君にこんなところで死なれちゃ困るんですよ。その時が来るまで元気でいてもらわないと





何を言っているんだ?


放っておけば俺が死ぬという暗示を掛けられている気分だ。なんて胸糞悪い。
俺はこんなところで死ぬつもりは毛頭ない。殺されたって死んでやるものか。俺はしぶといんだからな。



うん? つまり今日はもう休みなさい、という事ですね


ガーネットは無抵抗な俺の首に手刀を振り落とした。俺の意識がブラックアウトしそうになるが、どうにか踏みとどまった。



く、そ……っ!





あらら、楽にしてあげようとしたのに仕留め損なってしまいました


ガーネットがペロリと赤い舌を出す。



だけど次でおしまいです


奴が手刀を構えた時、チリンという音が聞こえた。ガーネットはムッとした表情になり、空へ舞って消えた。



……ダミルア、君?


聞き覚えのある声に、俺は石段の端まで這う。するといつかと同じ、自転車を押した桐原の姿が見えた。
桐原は俺の様子を見て、慌てて石段を駆け上がってくる。



……あっ! 苦しいの? 人、呼んでくるから……!





いい! 大丈夫だから! 少し休めば大丈夫だから……


他人を呼ばれて大事(おおごと)になり、正体がバレても困る。俺は慌てて桐原の腕を掴んで引き止めた。
それにまだ近くにガーネットがいるかもしれない。今のところ敵意はないが、人間である桐原が見つかったら何をしてくるか分かったものじゃない。用心しなければ。



いつもの発作みたいなものだから……





発作? 体、悪いの? 悪いんだよね? だからいつも保健室に……





随分落ち着いてきた。もう大丈夫だから


事実、桐原といると苦しさは急速に治まっていった。桐原は人を落ち着かせる魔法でも使えるんだろうか? そんなはずないか。
黙ったまま、俺は発作が落ち着くのを待った。桐原も俺に寄り添って、じっとしていてくれている。



もう平気。ありがとう。桐原





わたし、何もしてないよ


いや、してくれたよな。だってガーネットを追い払えたのは桐原のおかげみたいなものだし、発作が落ち着くまで傍にいてくれたし。
俺、桐原に好意を持ってるのかもしれない。桐原がいてくれて、心底嬉しいと思うんだ。



桐原、あのさ……


俺の声に、桐原は小首を傾げる。



俺さ……桐原に好意を持ってるかもしれない





えっ……?


桐原の顔がみるみる赤くなっていく。俺も慌てて両手を振った。俺、とんでもなく恥ずかしい告白をしたかもしれない。ファンテもいないし、魔法の反動の発作で心細くなっていたんだろう。



いや、その。突然こんな事、困るよな。だけどなんか……桐原がいてくれて嬉しかったし、今は楽しいっていうか、安心っていうか……迷惑、かな?


俺は俺の素直な気持ちを桐原に告げてみる。こういった感情は初めてだから、上手く伝えられないかもしれないけど、俺の言葉で、俺の気持ちを、伝えたくなったんだ。
少し戸惑ったのち、桐原は首を縦に振った。



……あの、わたしも嬉しい、かも。こういう気持ち、初めてだからよく分からないけど


桐原が俺と同じ気持ちを持ってくれていた事に、俺は心底嬉しくなる。笑顔が崩れ、なぜか泣きたくなってきた。嬉しい気持ちを通り越すと泣きたくなるんだな。
だけど桐原の前で涙なんか見せたくない。俺は懸命に涙を堪える。
本当になんで唐突にこんな気持ちになったのか分からない。まるでチャームの魔法を掛けられたみたいに、急速に桐原の事が気になりだしたんだ。桐原が可愛くて、気持ちを伝えたくて仕方なかったんだ。そして告白した。まだ出会ったばかりの女の子なのに。



あ、の……わたし、どうすればいいのか分からないけど……





俺も分かんない


桐原は小さく吹き出した。初めて笑った顔を見た。美晴とは違う、控えめな笑顔。
無口な桐原との会話は途切れがちになる。いつもはそれで気にしないんだけど、でも今日はなんだかその途切れた間の居心地が悪い。なので俺は恥の上塗りになるのを覚悟した上で、さらに言葉を重ねた。



あの……さ。そうだ。明日は多分寝こむから無理だけど、来週にでもどこか出かけてみないか? ここからちょっと行ったところに植物園があったろ?


口を衝いて出た言葉は、下手なナンパだった。
さっき探知の魔法で心の目を飛ばした時に素通りした植物園の事を思い出す。あそこなら静かで、おとなしい桐原と出かけるにはちょうどいいと思ったんだ。



クラスの大勢の前に出るのは恥ずかしいかもしれないけど、でも俺と二人だけならそう気を張る事もないだろ? ダメかな?


桐原は顔を真っ赤にして、俺をじっと見つめている。



あの……それって……デー……





い、嫌かな? ただお礼のつもりで他意はないんだけど……





……わ、わたしでいいの?





桐原だからいいんだよ


俺の熱心な誘いに、桐原はコクリと頷いた。やった!



来週。楽しみにしてます





俺も楽しみにしてる! ありがとう、桐原


桐原はペコリと頭を下げ、ゆっくりと石段を降りかけ、振り返った。



もう、体は大丈夫?





あ? ああ、もう平気! こっちもありがとな、桐原。じゃあ気を付けて


本当に桐原と一緒にいて、発作は完全に落ち着いていた。不思議だ。
桐原を見送ってしばらくすると、ようやくファンテが戻ってきた。ゼェゼェと息を切らしながら、俺を庇うように立って周囲を警戒している。



怪しい奴ってどこ?





ああ、それなら解決した。悪い


俺が言うと、ファンテは気が抜けたようにその場へ座り込んでしまった。ファンテに悪い事をしてしまったな。でももう少しファンテを頼らない男にならなきゃ。桐原という守るべき彼女が出来た事だし。
