ロンドン、シティ・オブ・ウェストミンスター。
ロンドン、シティ・オブ・ウェストミンスター。
英国の地海空兵力を支える製造会社ヴィッカースの本社ビルを前にして、ガンジーは急制動をかけた。



インドからイギリスまで12秒、





思ったより時間がかかってしまったのは、おそらく……





そうです。今のあなたの身体能力は、”お徳ポイント”の残量に依存しています





つまり、非暴力(アヒンサー)で闘えば闘うほど、私は弱くなっていくと?





お釈迦様、そういう大事なことは早めに教えて頂かないと





だってあなた、取り込み中だとか言って、私に喋らせてくれなかったじゃないですか……


偉大さとは、その者が己の行く道でどれ程の徳を積んだかとも言い換えられる。
すなわちそれは、偉人の戦闘力が徳の総量に依存するという事。
”徳”を消費しながら闘い、そして許してきたガンジーの拳が、肉体が、正確にはその肉体にまとう”徳”の光が、消耗し疲弊しているのは、至極当然の事であった。



なに、あとはここにいる男一人、許してやるだけの事です





では


それは私のことかね、マハトマよ。
どこからともなく届いたその声に、ガンジーは身構える。
直感した。
過激派の者達を煽り立てた武器商人が。
釈迦がその討伐をガンジーに託した、魔の者が。
今自ずから姿を現したのだ。



何奴!


ガンジーの発した言葉は、薄い”徳”の膜を通して自動的に翻訳され、相手の耳にその真意を違う事無く届ける。
非暴力翻訳(アヒンサートランスレイト)だ!



ようこそ、ヴィッカースへ





はるばるインドからおいでとは驚きだ





お茶でもいかがですかな。良いアッサムの葉がちょうど入ったばかりでしてね





ヴィッカース取締役、アラン・ヴィッカース


一定範囲に”徳”の粒子を飛ばし、超高速で情報を集めて顔と名前を一致させる非暴力人名検索(アヒンサーネームサーチ)で、ガンジーは目の前の男の名を確かめた。
だが同時に、その名が仮初めのものであることも、ガンジーは知っていた。



やはりまた、あなたの悪意なのですね





魔神(マーラ)よ!


釈迦の一喝と共に、天から注ぐ雷がアラン・ヴィッカースを貫いた。
人を欺く偽りの姿を焼き尽くし、魔の者の正体を今、看破したのだ!
そこに現れたのは、見るもおぞましき醜悪な魔物。
岩と苔の鱗を持った、ビルをも超える巨大な龍魚。それこそが魔神(マーラ)の真の姿だったのだ。
さあどうする、マハトマよ、釈迦よ!
たかが老人ひとり生き返して、
何をどうしようと思ったのかね!?



許すつもりで来たのだよ!


ガンジーは言い放つ。
恐れる事無くマーラを見上げ、惑う事無く拳を構えて。



人と人とを争わす、お前の所業をここでやめれば、





お前の罪はすべて許そう





それで納得できないのなら、





言い訳垂れてかかって来い





全部まとめて許してやるよ、小童が!


不遜なり、マハトマ!
死に損ないめ。
この英国を
貴様の第二の死地にしようぞ!
三障四魔のフィッシュ&チップス、
五臓に詰めて魔に堕ちよ!



非暴力双翼(アヒンサーウイング)!


紅の光が収束し、ガンジーの背に”徳”の翼を為す!
街に被害が及ばぬよう、雲の上へとガンジーは飛ぶ!
貴様に何を言うべくも無し!
ぬらぬらと艶めく赤黒い尾ひれが、小虫を払うかの如く空飛ぶガンジーを追い立てる。
円輪状の岩の鱗が、雨や霰と降り注ぐ。



非暴力超音波破砕砲(アヒンサーソニケイション)!


ガンジーの喉から放たれた”徳”が、波動となって空を震わす。
岩の鱗を一つと残さず、微細に砕いて砂粒と化す!
巻き起こった砂嵐が、マーラの視界からガンジーを隠す。
ごく一瞬の好機!
マーラの頭上にひらりと降り立ち、ガンジーが取るは弓の構え。
マーラが彼を見つけたその時、既に拳に光は満たん!



非暴力迫撃砲(アヒンサーモルター)!


密着状態から放つ、より”徳”を凝縮した非暴力迫撃砲(アヒンサーモルター)が、マーラの脳天を貫通した!
かに見えた、次の瞬間。



ぐほぅ……ッ!


器用に身体を捻ったマーラが、肉厚な平手でガンジーを打ち据えたのだ。
あまりに強大なその衝撃に”徳”の翼は霧散し、ガンジーは真っ逆さまに落下していく。



ガンジー!


電線と本社ビルの壁面をかすめ、大地に墜落したガンジー。
彼を包んでいた”徳”の光が、激突の衝撃をやわらげ、彼の身体を守ってはいた。
だがその光にもはや力はなく、今にも彼の元から消え去ろうしていた。



く……ッ





”徳”が……尽きてきたか……





残り……72ポイント





やはり無駄遣いが仇になりましたか





いちいち余計なアヒリケーション立ち上げたりするから……!





このままでは……!





さて、もう私と闘うだけの力は残っていないようですね


勝利を確信したマーラは、再び姿を人のそれに戻した。
よろよろと立ち上がるのが精一杯のガンジーと、その後ろの釈迦を嘲笑うように。



価値無き宗教紛争が続くほど、大地は邪心に満ちてゆく





武器を取らせ、身の丈にそぐわない力を与えてやるだけで、人とはかくも容易く邪心に囚われる





今の君も、君を殺した過激派の若者達と、何ら変わりはしないよ。マハトマ


マーラはその右手にだけ、真の姿を顕現させる。
岩と苔の鱗が音を立てて凝り固まり、無骨な剣と化す。



それ以上は許しませんよ、マーラ!


ガンジーを守るべく放った釈迦の一喝も、もはやマーラの足を止めるに適わなかった。



おや、許しに来たのではないのですか。あなた方は





そうして綺麗事を並べていようと、決して人の邪心は消えないのだよ





故に私もあなた方の前から、決して消える事はない


息を切らし、咳き込み、構えも取れず、ただ立ち尽くすガンジー。
だが、ひび割れたメガネの奥で未だ光を失わない瞳が、迫るマーラを真っ直ぐに見据えている。
ぎり、とマーラの奥歯が軋む。
醜い鱗の刃が、雲渦巻く天を高く指す。
そして。



己の生の無意義を悔いながら、地獄へ帰れ!





マハトマ・ガンジー!


ロンドンを揺るがす叫びと共に、魔神の刃が振り下ろされた!
つづく!
